甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
237 / 263
第二部八章 使者

弔辞と誘い

しおりを挟む
 ――と、

「……それで」

 拳を口元に当てて軽く咳払いした信繁は、居ずまいを正しながら、龍に向けて重い口を開いた。

「龍姫、その……既に聞き及んでおろうが……」
「「……!」」

 信繁が何を言おうとしているのかを察した信廉と昌幸も表情を改め、背筋を伸ばす。
 そんな彼らの反応を見て、無意識に腿の上で組んだ手に力を込めた龍は、僅かに目を伏せて頷いた。

「……はい。母の事ですね」
「……うむ」

 僅かに上ずる龍の声を耳にして、胸が痛むのを感じながら、信繁は小さく頷く。

「此度の件……真に残念な事であった。心よりお悔やみ申し上げる」
「……ありがとうございます」

 信繁からの哀悼の言葉に、一瞬泣き出しそうな表情を浮かべた龍だったが、すぐにキュッと唇を結んだ。

「――苗木であのような事を仕出かしたにもかかわらず、母へ御慈悲に満ちた御言葉をかけて頂き……娘として深く御礼申し上げます」

 気丈に振る舞い、信繁に深く頭を垂れた龍だったが、その肩は小刻みに震える。
 顔を伏せたまま、押し殺し切れない嗚咽を漏らす少女を、三人の男たちは神妙な表情を浮かべながら静かに見守っていた。
 ――それから少ししてから、

「……失礼いたしました」

 目元を袖で拭いながら顔を上げた龍が、はにかみ笑いを浮かべながら信繁たちに詫びる。
 そして、僅かに赤くなった目で信繁の顔を真っ直ぐ見ながら、「……ところで」と、微かに震える声で尋ねた。

「先日、わたしの元に届いた報せでは……母の一行は、賊に襲われたとの事でしたが……?」
「……うむ」

 龍の問いかけに一瞬だけ間を置いてから、信繁は静かに頷く。

「……どうやら、尾張と美濃の国境を根城としていた山賊どもが、琴殿一行が運んでいた金品を狙って襲撃したらしい。恐らく……琴殿は、狭い山道で逃げる事もままならず、山賊どもと護衛の者らの戦いに巻き込まれ……」

 美濃から甲斐へ戻る途中の岩村城の一室で秋山虎繁らと交わした、琴の最期についての会話を頭の片隅で思い返しながらも、信繁はその時に到った『琴は何者かによって口封じされた』という確信に近い推測を龍に伝える事を憚った。
 それは、もはや単なる“ひとりの女の死”にとどまらない、高度に政治的な意図を含むもので、軽々しく口にすべきものではないし――何より、まだ齢十二の娘に、自分の母親がそのようなまつりごとの犠牲となった可能性を伝える事に抵抗を覚えたのである。
 語尾を曖昧にぼかした信繁は、誤魔化すように咳払いをしてから言葉を継いだ。

「――琴殿の亡骸は、麓の村に住む杣人らの報せで駆け付けた織田家中の兵によって尾張に運ばれ、織田家の菩提寺である萬松寺ばんしょうじで懇ろに弔われたという事だ」
「――そうでしたか」

 信繁の言葉を聞いた龍は、母の最期に思いを巡らせて沈痛な表情を浮かべながら、小さく頷く。

「……それを聞いて安堵いたしました。織田家の菩提寺に弔われたならば、母の魂は祖霊と共に、安らかに眠れるでしょうから……」
「……」
「……それでは」

 どこか寂しげな微笑みを浮かべながら、龍は板の間に指をついた。

「わたしはこの辺でお暇いたしとうございます。皆様、ご歓談中にお邪魔いたしまして、申し訳ございませんでした」
「いや……邪魔などとは、とんでもない」

 龍の言葉に、信繁は軽く首を横に振った。

「むしろ、儂に会う為だけに、西曲輪からわざわざここまで足を運んで頂き、かたじけのう御座った」

 そう言って彼女へ微笑みかけた彼は、優しい声で言う。

「甲斐の冬は大層冷える。くれぐれも風邪などひかれぬようお気をつけられよ」
「はい」

 信繁の声に頷いた龍は、口元を綻ばせながら小さく頷いた。

「お気遣い頂きまして、ありがとうございます。それでは――」
「ああ、それと」

 頭を下げて辞去しようとする龍に、信繁は再び声をかける。
 そして、不意に呼び止められた事に対し、少し緊張した表情を浮かべる彼女に穏やかな笑みを向けながら、言葉を継いだ。

「いつでも構わぬから、我が屋敷へ参られよ。心より歓迎いたそうぞ」
「典厩様のお屋敷に……?」

 意外な申し出に目を丸くする龍に、信繁は首を傾げる。

「おや? 苗木城を出る時に、四郎へ言付けしておいたはずだが……聞いておらなんだか?」
「あ、いえ……」

 龍は、“四郎”の名を耳にした瞬間、僅かに頬を赤らめながらかぶりを振った。

「その……四郎様からお話は伺っておりましたが……人質の身のわたしに、武田家の副将であらせられる典厩様が本気で申されたとは俄かには信じられず……」
「儂が、冗談で申したと思われたのか」
「申し訳ございませぬ……」
「……いや、良い」

 慌てて頭を下げようとする龍を、信繁は鷹揚に制する。

「確かに、又聞きではきちんと伝わらなかったかもしれぬ。儂の考えが足りなかったな」

 そう呟いて苦笑いを浮かべた信繁は、当惑の表情を浮かべている龍に優しく微笑みかけた。

「……まあ、とにかく、龍姫を我が屋敷に誘ったのは、世辞でも冗談でもない。気の向いた時に参られるが良い。儂は不在かもしれぬが、我が妻と綾が、そなたの事を心を尽くして持て成すであろう」
「おお、それは良い」

 信繁の言葉に、信廉も大きく頷く。

義姉上あねうえ……桔梗殿の手料理は絶品であるからな。期待して損は御座らぬぞ。……まあ、あまりに美味すぎるので、ついつい食べ過ぎぬように気を付けねばならぬがな」

 そう言うと、信廉は自分の膨らんだ腹を叩いてみせた。

「さもないと、この私のようにブクブクと肥え太ってしまいますからなっ」
「ふふっ……はい、畏まりました」

 おどけた調子の信廉の言葉に思わず吹き出しながら、龍は嬉しそうに大きく頷いたのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

電子の帝国

Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか 明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...