甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
216 / 263
第二部八章 使者

雪と出迎え

しおりを挟む
 その日の甲府には、乾燥しがちなこの時期には珍しく、雪が舞っていた。
 うっすらと雪が積もった大通りの道を緩々と歩む馬の上で、武田信繁は感慨深げに辺りを見回す。
 
「久しぶりだな……かれこれ、三ヶ月ぶりか」
「はい」

 通りの両脇に居並ぶ家々を見渡しながら呟いた彼に、並んで馬を進ませていた武藤昌幸が頷いた。

「出陣した時は九月でしたから……まだ、木々の葉も色づいてませんでしたね」

 そう答えながら、彼は大通りの脇に聳える大きな銀杏の木を見上げる。
 一抱えはある太い幹をした銀杏の木は、すっかり葉を落としていて、剥き出しになった枝には白い雪がまとわりつくように付いていた。
 
「それが今では、雪化粧をあしらわれて、まるで綿の塊のよう……」
「時の流れの早さを感じるな」

 昌幸の言葉に頷きながら微笑んだ信繁だったが、日が落ちた事で一層身に沁みる寒気にブルリと身を震わせる。

「……感傷に浸るのは後にしよう。一刻も早く熱い燗酒で体を温めねば、凍え死にしてしまいそうだ」

 そう呟いた彼の脳裏に、屋敷で温かい燗酒と料理を用意して待っているであろう、ふたりの女の顔が浮かんだ。

「桔梗……綾……今帰るぞ」
「あの……典厩様」

 やにわに郷愁の念にかられて先を急ごうとする信繁に、昌幸が申し訳なさそうに声をかけ、おずおずと前方を指さした。

「残念ながら……今暫くは足を止めざるを得ないかと……」
「む……?」

 昌幸の言葉に怪訝そうな顔をして、彼の指さした先に目を遣る。
 そして、

「はあ……」

 松明を掲げた小者を付き従えて、馬でこちらの方に向かって近づいてくる直垂姿の一団を見止めた彼は、思わず溜息を吐いた。
 だが、すぐに気を取り直すと、無言で右手を挙げて、自分の後に付き従う者たちを制止し、近づいてくる一団を待ち構える。
 やがて、待ち受ける信繁たちのところまで到った直垂姿の男たちは、一斉に馬を下り、薄く雪の積もった道の上に膝をつき、深く頭を垂れた。

「ご無事の御着到、何よりに御座りまする、典厩様」
「うむ、わざわざの出迎え御苦労」

 彼らを代表するように声を上げた壮年の侍に小さく頷いた信繁は、「構わぬ。面を上げよ」と促す。
 その声に応じておずおずと顔を上げた壮年の侍に、信繁は優しく微笑みかけた。

「久しぶりだな。健勝だったか、孫次郎」
「はっ、この通りに御座ります」

 信繁に声をかけられた壮年の男――信玄に仕える奥近習のひとりである曽根内匠助昌世まさただは、頬を緩めながら頷く。

「典厩様こそ、お元気そうで何よりです。東美濃での華々しい御活躍は、逐一聞き及んでおりましたぞ」
「ははは、儂を持ち上げたところで何も出ぬぞ」

 昌世の言葉に、信繁は困ったように笑い、頭を掻いた。

「第一、儂は『活躍』と言えるほど大した働きはしておらぬ。戦働きは専ら昌幸や甚四郎 (保科正俊)や右馬助 (浅利信種)たちに任せて、儂は飾りとして本陣でふんぞり返っていただけだからな」
「いやいや、そんな事はありませぬぞ!」

 信繁の言葉に真顔で大きく頭を振ったのは、彼が真っ先に名を挙げた昌幸である。

「飾りだなんてとんでもない! 拙者たちが存分に働けたのは、典厩様が我らの事を信頼して、全面的にお任せ下されたからです。軍を率いる将として、典厩様の上に出る者などおりませぬぞ!」
「ははは、相変わらずの心酔っぷりだな、源五郎!」

 ムキになって訴える昌幸に笑いながら声をかけたのは、昌世と同じ奥近習衆のひとり、金丸平八郎だった。

「お前が美濃で大暴れしていた事は、御屋形様と若殿に付き従って三河に居たオレの耳に入ってきていたぞ。地味な城攻めばかりで、華々しい手柄を立てる機会がなかなか無かったオレには羨ましいほどにな」

 そう言うと、彼は昌幸にニヤリと笑いかける。

「斎藤との戦で大手柄を立てた事で増長でもしてやしないかと心配していたが、いつものお前のままのようで何よりだ」
「お主の方も、相変わらず能天気そうで何よりだ、平八郎」

 近習衆として信玄の側に仕えていた時以来の同輩であり、悪友でもある平八郎の軽口に皮肉で返した昌幸は、昌世の方に向けて深々と頭を下げた。

「と……平八郎のせいで話の腰を折ってしまって申し訳御座りませぬ、曽根様。どうぞ続きを」
「あ、ああ……」

 昌幸の言葉にハッとして頷いた昌世は、苦笑している信繁に向かって尋ねる。

「それで……これから如何なさるおつもりでしょうか? 躑躅ヶ崎館へ向かわれますか? 今なら、館に若殿も御屋形様もお揃いですから、御帰着の旨を直接御報告も……」
「……いや」

 信繁は、昌世の問いかけに小さくかぶりを振った。

「もう日が暮れた。このような遅い時間にお目通りして、御屋形様の御体調に障りがあっては一大事だ。出来れば今日は屋敷に帰り、明日改めて躑躅ヶ崎に参る事にしたい」

 そう言った信繁は、ふっと表情を緩めると、少し声を潜めて言葉を継ぐ。

「……まあ、それは方便で、本当のところは、早く屋敷に帰ってのんびり寛ぎたいだけなのだがな」
「ははは……なるほど」

 おどけた調子の信繁の物言いに、昌世は思わず吹き出した。
 そんな彼に笑い返した信繁は、大袈裟に咳払いをし、改まった声で言う。

「という訳で……御屋形様と若殿への挨拶も、明日にいう事で……良いかな?」
「畏まりました」

 昌世は、信繁に合わせるように大仰な態度で頭を下げた。

「では、御屋形様には、そのようにお伝えする事にいたしましょう」

 そう答えた昌世は、ふっと穏やかな表情を浮かべ、言葉を継ぐ。

「今宵は、お屋敷でごゆるりとお寛ぎ下さいませ。……奥方殿もご息女も、きっと首を長くして典厩様のお帰りをお待ちでしょうぞ」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

東亜の炎上 1940太平洋戦線

みにみ
歴史・時代
1940年ドイツが快進撃を進める中 日本はドイツと協働し連合国軍に宣戦布告 もしも日本が連合国が最も弱い1940年に参戦していたらのIF架空戦記

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...