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第二部五章 応酬
鉄砲衆と徒歩男たち
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「おおおおおおお――っ!」
武田軍は、地鳴りのような鬨の声を上げながら、一斉に前進し始めた。
彼らが目指すのは、言うまでもなく、丸太で組んだ馬防ぎの柵の向こう――斎藤軍の陣である。
「者ども、敵が来るぞ! 弾を込めよ!」
馬防ぎの柵の内側に並んだ鉄砲隊を束ねる斎藤軍の組頭が、夥しい土煙を立てて接近しつつある武田軍を鋭い目で見据えながら、配下の兵たちに向かって声を張り上げた。
その命を聞いた鉄砲隊の兵たちは、一斉に片膝をつき、射撃準備に取り掛かる。
そして、先端に火の点いた火縄を火挟みに挟み、柵の横木に銃身を乗せ、こちらへ向かってくる武田軍へと向けた。
「下知するまで撃つなよ! 確実に仕留められる距離まで、存分に引きつけるのだ!」
「「「は……はっ!」」」
組頭の声に、鉄砲足軽たちが上ずった声で応じる。
その声に緊張と恐怖の色が混じっている事を敏感に感じ取った組頭は、彼らを鼓舞しようと、殊更に大きな笑声を上げてみせた。
「はっはっはっ! そう案ずるな! こちらには馬防ぎの柵がある! 如何に武田の騎馬武者の脚が速かろうと強かろうと、この丸太の柵を越えて我が陣に押し入る事は出来ぬわ!」
そう、大音声で叫んだ組頭は、横一列に展開した鉄砲足軽たちの背後で天を衝くかのように林立している夥しい数の長柄槍を一瞥し、「あとは――」と続ける。
「貴様らの背後に控えた長柄槍隊が、鉄砲衆と共に、柵に阻まれて立ち往生した武田の猪武者どもを順繰りに突き殺していくだけよ! それを繰り返していくだけで、勝手に敵は壊滅するであろうぞ!」
「「「はっ!」」」
組頭の言葉に勇気づけられた鉄砲足軽たちの間から、先ほどよりも威勢の良い返事が返ってきた。
……無論、組頭の言葉は、些か楽観に過ぎるきらいはある。
だが、柵の立て杭は地面深く打ち込んでいるし、その前には浅いとはいえ空堀まで構築してあるのだ。
如何に武田兵と彼らの操る騎馬が強靭であっても、そうやすやすと抜かれる事は無かろう――彼は、そして斎藤軍の大半の者は、そう考えていた。
――だが、
「……妙だな」
ほどなく、組頭は、柵越しに見える敵の動きに、妙な違和感を覚えた。
「遅い……? 馬の脚を緩めたのか?」
最初は巻き上げる土埃で後続の姿が見えない程の速度で駆けていた武田軍が、柵から一町半 (約160メートル)ほどのところまで近づいたところで急激に速度を落とし、常足でゆったりと歩き始めたのだ。
「組頭様……撃ちますか……?」
斉射の命を待っていた鉄砲足軽のひとりが、火縄銃を構えたままで顔を巡らし、おずおずと尋ねてきた。
その問いかけに、組頭は彼に負けず劣らずの当惑の表情を浮かべながら頭を振る。
「い、いや……まだだ。待て」
彼の判断は尤もだ。
まだ、彼らと武田軍との間には一町 (約110メートル)ほどの距離がある。この距離で火縄銃を放っても命中率は然程期待できぬし、たとえ命中したとしても、致命の一撃までには至らない可能性が高い。
むしろ敵は、痺れを切らしたこちらが火縄銃を斉射するのを待っている可能性が高いだろう。斉射した鉄砲隊が次弾を装填するまでの隙に乗じて、一気に接近しようと目論んでいるのではないか――組頭はそう考えたのだ。
……だが、その考えは、武田軍の次なる動きによって即座に覆される。
「あ、あれは……?」
その光景を見た鉄砲足軽たちの間から、戸惑い混じりのどよめきが上がった。
突然、徒歩の男たちが数十名、依然としてゆっくりと歩を進める騎馬たちの間をすり抜けるようにして現れたのだ。
徒歩の男たちは、足軽というにはあまりにも軽装である。胴にこそ粗末な具足を纏ってはいたものの、いずれも着物の袖を襷で捲り上げて太い腕を剥き出しにしており、脚も素足に脚絆を付けただけだった。
手に持った得物も奇妙なもので、鉄砲はもちろん、長槍や弓ですらなく、その代わりに携えていたのは、鍬や鋤といった農作業に用いるような道具ばかりである。
更に奇妙な事に、緩やかに広がりながらいくつかの集団に分かれた男たちの何人かが、人の背丈ほどの長さで伐り落とした竹をいくつか束ね、円柱状にまとめたものを担いでいたのだ。
「な……何じゃ、あいつらは……?」
組頭は、戦場にそぐわない格好をした男たちの姿に、思わず当惑の声を上げる。
配下の鉄砲足軽たちも、思いもかけない光景に唖然としていた。
――と、その時、
“ドォンッ!”
突然、武田軍の方から、腹に響く陣太鼓の音が上がり、それに応じるように、鋤や鍬を携えた徒歩の男たちは、束ねた竹を楯のように前面に掲げた男を先頭にして、縦列に並ぶ。
そして、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
と、一定の調子で連打され始めた陣太鼓の音に合わせるように、その隊形を保ったまま、斎藤陣の方へ向けて駆け始めた。
「な、何だぁっ?」
異様な光景を目の当たりにした組頭は、思わず驚愕の叫びを上げる。
――だが、すぐに我に返り、男たちが柵まで半町 (約55メートル)足らずの距離まで接近した事に気付くと、慌てて手にしていた刀を大きく頭上に掲げ、それから勢いよく振り下ろした。
「鉄砲、放てええぇ――っ!」
次の瞬間、彼の命を忠実に実行した鉄砲足軽たちが構える火縄銃から轟音が上がり、その銃口から一斉に銃弾が放たれる。
言うまでもなく、その狙いは、楯にした竹束にその身を隠し、無謀な突撃をかけてきた軽装の男たちだ。
柵に沿って並んだ二百丁近い火縄銃が一斉に火を噴いた事で、一帯は真っ黒な硝煙によって覆い尽くされ、視界は遮られる。
「火縄銃の威力を舐めるな、甲斐の山猿どもが! この至近距離では、そのような急造の楯など容易く貫通できるわ!」
垂れ込める黒煙の中で、組頭は自分が率いる鉄砲隊の戦果を疑わず、高らかに哄笑した。
――だが、
「く、組頭様ッ! や、奴ら……まだ――!」
「ッ?」
上ずった鉄砲足軽の声にハッとした組頭は、弾かれるように柵の外に目を向ける。
そして――、
「……なっ?」
硝煙の中から、先ほど見た時と変わらず隊列を保った男たちが姿を現したのを見て、思わず目を疑った。
「ば……バカな……ッ! 我が方の一斉射を受けたのに……全くの無傷だと……ッ?」
武田軍は、地鳴りのような鬨の声を上げながら、一斉に前進し始めた。
彼らが目指すのは、言うまでもなく、丸太で組んだ馬防ぎの柵の向こう――斎藤軍の陣である。
「者ども、敵が来るぞ! 弾を込めよ!」
馬防ぎの柵の内側に並んだ鉄砲隊を束ねる斎藤軍の組頭が、夥しい土煙を立てて接近しつつある武田軍を鋭い目で見据えながら、配下の兵たちに向かって声を張り上げた。
その命を聞いた鉄砲隊の兵たちは、一斉に片膝をつき、射撃準備に取り掛かる。
そして、先端に火の点いた火縄を火挟みに挟み、柵の横木に銃身を乗せ、こちらへ向かってくる武田軍へと向けた。
「下知するまで撃つなよ! 確実に仕留められる距離まで、存分に引きつけるのだ!」
「「「は……はっ!」」」
組頭の声に、鉄砲足軽たちが上ずった声で応じる。
その声に緊張と恐怖の色が混じっている事を敏感に感じ取った組頭は、彼らを鼓舞しようと、殊更に大きな笑声を上げてみせた。
「はっはっはっ! そう案ずるな! こちらには馬防ぎの柵がある! 如何に武田の騎馬武者の脚が速かろうと強かろうと、この丸太の柵を越えて我が陣に押し入る事は出来ぬわ!」
そう、大音声で叫んだ組頭は、横一列に展開した鉄砲足軽たちの背後で天を衝くかのように林立している夥しい数の長柄槍を一瞥し、「あとは――」と続ける。
「貴様らの背後に控えた長柄槍隊が、鉄砲衆と共に、柵に阻まれて立ち往生した武田の猪武者どもを順繰りに突き殺していくだけよ! それを繰り返していくだけで、勝手に敵は壊滅するであろうぞ!」
「「「はっ!」」」
組頭の言葉に勇気づけられた鉄砲足軽たちの間から、先ほどよりも威勢の良い返事が返ってきた。
……無論、組頭の言葉は、些か楽観に過ぎるきらいはある。
だが、柵の立て杭は地面深く打ち込んでいるし、その前には浅いとはいえ空堀まで構築してあるのだ。
如何に武田兵と彼らの操る騎馬が強靭であっても、そうやすやすと抜かれる事は無かろう――彼は、そして斎藤軍の大半の者は、そう考えていた。
――だが、
「……妙だな」
ほどなく、組頭は、柵越しに見える敵の動きに、妙な違和感を覚えた。
「遅い……? 馬の脚を緩めたのか?」
最初は巻き上げる土埃で後続の姿が見えない程の速度で駆けていた武田軍が、柵から一町半 (約160メートル)ほどのところまで近づいたところで急激に速度を落とし、常足でゆったりと歩き始めたのだ。
「組頭様……撃ちますか……?」
斉射の命を待っていた鉄砲足軽のひとりが、火縄銃を構えたままで顔を巡らし、おずおずと尋ねてきた。
その問いかけに、組頭は彼に負けず劣らずの当惑の表情を浮かべながら頭を振る。
「い、いや……まだだ。待て」
彼の判断は尤もだ。
まだ、彼らと武田軍との間には一町 (約110メートル)ほどの距離がある。この距離で火縄銃を放っても命中率は然程期待できぬし、たとえ命中したとしても、致命の一撃までには至らない可能性が高い。
むしろ敵は、痺れを切らしたこちらが火縄銃を斉射するのを待っている可能性が高いだろう。斉射した鉄砲隊が次弾を装填するまでの隙に乗じて、一気に接近しようと目論んでいるのではないか――組頭はそう考えたのだ。
……だが、その考えは、武田軍の次なる動きによって即座に覆される。
「あ、あれは……?」
その光景を見た鉄砲足軽たちの間から、戸惑い混じりのどよめきが上がった。
突然、徒歩の男たちが数十名、依然としてゆっくりと歩を進める騎馬たちの間をすり抜けるようにして現れたのだ。
徒歩の男たちは、足軽というにはあまりにも軽装である。胴にこそ粗末な具足を纏ってはいたものの、いずれも着物の袖を襷で捲り上げて太い腕を剥き出しにしており、脚も素足に脚絆を付けただけだった。
手に持った得物も奇妙なもので、鉄砲はもちろん、長槍や弓ですらなく、その代わりに携えていたのは、鍬や鋤といった農作業に用いるような道具ばかりである。
更に奇妙な事に、緩やかに広がりながらいくつかの集団に分かれた男たちの何人かが、人の背丈ほどの長さで伐り落とした竹をいくつか束ね、円柱状にまとめたものを担いでいたのだ。
「な……何じゃ、あいつらは……?」
組頭は、戦場にそぐわない格好をした男たちの姿に、思わず当惑の声を上げる。
配下の鉄砲足軽たちも、思いもかけない光景に唖然としていた。
――と、その時、
“ドォンッ!”
突然、武田軍の方から、腹に響く陣太鼓の音が上がり、それに応じるように、鋤や鍬を携えた徒歩の男たちは、束ねた竹を楯のように前面に掲げた男を先頭にして、縦列に並ぶ。
そして、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
と、一定の調子で連打され始めた陣太鼓の音に合わせるように、その隊形を保ったまま、斎藤陣の方へ向けて駆け始めた。
「な、何だぁっ?」
異様な光景を目の当たりにした組頭は、思わず驚愕の叫びを上げる。
――だが、すぐに我に返り、男たちが柵まで半町 (約55メートル)足らずの距離まで接近した事に気付くと、慌てて手にしていた刀を大きく頭上に掲げ、それから勢いよく振り下ろした。
「鉄砲、放てええぇ――っ!」
次の瞬間、彼の命を忠実に実行した鉄砲足軽たちが構える火縄銃から轟音が上がり、その銃口から一斉に銃弾が放たれる。
言うまでもなく、その狙いは、楯にした竹束にその身を隠し、無謀な突撃をかけてきた軽装の男たちだ。
柵に沿って並んだ二百丁近い火縄銃が一斉に火を噴いた事で、一帯は真っ黒な硝煙によって覆い尽くされ、視界は遮られる。
「火縄銃の威力を舐めるな、甲斐の山猿どもが! この至近距離では、そのような急造の楯など容易く貫通できるわ!」
垂れ込める黒煙の中で、組頭は自分が率いる鉄砲隊の戦果を疑わず、高らかに哄笑した。
――だが、
「く、組頭様ッ! や、奴ら……まだ――!」
「ッ?」
上ずった鉄砲足軽の声にハッとした組頭は、弾かれるように柵の外に目を向ける。
そして――、
「……なっ?」
硝煙の中から、先ほど見た時と変わらず隊列を保った男たちが姿を現したのを見て、思わず目を疑った。
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