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第二部九章 慶事
夫と妻
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「龍姫……」
龍の答えを聞いた勝頼は、目を大きく見開いて彼女の顔を凝視した。
彼に見つめられた龍の頬は、まるで朱を差されたかのようにみるみる真紅くなる。
「……」
「……!」
そんな彼女たちを見ていた桔梗は口元を僅かに緩め、綾は期待と不安が入り混じった表情を浮かべて、父の顔を窺い見た。
背筋を伸ばして龍の言葉を聞いた信繁は、瞬きひとつせずに彼女の顔をじっと見つめていたが、詰めていた息を吐きながら「……うむ」と頷いた。
「龍姫……そなたの気持ちは分かった。――お主も、確と聞いたな?」
「……はい」
信繁の問いかけに、勝頼は静かな声で答える。
それに対して小さく頷き返した信繁は、射るような眼差しを彼に向けた。
「四郎、お主の答えは先ほど聞いたが、改めて訊くぞ」
「はい」
「――龍姫の想いに対して、お主はどう応える?」
「……無論」
そう言った勝頼は、信繁に小さく頭を下げてから、体を龍姫の方に向ける。
「――龍姫」
慌てて袖で真っ赤になった顔を隠そうとする龍を制するように、勝頼は彼女の名を呼んだ。
その声の響きにハッとした表情を浮かべ、龍は思わず勝頼の顔を見る。
僅かに潤み輝く彼女の視線を真剣な眼差しで受け止め、勝頼ははっきりとした声で言葉を紡いだ。
「私も……貴女と夫婦となりたい」
「……っ!」
「私の嫁に……いや」
一度は言いかけた言葉を途中で切って、軽く首を横に振った勝頼は、はにかみ笑いを浮かべながら言い直す。
「この私を……諏訪四郎勝頼を、貴女の夫として頂けますか?」
「……っ!」
勝頼の返事を聞いた瞬間、丸く見開かれた龍の瞳が、みるみるうちに滲み出た涙で潤んだ。
彼女は、その顔に溢れんばかりの笑みを浮かべると、微かに震えた声で、
「はい……!」
と答え、両手を揃えて床につき、深々と頭を下げる。
「四郎様……これからも、末永く宜しく申し上げます……」
「私の方こそ……宜しくお頼み申します、龍姫」
勝頼も、慌てて威儀を正し、両拳を床について一礼した。
「……話は決まったようだな」
そんなふたりを温かな目で見ながら、満足げに微笑んだ信繁は、裾を払って腰を上げる。
「なれば、善は急げだ。儂はこれより躑躅ヶ崎館へ参る」
「躑躅ヶ崎へ……?」
「四郎と龍姫の心が決まった事を兄上に伝え、婚儀に向けての話を色々と進めねばならぬからな」
訝しげに訊き返した勝頼に、どことなく弾んだ声で答えた信繁は、傍らに控える桔梗に顔を向けた。
「――桔梗、大紋の仕度を頼む」
「はい、畏まりました」
「――昌幸」
「はっ、お供いたします」
桔梗と昌幸は、信繁の言葉に応じて立ち上がる。
ふたりに軽く頷きかけた信繁は、慌てて腰を浮かしかけた勝頼と龍姫の事を目で制した。
「いや、お主らはついてこなくて良い。ここに残っておれ」
「で、ですが、叔父上……」
信繁の指示に、勝頼は当惑の表情を浮かべる。
「これは、私の事ですから、私自身の口からお屋形様に御報告すべきかと……」
「私も、ご一緒に……」
勝頼の言葉に、龍も大きく頷く。
ふたりの顔を見回して口元を綻ばせた信繁だったが、重ねて首を横に振った。
「確かにそうだが、それは今日でなくとも良い。どうせ、明日高遠へ発つ前に兄上たちに挨拶に上がるのであろう? その時で構わぬであろう」
「ですが……」
「とにかく――」
なかなか引き下がらない勝頼の言葉をやや強引に遮った信繁は、龍姫の顔をちらりと見てから言葉を継ぐ。
「今日は、ここでふたりでゆるりと過ごせ。高遠へ戻ったら、龍姫と再び会えるのはだいぶ先の話になるぞ」
「……!」
信繁の言葉にハッとした表情を浮かべ、傍らに座る龍の顔を見た勝頼は、彼女の顔が曇っている事に気付くと、「……相分かりました」と頷いた。
「では……叔父上のお言葉に甘えさせて頂きます」
「うむ。それが良い」
勝頼の返事にニコリと微笑んだ信繁は、顔を上気させて、ひとりぼんやりとしている綾に声をかける。
「綾。この場はお主に任せたぞ」
「……へっ?」
信繁の呼びかけで我に返った綾は、ポカンと口を開けて父の顔を見上げた。
彼女は、言葉の意味を測りかねた様子で首を傾げ、信繁に尋ねる。
「その……任せたって……なにをですか?」
「席を外す儂と桔梗の代わりに、この場を取り仕切ってくれ。頼むぞ」
「え、ええっ?」
父の返事を聞いた綾は、驚愕と当惑で声を裏返した。
「と、とりしきるって……あ、あやがですか?」
「ああ」
狼狽える綾に対し、信繁は大仰に頷く。
「お主は、龍姫の事も四郎の事もよく知っておろう。気心の知れたお主が居てくれた方が、ふたりの気も寛いで話が弾むに違いない」
「その通りです」
桔梗も、クスリと笑いながら信繁に同意し、呆然としている娘に言う。
「綾、おふたりの事、くれぐれもよろしくお願いしますね」
「い、いや……よろしくと言われましても……あやひとりで……」
母の言葉に心細げな声を上げた綾は、部屋から出ていこうとする信繁の後に続こうとした昌幸の背に向け、慌てて呼びかけた。
「き、喜兵衛どのっ! あなたもここに残って、あやといっしょにおふたりの相手をして下さいませ!」
「申し訳ございません、綾様」
顔の筋肉に力を込めて笑いを噛み殺しながら、昌幸は綾に向けて頭を振る。
「拙者は、典厩様のお供を仰せつかっておりますゆえ、綾様のお手伝いをする事が難しゅうございます。大変心苦しくはありますが、ここはおひとりで……頑張って下され」
「いや、ひとりでがんばれって…………そんなぁ……」
昌幸のつれない返事に、思わず情けない声を上げてしまう綾であった……。
龍の答えを聞いた勝頼は、目を大きく見開いて彼女の顔を凝視した。
彼に見つめられた龍の頬は、まるで朱を差されたかのようにみるみる真紅くなる。
「……」
「……!」
そんな彼女たちを見ていた桔梗は口元を僅かに緩め、綾は期待と不安が入り混じった表情を浮かべて、父の顔を窺い見た。
背筋を伸ばして龍の言葉を聞いた信繁は、瞬きひとつせずに彼女の顔をじっと見つめていたが、詰めていた息を吐きながら「……うむ」と頷いた。
「龍姫……そなたの気持ちは分かった。――お主も、確と聞いたな?」
「……はい」
信繁の問いかけに、勝頼は静かな声で答える。
それに対して小さく頷き返した信繁は、射るような眼差しを彼に向けた。
「四郎、お主の答えは先ほど聞いたが、改めて訊くぞ」
「はい」
「――龍姫の想いに対して、お主はどう応える?」
「……無論」
そう言った勝頼は、信繁に小さく頭を下げてから、体を龍姫の方に向ける。
「――龍姫」
慌てて袖で真っ赤になった顔を隠そうとする龍を制するように、勝頼は彼女の名を呼んだ。
その声の響きにハッとした表情を浮かべ、龍は思わず勝頼の顔を見る。
僅かに潤み輝く彼女の視線を真剣な眼差しで受け止め、勝頼ははっきりとした声で言葉を紡いだ。
「私も……貴女と夫婦となりたい」
「……っ!」
「私の嫁に……いや」
一度は言いかけた言葉を途中で切って、軽く首を横に振った勝頼は、はにかみ笑いを浮かべながら言い直す。
「この私を……諏訪四郎勝頼を、貴女の夫として頂けますか?」
「……っ!」
勝頼の返事を聞いた瞬間、丸く見開かれた龍の瞳が、みるみるうちに滲み出た涙で潤んだ。
彼女は、その顔に溢れんばかりの笑みを浮かべると、微かに震えた声で、
「はい……!」
と答え、両手を揃えて床につき、深々と頭を下げる。
「四郎様……これからも、末永く宜しく申し上げます……」
「私の方こそ……宜しくお頼み申します、龍姫」
勝頼も、慌てて威儀を正し、両拳を床について一礼した。
「……話は決まったようだな」
そんなふたりを温かな目で見ながら、満足げに微笑んだ信繁は、裾を払って腰を上げる。
「なれば、善は急げだ。儂はこれより躑躅ヶ崎館へ参る」
「躑躅ヶ崎へ……?」
「四郎と龍姫の心が決まった事を兄上に伝え、婚儀に向けての話を色々と進めねばならぬからな」
訝しげに訊き返した勝頼に、どことなく弾んだ声で答えた信繁は、傍らに控える桔梗に顔を向けた。
「――桔梗、大紋の仕度を頼む」
「はい、畏まりました」
「――昌幸」
「はっ、お供いたします」
桔梗と昌幸は、信繁の言葉に応じて立ち上がる。
ふたりに軽く頷きかけた信繁は、慌てて腰を浮かしかけた勝頼と龍姫の事を目で制した。
「いや、お主らはついてこなくて良い。ここに残っておれ」
「で、ですが、叔父上……」
信繁の指示に、勝頼は当惑の表情を浮かべる。
「これは、私の事ですから、私自身の口からお屋形様に御報告すべきかと……」
「私も、ご一緒に……」
勝頼の言葉に、龍も大きく頷く。
ふたりの顔を見回して口元を綻ばせた信繁だったが、重ねて首を横に振った。
「確かにそうだが、それは今日でなくとも良い。どうせ、明日高遠へ発つ前に兄上たちに挨拶に上がるのであろう? その時で構わぬであろう」
「ですが……」
「とにかく――」
なかなか引き下がらない勝頼の言葉をやや強引に遮った信繁は、龍姫の顔をちらりと見てから言葉を継ぐ。
「今日は、ここでふたりでゆるりと過ごせ。高遠へ戻ったら、龍姫と再び会えるのはだいぶ先の話になるぞ」
「……!」
信繁の言葉にハッとした表情を浮かべ、傍らに座る龍の顔を見た勝頼は、彼女の顔が曇っている事に気付くと、「……相分かりました」と頷いた。
「では……叔父上のお言葉に甘えさせて頂きます」
「うむ。それが良い」
勝頼の返事にニコリと微笑んだ信繁は、顔を上気させて、ひとりぼんやりとしている綾に声をかける。
「綾。この場はお主に任せたぞ」
「……へっ?」
信繁の呼びかけで我に返った綾は、ポカンと口を開けて父の顔を見上げた。
彼女は、言葉の意味を測りかねた様子で首を傾げ、信繁に尋ねる。
「その……任せたって……なにをですか?」
「席を外す儂と桔梗の代わりに、この場を取り仕切ってくれ。頼むぞ」
「え、ええっ?」
父の返事を聞いた綾は、驚愕と当惑で声を裏返した。
「と、とりしきるって……あ、あやがですか?」
「ああ」
狼狽える綾に対し、信繁は大仰に頷く。
「お主は、龍姫の事も四郎の事もよく知っておろう。気心の知れたお主が居てくれた方が、ふたりの気も寛いで話が弾むに違いない」
「その通りです」
桔梗も、クスリと笑いながら信繁に同意し、呆然としている娘に言う。
「綾、おふたりの事、くれぐれもよろしくお願いしますね」
「い、いや……よろしくと言われましても……あやひとりで……」
母の言葉に心細げな声を上げた綾は、部屋から出ていこうとする信繁の後に続こうとした昌幸の背に向け、慌てて呼びかけた。
「き、喜兵衛どのっ! あなたもここに残って、あやといっしょにおふたりの相手をして下さいませ!」
「申し訳ございません、綾様」
顔の筋肉に力を込めて笑いを噛み殺しながら、昌幸は綾に向けて頭を振る。
「拙者は、典厩様のお供を仰せつかっておりますゆえ、綾様のお手伝いをする事が難しゅうございます。大変心苦しくはありますが、ここはおひとりで……頑張って下され」
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