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第二章 サンクトルまで何ケイム?
罠と餓虎
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それからどの位経っただろうか……。
パームは、空を仰ぎ見た。
鬱蒼と茂る木々の葉の隙間から見える空の色は、先程より一段と色褪せてきているように見える。――日没が近いのだろう。
季節は初夏とはいえ、陽の光がまともに射さない樹海の底。早くも肌寒さを感じ始めてきた。
「……このまま、獲物がかからなかったら……明日もするのかなぁ……コレ」
『木に縛り付けられているだけの簡単なお仕事』――ジャスミンは、そう言っていたが、実際縛り付けられっぱなしだと、そんなに……というか、全く簡単じゃないのがつくづく実感される。
「……まず、体に食い込むロープが痛いです。あと、立ちっぱなしなので足が疲れます。何より、緊張の連続で精神力が……」
と、パームは数時間前にジャスミンに強く訴えたのだが、ジャスミンの回答は、
「大丈夫大丈夫~。その内、そういうのが快感に変わるらしいから、もう少し我慢してみてね~」
という、とりつく島も無いものだった。流石に、この巫山戯た答えに、パームは大いに憤慨したのだが、続くジャスミンの、
「いや、誰だっけ……居たじゃん? 背教者に捕らえられて拷問されたけど、耐えきって聖人になった人。それと同じだと思えばいいじゃん。修行の一環よ!」
という言葉に
「確かに……聖コミホルの伝説でありました! ……そうか、これは、あの故事になぞらえた修行だと思えば……!」
と、あっさり説得されてしまった。
なので、今のパームは、半ば自分で望んで、この罠の餌役を引き受けていると言える。聖人と同じ試練を与えてくれたジャスミンに、『信心なんて皆無だと思っていたけど、僕の為に、わざわざ聖人になぞらえた試練を用意してくれるなんて……』と、少しだけ感謝すらしていた。
――ジャスミンが、「あ……マジであるんだ、そんなドMな故事……。へぇ――知らなかった」と、小さく呟いていた事に気付いていなかったから……。
そんなこんなしている内に、ますます陽は傾き、辺りはみるみる薄暗くなる。パームは、流石に心細くなり、落とし穴の底に伏せて、獲物を待っているであろうジャスミンに向かって、声をかける。
「あの、ジャスミンさん。そろそろ、夜になりますので……ロープを外して頂けないですか?」
返事は……無い。
「ジャスミンさーん、聞いてます?」
「…………」
「ジャスミンさ――ん! 居ますかぁ!」
「……………………」
「どうかしたんですか、ジャスミンさ~ん!」
「…………………………グウ」
「――って、寝てるんか――いっ!」
思わず、ツッコミを入れるパーム。
「……というか、困ったな……」
パームは途方に暮れた。このまま、夜になってもジャスミンが起きないとなると、急速に冷え込む樹海で、強制的に立ち続けなくてはいけなくなる。このままでは、夕食の準備も出来な――
――ガサッ……
「!」
何かの物音が、思案に暮れるパームの耳朶を打った。
パームの頭からは、それまでの思考は吹き飛び、その顔には一気に緊張の色が走る。
彼は、物音がした方向――パームが縛られている木の真正面――に目を凝らす。
――ガサ……ガサッ…………パキッ――
何かが草木を踏み分ける音、木の枝を踏み折る音が、確実に近づいてくる――! そして――。
――ぐる…………ぐるるるる…………グルルルルルルルッ――
明らかな、獣の唸り声が……!
「……ッ! じゃ、ジャスミンさん! きま……来ましたよ……!」
パームは、縺れる舌を必死で動かして、ジャスミンに獲物の襲来を知らせるが――相変わらず返事は無い。
――そして、それは、繁る木々の間から、ゆっくりと姿を現した。
そして、その姿を目の当たりにしたパームは……、
(あ、死んだわ……僕たち)
絶望を覚え、死を悟った。
茂みの間からのっそりと現れたそれは、牛ほどもある巨体で、まるで蒼い炎の化身かと見まごう、鮮やかな蒼い縞模様の毛皮に覆われていた。
獰猛さを端的に示しているかのような顔面。その眼は爛々と黄色い光を放ち、口元からは鋭い牙が覗いていた。
――アズール・タイガー。
パームも、その凶名は知っていた。果無の樹海の深奥部を住処としており、普段は滅多に人前に姿を現す事は無い。しかし、ごく稀にコドンテ街道沿いの辺縁部にも出没し、その度に哀れな旅人がその牙の餌食となった。
パームも、アズール・タイガーの犠牲となった者の葬儀に立ち会った経験がある。
捕獲例は皆無、それどころか目撃証言も殆ど無い(目撃した者は高確率で食い殺されるから)が、その蒼い虎の獰猛さは折り紙付きだ。
――そして今、その半ば伝説の存在が、パームの目の前に現れたのだ……。
「……あ……か、かは――」
アズール・タイガーの放つ凄まじい殺気にあてられたパームは、声を出す事も出来ない。ただ、その眼を見開いて、ゆっくりと近づく蒼い虎を凝視するだけだった。――もっとも、ロープでグルグル巻きにされている状態では、元から腕一本動かす事も能わないが――。
「……グルルルルルルル……」
アズール・タイガーは、舌なめずりをしながら、ゆっくりと距離を詰め、そして、ジャスミンの掘った罠の手前まで来た。なお、罠の外周には盛り土がされている。
虎は、盛り土に前足を掛け、盛り土の上に乗りあがった。そして、いよいよ餌に飛びかからんと、その身を縮こませる。
(もう――ダメだ……!)
身動きの取れないパームは、覚悟して、ギュッと目を瞑り、太陽神アッザムと冥神ダレムへの祈りの祝詞を唱える。
――と、その時、
凄まじい落下音が辺りに響いた。
耳を劈く大音声に、パームは思わず祝詞を唱えるのを中断し、恐る恐る目を開いた。
つい先程、アズール・タイガーが上に乗り、パームに飛びかからんとしていた盛り土の一角が、崩れ落ちていた。
――そして、その真下には、崩落した盛り土に足を取られて、落とし穴の底へ転落したアズール・タイガーの姿――!
「よっしゃあっ! 掛かったぁあッ!」
その瞬間、叫びながら、隠れていた落とし穴の隅から飛び出したのは――ジャスミンだった!
パームは、空を仰ぎ見た。
鬱蒼と茂る木々の葉の隙間から見える空の色は、先程より一段と色褪せてきているように見える。――日没が近いのだろう。
季節は初夏とはいえ、陽の光がまともに射さない樹海の底。早くも肌寒さを感じ始めてきた。
「……このまま、獲物がかからなかったら……明日もするのかなぁ……コレ」
『木に縛り付けられているだけの簡単なお仕事』――ジャスミンは、そう言っていたが、実際縛り付けられっぱなしだと、そんなに……というか、全く簡単じゃないのがつくづく実感される。
「……まず、体に食い込むロープが痛いです。あと、立ちっぱなしなので足が疲れます。何より、緊張の連続で精神力が……」
と、パームは数時間前にジャスミンに強く訴えたのだが、ジャスミンの回答は、
「大丈夫大丈夫~。その内、そういうのが快感に変わるらしいから、もう少し我慢してみてね~」
という、とりつく島も無いものだった。流石に、この巫山戯た答えに、パームは大いに憤慨したのだが、続くジャスミンの、
「いや、誰だっけ……居たじゃん? 背教者に捕らえられて拷問されたけど、耐えきって聖人になった人。それと同じだと思えばいいじゃん。修行の一環よ!」
という言葉に
「確かに……聖コミホルの伝説でありました! ……そうか、これは、あの故事になぞらえた修行だと思えば……!」
と、あっさり説得されてしまった。
なので、今のパームは、半ば自分で望んで、この罠の餌役を引き受けていると言える。聖人と同じ試練を与えてくれたジャスミンに、『信心なんて皆無だと思っていたけど、僕の為に、わざわざ聖人になぞらえた試練を用意してくれるなんて……』と、少しだけ感謝すらしていた。
――ジャスミンが、「あ……マジであるんだ、そんなドMな故事……。へぇ――知らなかった」と、小さく呟いていた事に気付いていなかったから……。
そんなこんなしている内に、ますます陽は傾き、辺りはみるみる薄暗くなる。パームは、流石に心細くなり、落とし穴の底に伏せて、獲物を待っているであろうジャスミンに向かって、声をかける。
「あの、ジャスミンさん。そろそろ、夜になりますので……ロープを外して頂けないですか?」
返事は……無い。
「ジャスミンさーん、聞いてます?」
「…………」
「ジャスミンさ――ん! 居ますかぁ!」
「……………………」
「どうかしたんですか、ジャスミンさ~ん!」
「…………………………グウ」
「――って、寝てるんか――いっ!」
思わず、ツッコミを入れるパーム。
「……というか、困ったな……」
パームは途方に暮れた。このまま、夜になってもジャスミンが起きないとなると、急速に冷え込む樹海で、強制的に立ち続けなくてはいけなくなる。このままでは、夕食の準備も出来な――
――ガサッ……
「!」
何かの物音が、思案に暮れるパームの耳朶を打った。
パームの頭からは、それまでの思考は吹き飛び、その顔には一気に緊張の色が走る。
彼は、物音がした方向――パームが縛られている木の真正面――に目を凝らす。
――ガサ……ガサッ…………パキッ――
何かが草木を踏み分ける音、木の枝を踏み折る音が、確実に近づいてくる――! そして――。
――ぐる…………ぐるるるる…………グルルルルルルルッ――
明らかな、獣の唸り声が……!
「……ッ! じゃ、ジャスミンさん! きま……来ましたよ……!」
パームは、縺れる舌を必死で動かして、ジャスミンに獲物の襲来を知らせるが――相変わらず返事は無い。
――そして、それは、繁る木々の間から、ゆっくりと姿を現した。
そして、その姿を目の当たりにしたパームは……、
(あ、死んだわ……僕たち)
絶望を覚え、死を悟った。
茂みの間からのっそりと現れたそれは、牛ほどもある巨体で、まるで蒼い炎の化身かと見まごう、鮮やかな蒼い縞模様の毛皮に覆われていた。
獰猛さを端的に示しているかのような顔面。その眼は爛々と黄色い光を放ち、口元からは鋭い牙が覗いていた。
――アズール・タイガー。
パームも、その凶名は知っていた。果無の樹海の深奥部を住処としており、普段は滅多に人前に姿を現す事は無い。しかし、ごく稀にコドンテ街道沿いの辺縁部にも出没し、その度に哀れな旅人がその牙の餌食となった。
パームも、アズール・タイガーの犠牲となった者の葬儀に立ち会った経験がある。
捕獲例は皆無、それどころか目撃証言も殆ど無い(目撃した者は高確率で食い殺されるから)が、その蒼い虎の獰猛さは折り紙付きだ。
――そして今、その半ば伝説の存在が、パームの目の前に現れたのだ……。
「……あ……か、かは――」
アズール・タイガーの放つ凄まじい殺気にあてられたパームは、声を出す事も出来ない。ただ、その眼を見開いて、ゆっくりと近づく蒼い虎を凝視するだけだった。――もっとも、ロープでグルグル巻きにされている状態では、元から腕一本動かす事も能わないが――。
「……グルルルルルルル……」
アズール・タイガーは、舌なめずりをしながら、ゆっくりと距離を詰め、そして、ジャスミンの掘った罠の手前まで来た。なお、罠の外周には盛り土がされている。
虎は、盛り土に前足を掛け、盛り土の上に乗りあがった。そして、いよいよ餌に飛びかからんと、その身を縮こませる。
(もう――ダメだ……!)
身動きの取れないパームは、覚悟して、ギュッと目を瞑り、太陽神アッザムと冥神ダレムへの祈りの祝詞を唱える。
――と、その時、
凄まじい落下音が辺りに響いた。
耳を劈く大音声に、パームは思わず祝詞を唱えるのを中断し、恐る恐る目を開いた。
つい先程、アズール・タイガーが上に乗り、パームに飛びかからんとしていた盛り土の一角が、崩れ落ちていた。
――そして、その真下には、崩落した盛り土に足を取られて、落とし穴の底へ転落したアズール・タイガーの姿――!
「よっしゃあっ! 掛かったぁあッ!」
その瞬間、叫びながら、隠れていた落とし穴の隅から飛び出したのは――ジャスミンだった!
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