甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

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第二部七章 帰陣

東美濃と西美濃

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 「真意を聞かせろ……ですか」

 又十郎の要求を聞いた藤吉郎は、思案する様子で細い無精髭が浮いた顎を撫でた。
 そんな彼の事を油断無く見据えながら、又十郎は「ああ」と頷く。

「お前が何を考えて、殿から託された密書を破り捨てたのかを余さずな。さもなくば、これ以上お前と組んでいく事は出来ん。オレはこのまま姿を消すから、あとはお前ひとりでやれ」
「……」

 きっぱりと言い切った又十郎の顔を、無言でじっと見つめていた藤吉郎だったが、小さな溜息を吐いてから「まあいいでしょう」と答えた。

「他ならぬ又十郎殿がそうお望みなら、お教えしない訳にはいきますまい」
「……」

 藤吉郎の丁重な前置きの裏に、自分への皮肉が隠されている事を敏感に感じ取りながらも、又十郎は何も言わず、ただ目線を送って話の先を促す。
 そんな彼の反応に苦笑した藤吉郎は、頭を掻きながら言った。

「……まあ、真意と申しても、そんなに大した事では御座いませぬ。――要するに、今は殿に余所見をしてほしくないのですよ」
「余所見……?」
「つまり、今は東美濃を攻める事を諦めて頂き、斎藤家の本拠である稲葉山城……ひいては西美濃全土を平らげる事だけに集中して頂きたいのです」
「諦める……東美濃を?」
「左様」

 胡乱げに訊き返す又十郎に、藤吉郎は微笑みながら頷く。

「と言っても……あくまでも『今は』で御座る。そのうち必ず東美濃を攻め取る機も訪れましょうが、今はまだその時機ではありませぬ。……と言うより、今は西美濃の斎藤を攻め潰す絶好の機会です。なのに、東美濃の方にも手を出そうと欲をかいて戦力を分散しては、虻蜂取らずになりかねませぬ」
「……確かに、そうかもしれんが」

 藤吉郎の答えに、又十郎は首を傾げた。

「それならば、むしろ今は斎藤より武田を攻める方が良いのではないか? 武田は東美濃の地を手に入れたばかりで、まだ支配が行き届いておらぬし、美濃内に進駐しておる武田軍もせいぜい一万ほどだ」
「……」
「ならば、織田家と縁のある遠山一族を再び味方につけ、可児郡にいる武田軍を尾張恵那から挟撃すれば――」
「ははは……そう上手くいくなら苦労は致しませぬ」

 又十郎の話を、藤吉郎は一笑に付す。
 そして、竹筒の水を一口飲むと、自説を否定されて憮然としている又十郎に言った。

「――そもそも、岩村の遠山大和守 (景任)が武田に靡いたのは、殿が執拗にご子息を養子に取るよう迫った事で、織田家が遠山家を乗っ取るつもりなのではないかと危惧したせいでしょう。……まあ、実際のところ、その“危惧”が正しかったのか、それとも単なる大和守の“杞憂”だったのかは、それこそ殿に直接伺ってみねば判りませぬがね」

 そう言って苦笑した藤吉郎は、「……ともかく」と続ける。

「大和守の心にそのような『織田家に対する不信』が芽生えている以上、いくら殿が密書で誘いをかけたところで、まあ無意味でしょう」
「むう……」
「――苗木の遠山勘太郎 (直廉)の方も然り」
「……っ!」

 藤吉郎の口から“苗木”の名が出た瞬間、又十郎は僅かに顔を顰めた。そんな彼の表情の変化に素知らぬふりをしながら、藤吉郎は言葉を継ぐ。

「恐らく、遠山勘太郎は、自分を押し籠めて苗木城を掌握した琴様が武田軍を夜討ちしようとした件の黒幕が、琴様の兄君であらせられる殿だろうと考えていましょう。――まあ、本当は違うんですがね。ふふふ……」
「……」

 そう愉しげに笑う藤吉郎黒幕へ、まるで化け物でも見るような目を向ける又十郎。
 だが、彼の非難混じりの視線など全く意に介さぬ様子で、藤吉郎は更に続ける。

「ですから、遠山勘太郎にも、殿からの密書は効きませぬ。むしろ、逆効果になるかと。何せ、勘太郎から見れば、殿は『妹を使って自分の事を苗木遠山家の当主から引きずり降ろそうとした憎き男』ですからねぇ。そのような者に味方しようなどとは、まず思いますまい」
「……だから」

 又十郎は、僅かに震えた声で藤吉郎に問いかけた。

「だから、殿からの密書を破り捨てたと言うのか? 届けたところで無駄だと……そんな理由で?」
「確かにそれもありますが、一番大きな理由は、最初に申した事ですよ」

 藤吉郎は、又十郎の問いかけに苦笑いしながら答える。

「正直……東美濃など、獲ったところで然程の旨味は御座いませぬ。山がちの地形で広く田畑を開くには適しませんし、その先に続いているのはそれ以上の山国である信濃か飛騨……あとは、同盟相手の松平様の三河ですし」
「うむ、確かに……」
「それに対して、西美濃は耕作に適した平地が多く、日の本一栄えている畿内……そして、京への道が開けます。まあ、その途上には六角や……何より五月に公方様 (第十三代将軍足利義輝)を弑して幕府の実権を握った三好といった手強い障害が居りますが、ね」
「……」
「ですが、その一方、北近江の浅井備前守 (長政)にお市様が嫁がせて、強固な関係を築いておりますし、その縁で浅井家の主筋である越前朝倉の協力も得られましょう。西美濃を掌中に収めれば、上洛も夢では御座らぬ」

 そこで一旦言葉を切った藤吉郎は、竹筒の残りの水を飲み干した。
 そして、下品なゲップをしてから竹筒に栓をし、話を続ける。

「そして今……その西美濃を治める斎藤家の屋台骨は、東美濃を武田に取られた事で大きく揺らぎ始めております。この絶好の機を逃す手は御座いませぬ。今こそ、織田家の全力を注ぎ、斎藤家の本拠である稲葉山城を落とすべき時機ときに御座る」

 そう言うと、藤吉郎は大袈裟に威儀を正し、猿のような顔を更にしわくちゃにした笑みを湛えながら、高らかに叫んだ。

「――そう愚考した某は、殿に東美濃を諦めて頂くべく、些か強引ではありますが此度の策を講じた次第であります!」
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