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第二部八章 使者
雪と出迎え
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その日の甲府には、乾燥しがちなこの時期には珍しく、雪が舞っていた。
うっすらと雪が積もった大通りの道を緩々と歩む馬の上で、武田信繁は感慨深げに辺りを見回す。
「久しぶりだな……かれこれ、三ヶ月ぶりか」
「はい」
通りの両脇に居並ぶ家々を見渡しながら呟いた彼に、並んで馬を進ませていた武藤昌幸が頷いた。
「出陣した時は九月でしたから……まだ、木々の葉も色づいてませんでしたね」
そう答えながら、彼は大通りの脇に聳える大きな銀杏の木を見上げる。
一抱えはある太い幹をした銀杏の木は、すっかり葉を落としていて、剥き出しになった枝には白い雪がまとわりつくように付いていた。
「それが今では、雪化粧をあしらわれて、まるで綿の塊のよう……」
「時の流れの早さを感じるな」
昌幸の言葉に頷きながら微笑んだ信繁だったが、日が落ちた事で一層身に沁みる寒気にブルリと身を震わせる。
「……感傷に浸るのは後にしよう。一刻も早く熱い燗酒で体を温めねば、凍え死にしてしまいそうだ」
そう呟いた彼の脳裏に、屋敷で温かい燗酒と料理を用意して待っているであろう、ふたりの女の顔が浮かんだ。
「桔梗……綾……今帰るぞ」
「あの……典厩様」
やにわに郷愁の念にかられて先を急ごうとする信繁に、昌幸が申し訳なさそうに声をかけ、おずおずと前方を指さした。
「残念ながら……今暫くは足を止めざるを得ないかと……」
「む……?」
昌幸の言葉に怪訝そうな顔をして、彼の指さした先に目を遣る。
そして、
「はあ……」
松明を掲げた小者を付き従えて、馬でこちらの方に向かって近づいてくる直垂姿の一団を見止めた彼は、思わず溜息を吐いた。
だが、すぐに気を取り直すと、無言で右手を挙げて、自分の後に付き従う者たちを制止し、近づいてくる一団を待ち構える。
やがて、待ち受ける信繁たちのところまで到った直垂姿の男たちは、一斉に馬を下り、薄く雪の積もった道の上に膝をつき、深く頭を垂れた。
「ご無事の御着到、何よりに御座りまする、典厩様」
「うむ、わざわざの出迎え御苦労」
彼らを代表するように声を上げた壮年の侍に小さく頷いた信繁は、「構わぬ。面を上げよ」と促す。
その声に応じておずおずと顔を上げた壮年の侍に、信繁は優しく微笑みかけた。
「久しぶりだな。健勝だったか、孫次郎」
「はっ、この通りに御座ります」
信繁に声をかけられた壮年の男――信玄に仕える奥近習のひとりである曽根内匠助昌世は、頬を緩めながら頷く。
「典厩様こそ、お元気そうで何よりです。東美濃での華々しい御活躍は、逐一聞き及んでおりましたぞ」
「ははは、儂を持ち上げたところで何も出ぬぞ」
昌世の言葉に、信繁は困ったように笑い、頭を掻いた。
「第一、儂は『活躍』と言えるほど大した働きはしておらぬ。戦働きは専ら昌幸や甚四郎 (保科正俊)や右馬助 (浅利信種)たちに任せて、儂は飾りとして本陣でふんぞり返っていただけだからな」
「いやいや、そんな事はありませぬぞ!」
信繁の言葉に真顔で大きく頭を振ったのは、彼が真っ先に名を挙げた昌幸である。
「飾りだなんてとんでもない! 拙者たちが存分に働けたのは、典厩様が我らの事を信頼して、全面的にお任せ下されたからです。軍を率いる将として、典厩様の上に出る者などおりませぬぞ!」
「ははは、相変わらずの心酔っぷりだな、源五郎!」
ムキになって訴える昌幸に笑いながら声をかけたのは、昌世と同じ奥近習衆のひとり、金丸平八郎だった。
「お前が美濃で大暴れしていた事は、御屋形様と若殿に付き従って三河に居たオレの耳に入ってきていたぞ。地味な城攻めばかりで、華々しい手柄を立てる機会がなかなか無かったオレには羨ましいほどにな」
そう言うと、彼は昌幸にニヤリと笑いかける。
「斎藤との戦で大手柄を立てた事で増長でもしてやしないかと心配していたが、いつものお前のままのようで何よりだ」
「お主の方も、相変わらず能天気そうで何よりだ、平八郎」
近習衆として信玄の側に仕えていた時以来の同輩であり、悪友でもある平八郎の軽口に皮肉で返した昌幸は、昌世の方に向けて深々と頭を下げた。
「と……平八郎のせいで話の腰を折ってしまって申し訳御座りませぬ、曽根様。どうぞ続きを」
「あ、ああ……」
昌幸の言葉にハッとして頷いた昌世は、苦笑している信繁に向かって尋ねる。
「それで……これから如何なさるおつもりでしょうか? 躑躅ヶ崎館へ向かわれますか? 今なら、館に若殿も御屋形様もお揃いですから、御帰着の旨を直接御報告も……」
「……いや」
信繁は、昌世の問いかけに小さく頭を振った。
「もう日が暮れた。このような遅い時間にお目通りして、御屋形様の御体調に障りがあっては一大事だ。出来れば今日は屋敷に帰り、明日改めて躑躅ヶ崎に参る事にしたい」
そう言った信繁は、ふっと表情を緩めると、少し声を潜めて言葉を継ぐ。
「……まあ、それは方便で、本当のところは、早く屋敷に帰ってのんびり寛ぎたいだけなのだがな」
「ははは……なるほど」
おどけた調子の信繁の物言いに、昌世は思わず吹き出した。
そんな彼に笑い返した信繁は、大袈裟に咳払いをし、改まった声で言う。
「という訳で……御屋形様と若殿への挨拶も、明日にいう事で……良いかな?」
「畏まりました」
昌世は、信繁に合わせるように大仰な態度で頭を下げた。
「では、御屋形様には、そのようにお伝えする事にいたしましょう」
そう答えた昌世は、ふっと穏やかな表情を浮かべ、言葉を継ぐ。
「今宵は、お屋敷でごゆるりとお寛ぎ下さいませ。……奥方殿もご息女も、きっと首を長くして典厩様のお帰りをお待ちでしょうぞ」
うっすらと雪が積もった大通りの道を緩々と歩む馬の上で、武田信繁は感慨深げに辺りを見回す。
「久しぶりだな……かれこれ、三ヶ月ぶりか」
「はい」
通りの両脇に居並ぶ家々を見渡しながら呟いた彼に、並んで馬を進ませていた武藤昌幸が頷いた。
「出陣した時は九月でしたから……まだ、木々の葉も色づいてませんでしたね」
そう答えながら、彼は大通りの脇に聳える大きな銀杏の木を見上げる。
一抱えはある太い幹をした銀杏の木は、すっかり葉を落としていて、剥き出しになった枝には白い雪がまとわりつくように付いていた。
「それが今では、雪化粧をあしらわれて、まるで綿の塊のよう……」
「時の流れの早さを感じるな」
昌幸の言葉に頷きながら微笑んだ信繁だったが、日が落ちた事で一層身に沁みる寒気にブルリと身を震わせる。
「……感傷に浸るのは後にしよう。一刻も早く熱い燗酒で体を温めねば、凍え死にしてしまいそうだ」
そう呟いた彼の脳裏に、屋敷で温かい燗酒と料理を用意して待っているであろう、ふたりの女の顔が浮かんだ。
「桔梗……綾……今帰るぞ」
「あの……典厩様」
やにわに郷愁の念にかられて先を急ごうとする信繁に、昌幸が申し訳なさそうに声をかけ、おずおずと前方を指さした。
「残念ながら……今暫くは足を止めざるを得ないかと……」
「む……?」
昌幸の言葉に怪訝そうな顔をして、彼の指さした先に目を遣る。
そして、
「はあ……」
松明を掲げた小者を付き従えて、馬でこちらの方に向かって近づいてくる直垂姿の一団を見止めた彼は、思わず溜息を吐いた。
だが、すぐに気を取り直すと、無言で右手を挙げて、自分の後に付き従う者たちを制止し、近づいてくる一団を待ち構える。
やがて、待ち受ける信繁たちのところまで到った直垂姿の男たちは、一斉に馬を下り、薄く雪の積もった道の上に膝をつき、深く頭を垂れた。
「ご無事の御着到、何よりに御座りまする、典厩様」
「うむ、わざわざの出迎え御苦労」
彼らを代表するように声を上げた壮年の侍に小さく頷いた信繁は、「構わぬ。面を上げよ」と促す。
その声に応じておずおずと顔を上げた壮年の侍に、信繁は優しく微笑みかけた。
「久しぶりだな。健勝だったか、孫次郎」
「はっ、この通りに御座ります」
信繁に声をかけられた壮年の男――信玄に仕える奥近習のひとりである曽根内匠助昌世は、頬を緩めながら頷く。
「典厩様こそ、お元気そうで何よりです。東美濃での華々しい御活躍は、逐一聞き及んでおりましたぞ」
「ははは、儂を持ち上げたところで何も出ぬぞ」
昌世の言葉に、信繁は困ったように笑い、頭を掻いた。
「第一、儂は『活躍』と言えるほど大した働きはしておらぬ。戦働きは専ら昌幸や甚四郎 (保科正俊)や右馬助 (浅利信種)たちに任せて、儂は飾りとして本陣でふんぞり返っていただけだからな」
「いやいや、そんな事はありませぬぞ!」
信繁の言葉に真顔で大きく頭を振ったのは、彼が真っ先に名を挙げた昌幸である。
「飾りだなんてとんでもない! 拙者たちが存分に働けたのは、典厩様が我らの事を信頼して、全面的にお任せ下されたからです。軍を率いる将として、典厩様の上に出る者などおりませぬぞ!」
「ははは、相変わらずの心酔っぷりだな、源五郎!」
ムキになって訴える昌幸に笑いながら声をかけたのは、昌世と同じ奥近習衆のひとり、金丸平八郎だった。
「お前が美濃で大暴れしていた事は、御屋形様と若殿に付き従って三河に居たオレの耳に入ってきていたぞ。地味な城攻めばかりで、華々しい手柄を立てる機会がなかなか無かったオレには羨ましいほどにな」
そう言うと、彼は昌幸にニヤリと笑いかける。
「斎藤との戦で大手柄を立てた事で増長でもしてやしないかと心配していたが、いつものお前のままのようで何よりだ」
「お主の方も、相変わらず能天気そうで何よりだ、平八郎」
近習衆として信玄の側に仕えていた時以来の同輩であり、悪友でもある平八郎の軽口に皮肉で返した昌幸は、昌世の方に向けて深々と頭を下げた。
「と……平八郎のせいで話の腰を折ってしまって申し訳御座りませぬ、曽根様。どうぞ続きを」
「あ、ああ……」
昌幸の言葉にハッとして頷いた昌世は、苦笑している信繁に向かって尋ねる。
「それで……これから如何なさるおつもりでしょうか? 躑躅ヶ崎館へ向かわれますか? 今なら、館に若殿も御屋形様もお揃いですから、御帰着の旨を直接御報告も……」
「……いや」
信繁は、昌世の問いかけに小さく頭を振った。
「もう日が暮れた。このような遅い時間にお目通りして、御屋形様の御体調に障りがあっては一大事だ。出来れば今日は屋敷に帰り、明日改めて躑躅ヶ崎に参る事にしたい」
そう言った信繁は、ふっと表情を緩めると、少し声を潜めて言葉を継ぐ。
「……まあ、それは方便で、本当のところは、早く屋敷に帰ってのんびり寛ぎたいだけなのだがな」
「ははは……なるほど」
おどけた調子の信繁の物言いに、昌世は思わず吹き出した。
そんな彼に笑い返した信繁は、大袈裟に咳払いをし、改まった声で言う。
「という訳で……御屋形様と若殿への挨拶も、明日にいう事で……良いかな?」
「畏まりました」
昌世は、信繁に合わせるように大仰な態度で頭を下げた。
「では、御屋形様には、そのようにお伝えする事にいたしましょう」
そう答えた昌世は、ふっと穏やかな表情を浮かべ、言葉を継ぐ。
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