甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

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第二部七章 帰陣

露顕と反応

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 「濃尾国境で琴たちを皆殺しにしたのは木下藤吉郎たちだ」と断じた信繁の言葉に対する一同の反応は、真っ二つに割れた。
 仙石久勝と浅利信種が目を見開いて息を呑んだ一方で、武藤昌幸と竹中半兵衛は静かに頷く。

「畏れながら……典厩様」

 僅かに声を上ずらせながら、おずおずと信繁に尋ねたのは、仙石久勝だった。

「何故……そのようにお考えになるのですか?」
「おや?」

 久勝の問いかけに、信繁は首を傾げてみせる。

「お主は違うと思うのか?」
「あ、いえ……」

 信繁に訊き返された久勝は、何と答えるべきか迷うように表情を曇らせながら、ぎこちなく首を左右に振った。

「……確かにあの男――木下藤吉郎は、何を考えているのか掴めぬ不気味な男でしたが……いくら何でも、主である織田信長の実の妹を惨たらしく殺すという不忠を犯すとは、にわかには信じ難く……」
「第一……」

 久勝の言葉に続いて当惑の声を上げたのは、浅利信種である。
 彼は、眉間に深い皺を寄せながら、信繁に言った。

「典厩様と木下藤吉郎のやり取りをずっと見ておりましたが、典厩様が暗に三国山の件を揶揄してみせた時も、あの男は平然としておりました。彼奴あやつが根切りの下手人であるならば、嫌でも表情や素振りに動揺の色が出るかと……」
「……確かに」

 信種の言葉に、信繁が小さく頷く。

「お主の言う通りだ。あの時、儂もあの男の反応を注意深く見ておったが、後ろめたさから来る動揺など、小指の爪の先ほども見られなんだ」

 顎髭を指で擦りながらそう言った信繁の目が、やにわに鋭くなった。

「――
「……っ!」

 信繁の言葉を聞いた信種が、何かに気付いた様子で目を見開く。
 そんな彼に大きく頷きながら、「そうです」と昌幸が言った。

「あの話が出た時、確かに木下藤吉郎の方は怪しい素振りなどおくびも出しませんでしたが、連れの大男――確か、蜂須賀なにがしとか申しましたか……そちらの者は、三国山の件を耳にした瞬間、実に分かりやすく動揺しました」
「ほんの刹那でしたが――」

 昌幸の言葉を引き継ぐように、今度は竹中半兵衛が口を開く。

「あの者は木下殿の方に目を遣りました。あの反応を見る限り、あの者はもちろん、木下殿も根切りに関与していたのは間違いないかと」
「……恐らく、事を主導したのは、木下藤吉郎の方でしょうね」

 険しい表情を浮かべながら、昌幸が言った。

「蜂須賀の方は、木下に脅されたか何かされて、無理やり片棒を担がされただけではないかと。だから、彼は琴殿の死に対して深い責任と負い目を感じている……あの素振りからは、そのように見えました」
「そんなところであろうな」

 昌幸の言葉に、信繁は頷く。
 と、久勝が「で、ですが……」と首を傾げた。

「そもそも、なぜ木下藤吉郎の奴が、主君の妹を殺めたのですか? わざわざそんな事をする理由など――」
「……考えられるとすれば、ひとつ」

 久勝が口にした疑問に、昌幸が渋い顔で答える。

「先日の件で、信長の命と偽って琴殿を裏で操っていたのが他ならぬ木下藤吉郎で、その件が彼女の口から主に露顕してしまう事を恐れて口封じをした……」
「恐らく……な」

 慄然としながら昌幸が口にした推測に、信繁も同意を示した。

「そう考えれば、辻褄が合う。琴殿が尾張に入る前に殺した事や、彼女だけではなく侍女や護衛の兵まで含めて根切りした事の……な」
「……正直」

 信繁に、信種が顔を青ざめさせながら同意する。

「普通に考えれば、他家へ嫁いだとはいえ、主君の実の妹御の命をそうも容易く奪うなど到底信じられませぬが……あの男に限っては、あり得なくもないかと思えてしまいますな」
「……だが、確たる証も御座いませぬ」

 信種の声に、静かに首を左右に振ったのは、半兵衛だった。
 彼は、藤吉郎と又十郎が去っていった街道に目を向けながら、ため息と共に言葉を継ぐ。

「それに……仮に木下殿が本当に主の妹を弑したのだとしても、彼女が遠山勘太郎殿から離縁を言い渡されている以上、事は既に織田家の内だけの話となっております。……であれば、織田家中で犯された罪を裁くべきは、織田家の当主であり、殺された女性にょしょうの実の兄である織田弾正忠殿です」
「確かにお主の申す通りだが、しかし……」

 信種は、半兵衛の言葉に納得しつつも、険しい顔で言った。

「琴殿を尾張に送り返す為に同道していた苗木衆の兵たちも、犠牲になっている。その件に対してなら、苗木遠山家を傘下に置いた今の武田家われらも、木下の罪を裁く事が出来るのではないか?」
「それはそうです。……、ですが」
「そういう事か……」

 半兵衛の答えを聞いた信種は、悔しげに臍を噛む。

「だから彼奴は、ああまで我らに対して余裕の態度をとる事が出来たのか。いくら疑われようと、決して証は掴ませないという確信があったから――」
「……」

 信種の言葉に、一同の間に重苦しい沈黙が広がった。
 ――と、

「……まあ、よい」

 暗くなった空気を変えようとするかのように、信繁が声を上げながら空を振り仰ぐ。

「思わぬ足止めを食った。先を急ごう。冬のは短いからな」

 そう言って馬の手綱を掴もうとした信繁は、自分が秀吉から預かった二通の書状を指の間に手挟んだままだった事を思い出した。

「おお、うっかりしておった」

 そう漏らして苦笑いを浮かべた信繁は、持っていた二通の書状を傍らの浅利信種に向けて差し出す。

「右馬助――先ほど、木下藤吉郎に申した通り、この書状はお主に委ねる。必ず勘太郎殿とつや殿に渡すように。くれぐれも頼むぞ」
「はっ! しかと承り申した!」

 信繁の依頼に、信種はどこか嬉しげに応えた。
 そんな彼に二通の書状を渡そうとした信繁だったが……、

(……そういえば)

 ふと先ほどの藤吉郎とのやり取りを思い出す。

(木下藤吉郎が、自分の野良着に縫い付けていたこの書状を取り出した時――えらく焦っておったな、あの男……)

 彼の脳裏に、狼狽える蜂須賀又十郎の姿が過ぎった。

 ――『な……何をする藤吉郎ッ! やめよ! それは……』
 ――『と、藤吉郎ッ? 貴様……そこまで明かすとは……乱心したかッ?』

(あの焦りよう……明らかに、ただの書状に対するものでは無かった。……そう。まるで、な――)

 そう考えながら、彼は自分の手にある二通の書状をしげしげと見つめる。

(……やはり、これは信長の密書なのか?)

 一瞬そう考える信繁だったが、すぐにかぶりを振った。
 先ほど目を通した書状の中身は、二通とも大して変わらず、共に淡々とした筆調で琴の亡骸を織田家の菩提寺である萬松寺ばんしょうじ (現在の愛知県名古屋市中区)へ懇ろに葬った旨を報告するもので、信繁が一読した限り、それ以上の意味が隠されているようには思えない。
 だが――あの時、蜂須賀又十郎が見せた激しい焦燥と狼狽は、明らかにただの書状の存在が露顕した事に対するものではなかった。
 そこから考えられるのは、ひとつ――。

(密書は確かに存在していて、あの男――蜂須賀又十郎は、自分の着物に縫い付けられていた書状がその密書だと思い込んでいた……)

 そう考えれば、あの時蜂須賀又十郎が見せた顕著な反応の説明がつく。

(ならば……)

 ……木下藤吉郎は、本物の密書をどうやって――卓越した忍びである佐助が身を検めても見つけられぬほど巧妙に――隠しおおせたのだろうか?

(……)

 信繁は、次々と胸中に疑問が湧く事に当惑しながら、無言で手元にある二通の書状を見据えるのだった……。
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