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第二部七章 帰陣
書状と内容
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二通の書状は、木下藤吉郎の手から佐助へと渡った。
彼は、懸け紙の上から何か細工が仕掛けられていないかを慎重に確認した上で、馬上の信繁に差し出す。
「……問題は無い。何の変哲もないただの封書だ」
「うむ」
佐助の言葉に頷いた信繁は、彼の手から二通の書状を受け取った。
そして、書状の懸け紙に手をかける。
と、その時、
「……しかし、宜しいのですか、武田様?」
それまで黙っていた藤吉郎が、ポツリと声を上げた。
その声に、信繁は顔を上げ、彼の顔を見据えながら尋ね返す。
「……何がかな?」
「その書状は、我が殿が遠山勘太郎殿とつや様に宛てた私信。それを、全くの他人であらせられる武田様が勝手に開けて読むのは、色々と問題なのでは?」
そう、信繁の問いかけに穏やかな声で答える藤吉郎だったが、やにわに目を鋭くさせ、付け加えた。
「――ひいては、織田家と武田家の関係にも悪影響を及ぼしかねぬかと」
「……!」
藤吉郎の言葉に、浅利信種が顔を青ざめさせる。
――だが、
「いえ」
と、きっぱりと頭を振ったのは、武藤昌幸だった。
彼は、何を考えているのか窺い知れない表情を浮かべている藤吉郎の顔を見下ろしながら、言葉を継ぐ。
「確かに、織田弾正忠殿が正式な使者を立てて送ってきた書状ならば、木下殿の言う通りかと思いますが――此度はそうでは御座いませぬ」
「……」
「このように、百姓姿に身を窶し、目立たぬように運んでくるような書状……怪しむなという方が無理というもの。ましてや、今の武田家と織田家は、直接衝突はしておらぬとはいえど、美濃を巡って牽制し合う関係。こちらとしては、書状の中身を検めぬ訳には参りませぬ」
「……そういう事だ」
昌幸の言葉に大きく頷いた信繁は、冷たい視線を藤吉郎に向けた。
「非礼は重々承知の上で、この書状は検めさせてもらう。必要とあらば、儂が直々に織田殿へ宛てて詫状を認めよう。――それで良いな、木下殿」
「……まあ、はい」
慇懃だが、有無を言わさぬ口調で確認する信繁に対し、藤吉郎は諦め顔で頷く。
「そうまで仰られるのなら、どうぞご随意になさって下され」
「……」
藤吉郎の返事を聞いた信繁は、小さく頷いて、書状に手を付けた。
外した懸け紙を昌幸に預け、中に包まれていた本状を開く。
「……」
無言で書面を読み進める信繁を、信種たちが固唾を呑んで見守った。
「ふむ……」
文面を読み終え、小さく唸った信繁は、本状を元のように畳み直して昌幸に渡し、続いて二通目の書状を開いた。
今度は信種に外した懸け紙を渡し、先ほどと同じように本状を開き、子細に目を通す。
そして――、
「……なるほど」
読み終えた二通目の本状を畳み直しながら、信繁は息を吐いた。
そして、退屈そうな顔をして鼻毛を抜いていた藤吉郎と、その傍らで青い顔をしている蜂須賀又十郎に目を向け、小さく頷きかける。
「どうやら、貴殿の申した通りのようだ。この二通の書状に胡乱なところは無い」
「お分かりになられましたか!」
彼の言葉に、藤吉郎は顔をパッと輝かせた。
「では、これで我が身にかけられた疑いも晴れたと――」
「そうは言うておらぬ」
信繁は、喜ぶ藤吉郎の言葉を厳しい響きの声で遮る。
そして、彼の横で又十郎が驚きの表情を浮かべているのに気付きながら、敢えて見なかったフリをして、殊更に厳しい表情を浮かべてみせた。
「この書状には、確かに怪しい内容は書かれておらぬ。……だが、この書状が、囮……目くらましで、貴殿らがまだ密書を隠し持っておる可能性が完全に消えた訳ではない」
そう言うと、彼は藤吉郎の身体を指さしながら、断固とした声色で告げる。
「――木下殿。今度は貴殿らの身を検めさせて頂こう。否とは言わせぬ」
「……否と申しましたら、どうなります?」
「知れた事」
探るように尋ねる藤吉郎の顔を見下ろしながら、信繁は淡々とした口調で答えた。
「百姓姿に化けた怪しき男の骸がふたつ、この場に転がる事になる」
「……これでも某は、れっきとした織田家家中の者に御座りまするぞ? それを斬って捨ててしまっては、武田家としても何かと障りがあるのでは――」
「構わぬ。斬った後に気付いた事にするだけだ。……幸い、この場には貴殿らと我らしかおらぬからな」
「……」
冷徹な信繁の答えを聞いて、藤吉郎は一瞬だけ表情を消す。……が、すぐに元のような柔和な笑みを浮かべながら頷いた。
「……相分かり申した。大切な命を、こんな事で取られてはかないませぬからな。どうぞ、お気の済むまでお検め下され!」
そう言うと、大きく両手を横に広げてみせる。
藤吉郎の返事を聞いた信繁は、片膝をついて控えていた佐助に目配せをした。
彼の目配せに頷いた佐助は、「御免」と短く秀吉たちに断ってから、ふたりの手荷物や着ている野良着はもちろん、褌の中までも丹念に調べる。
……だが、
「……無い」
ふたりの身体をようやく検め終えた佐助が、無表情のまま首を横に振った。
「密書を隠していそうな箇所は全て調べたが、何も無い。どうやら、この男の言っている事は偽りではないようだ」
「……そうか」
佐助の報告に小さく頷いた信繁は、藤吉郎に向けて軽く頭を下げる。
「どうやら、儂の考え過ぎだったようだ。誠に相すまぬ、木下殿」
「いえいえ! 滅相も御座らぬ!」
信繁の侘びに、藤吉郎は大袈裟に手と首を左右に振った。
「武田様のご懸念も尤もに御座る。何はともあれ、疑いが晴れたのなら良かった」
そう言うと、藤吉郎は乱れた野良着の袷を直しながら立ち上がると、信繁が持つ二通の書状を指さす。
「では――我らはこれより急いで岩村と苗木に向かいます。その二通の書状をどうぞお返し下さ――」
「……いや」
だが、信繁は藤吉郎の言葉に頭を振ると、手にした書状をヒラヒラと振った。
「先ほどの無礼の侘びだ。この書状は儂が預かろう」
「……は?」
「後ほど、この浅利右馬助に持たせて、遠山勘太郎殿とつや殿に必ず届けさせる。だから、もう貴殿が苗木と岩村まで足を運ぶ必要は無い」
そう言って、信繁は隻眼で藤吉郎の顔を見据えながら、冷たく告げる。
「御勤めご苦労だったな、木下殿。もう貴殿の用は済んだ。疾く尾張へ帰られよ。決して寄り道などせず、真っ直ぐにな」
彼は、懸け紙の上から何か細工が仕掛けられていないかを慎重に確認した上で、馬上の信繁に差し出す。
「……問題は無い。何の変哲もないただの封書だ」
「うむ」
佐助の言葉に頷いた信繁は、彼の手から二通の書状を受け取った。
そして、書状の懸け紙に手をかける。
と、その時、
「……しかし、宜しいのですか、武田様?」
それまで黙っていた藤吉郎が、ポツリと声を上げた。
その声に、信繁は顔を上げ、彼の顔を見据えながら尋ね返す。
「……何がかな?」
「その書状は、我が殿が遠山勘太郎殿とつや様に宛てた私信。それを、全くの他人であらせられる武田様が勝手に開けて読むのは、色々と問題なのでは?」
そう、信繁の問いかけに穏やかな声で答える藤吉郎だったが、やにわに目を鋭くさせ、付け加えた。
「――ひいては、織田家と武田家の関係にも悪影響を及ぼしかねぬかと」
「……!」
藤吉郎の言葉に、浅利信種が顔を青ざめさせる。
――だが、
「いえ」
と、きっぱりと頭を振ったのは、武藤昌幸だった。
彼は、何を考えているのか窺い知れない表情を浮かべている藤吉郎の顔を見下ろしながら、言葉を継ぐ。
「確かに、織田弾正忠殿が正式な使者を立てて送ってきた書状ならば、木下殿の言う通りかと思いますが――此度はそうでは御座いませぬ」
「……」
「このように、百姓姿に身を窶し、目立たぬように運んでくるような書状……怪しむなという方が無理というもの。ましてや、今の武田家と織田家は、直接衝突はしておらぬとはいえど、美濃を巡って牽制し合う関係。こちらとしては、書状の中身を検めぬ訳には参りませぬ」
「……そういう事だ」
昌幸の言葉に大きく頷いた信繁は、冷たい視線を藤吉郎に向けた。
「非礼は重々承知の上で、この書状は検めさせてもらう。必要とあらば、儂が直々に織田殿へ宛てて詫状を認めよう。――それで良いな、木下殿」
「……まあ、はい」
慇懃だが、有無を言わさぬ口調で確認する信繁に対し、藤吉郎は諦め顔で頷く。
「そうまで仰られるのなら、どうぞご随意になさって下され」
「……」
藤吉郎の返事を聞いた信繁は、小さく頷いて、書状に手を付けた。
外した懸け紙を昌幸に預け、中に包まれていた本状を開く。
「……」
無言で書面を読み進める信繁を、信種たちが固唾を呑んで見守った。
「ふむ……」
文面を読み終え、小さく唸った信繁は、本状を元のように畳み直して昌幸に渡し、続いて二通目の書状を開いた。
今度は信種に外した懸け紙を渡し、先ほどと同じように本状を開き、子細に目を通す。
そして――、
「……なるほど」
読み終えた二通目の本状を畳み直しながら、信繁は息を吐いた。
そして、退屈そうな顔をして鼻毛を抜いていた藤吉郎と、その傍らで青い顔をしている蜂須賀又十郎に目を向け、小さく頷きかける。
「どうやら、貴殿の申した通りのようだ。この二通の書状に胡乱なところは無い」
「お分かりになられましたか!」
彼の言葉に、藤吉郎は顔をパッと輝かせた。
「では、これで我が身にかけられた疑いも晴れたと――」
「そうは言うておらぬ」
信繁は、喜ぶ藤吉郎の言葉を厳しい響きの声で遮る。
そして、彼の横で又十郎が驚きの表情を浮かべているのに気付きながら、敢えて見なかったフリをして、殊更に厳しい表情を浮かべてみせた。
「この書状には、確かに怪しい内容は書かれておらぬ。……だが、この書状が、囮……目くらましで、貴殿らがまだ密書を隠し持っておる可能性が完全に消えた訳ではない」
そう言うと、彼は藤吉郎の身体を指さしながら、断固とした声色で告げる。
「――木下殿。今度は貴殿らの身を検めさせて頂こう。否とは言わせぬ」
「……否と申しましたら、どうなります?」
「知れた事」
探るように尋ねる藤吉郎の顔を見下ろしながら、信繁は淡々とした口調で答えた。
「百姓姿に化けた怪しき男の骸がふたつ、この場に転がる事になる」
「……これでも某は、れっきとした織田家家中の者に御座りまするぞ? それを斬って捨ててしまっては、武田家としても何かと障りがあるのでは――」
「構わぬ。斬った後に気付いた事にするだけだ。……幸い、この場には貴殿らと我らしかおらぬからな」
「……」
冷徹な信繁の答えを聞いて、藤吉郎は一瞬だけ表情を消す。……が、すぐに元のような柔和な笑みを浮かべながら頷いた。
「……相分かり申した。大切な命を、こんな事で取られてはかないませぬからな。どうぞ、お気の済むまでお検め下され!」
そう言うと、大きく両手を横に広げてみせる。
藤吉郎の返事を聞いた信繁は、片膝をついて控えていた佐助に目配せをした。
彼の目配せに頷いた佐助は、「御免」と短く秀吉たちに断ってから、ふたりの手荷物や着ている野良着はもちろん、褌の中までも丹念に調べる。
……だが、
「……無い」
ふたりの身体をようやく検め終えた佐助が、無表情のまま首を横に振った。
「密書を隠していそうな箇所は全て調べたが、何も無い。どうやら、この男の言っている事は偽りではないようだ」
「……そうか」
佐助の報告に小さく頷いた信繁は、藤吉郎に向けて軽く頭を下げる。
「どうやら、儂の考え過ぎだったようだ。誠に相すまぬ、木下殿」
「いえいえ! 滅相も御座らぬ!」
信繁の侘びに、藤吉郎は大袈裟に手と首を左右に振った。
「武田様のご懸念も尤もに御座る。何はともあれ、疑いが晴れたのなら良かった」
そう言うと、藤吉郎は乱れた野良着の袷を直しながら立ち上がると、信繁が持つ二通の書状を指さす。
「では――我らはこれより急いで岩村と苗木に向かいます。その二通の書状をどうぞお返し下さ――」
「……いや」
だが、信繁は藤吉郎の言葉に頭を振ると、手にした書状をヒラヒラと振った。
「先ほどの無礼の侘びだ。この書状は儂が預かろう」
「……は?」
「後ほど、この浅利右馬助に持たせて、遠山勘太郎殿とつや殿に必ず届けさせる。だから、もう貴殿が苗木と岩村まで足を運ぶ必要は無い」
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