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第三章 酒と泪と色事師と女将

少年神官と美少女……?

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 翌朝――。
 ――と言っても、だいぶ日が高くなってから――。
 目を覚ましたシレネは、寝ぼけ眼を擦りながら、顔を洗おうと、中庭の井戸へと向かう。

(昨日は、色々あったな……)

 果無の樹海での、奇妙な二人連れとの遭遇を、彼女は思い返した。
 彼らのワイン蔵での狼藉のせいで、彼女の睡眠時間は、いつもよりも大分削られてしまった。……おかげで、頭が重い。
 彼女があくびを噛み殺しながら、母屋の扉を開けた――その時、

「し……シレネさんッ!」
「パ、パームくん?」

 シレネは、不意打ちに驚く。
 扉の前に、メガネを掛けた金髪の少年が立っていた。――神官服は、酒と埃でボロボロに汚れており、掛けているメガネのレンズにはヒビが入り、フレームも歪んでいた。
 明らかに、昨日の大暴れのせいだろう。
 パームは、突然、地べたに這い蹲ると、深々と頭を下げた。……昨日も見たやつだ。

「シレネさんっ! この度は、大変申し訳御座いませんでしたっ!」
「……だから、もういいって。昨日、ジャスにも散々されたから、ドゲザソレ
「い、いえっ! その時、僕は酔い潰れてしまっていたので……何か、僕にできる事があれば、何なりと――」

 シレネは、深々と溜め息を吐いた。

「だから、もういいわよ。アナタ達の気持ちはよく分かりました。これからは気を付けてね……これでいい?」
「本当に……本当にスミマセンでした!」
「……というか。発端は、ジャスが君に無理やり呑ませたのがいけないんだからねえ……。パーム君も、半分被害者よね……」
「も――勿体無いお言葉で――!」

 温かい言葉に感激したパームが勢いよく頭を下げた瞬間、掛けていたメガネが、遠心力で吹っ飛び、シレネの足元へ――。

「あ――メガネメガネ……!」
「あ、大丈夫?」

 そう言いながら、足元に転がったメガネを拾う。

「――す、すみません……」
「大分傷んじゃってるわね、メガネ……。フレームもガタガタだし、ヒビ入ってるし。もう新しいのに替えな……い……と――」
「いえ……実は、別に目が悪い訳じゃ無いんで。よく分からないんですが、大教主様に掛ける様に言われてまし――」
「パーム君ッ! ちょっと、顔見せてッ!」
「え……顔でズッッ!」

 目をカッと見開いたシレネは、訝しむパームの顔を鷲掴みにして、強引に上を向かせる。

「いだだだだ! じ……ジレネざん……な、何を……」
「アナタ……これって……!」

 顔を無理やり持ち上げられ、思わず悲鳴を上げるパームの顔をしげしげと眺めて、シレネは唸る。
 ようやく手を離した彼女は、涙目のパームに言った。

「ねぇ、パーム君……さっき言ってたよね? 『僕にできる事があれば何なりと』……って」
「え……? た、確かに言いました……けど」

 ニッコリと笑いかけるシレネに、恐る恐る頷くパーム。
 シレネは、更に満面の笑みを湛えた表情で、その提案……という名のを切り出した。

「あの話……ちょっと、お願いしたい事が出来ちゃったんだけど……」

 ◆ ◆ ◆ ◆

 その日の夜、開店した『飛竜の泪亭』に集まった常連客達。

「はーい! 注も~く!」

 カウンターのシレネが、客達の注意を集める。

「お客の皆に紹介したい人がいま~す!」

 そう言うと、シレネはカウンターの裏に向かって手招きをする。

「お! シレネ! 遂にイイ人が出来たのか?」
「え? ちょっと待ってよ! 俺のプロポーズは断ったのに、そりゃあ無えよ~!」
「あああああ! シレネ姐さんが結婚なんて……死のう」

 阿鼻叫喚の渦が、客達の間に広がる。

「ちょっとちょっと! 何を言ってるのよ~! そんなんじゃないわよ!」

 苦笑しながら否定するシレネは、裏から誰かを強引に引っ張り出してきた。

「……お」
「おお……!」
「おおおおおお!」
「オオオオオオオオッ!」

 その人物の姿を見た客達の間で、今度は歓声の渦が、雪崩の様に広がっていった。
 彼らがどよめくのも無理はない。
 何故なら、彼らの目の前に現れたのは、華奢で可憐な、非常に美しい少女だったからだ。
 肩まで伸びたふんわりと軽くウェーブが掛かった金髪。ぱっちりとした青い瞳は、まるで蒼水晶の様にキラキラと輝いている。
 薄く紅を引いた、ぷっくりとした唇には、柔らかい微笑みを浮かべ、顔の造形も、まるで女神の彫刻が生命を得て動き出したかの様に錯覚する美しさだった。
 彼女が身に纏っているのは、豪奢なドレスなどではなく、お仕着せのメイド服だったが、その清楚な格好が、より彼女の透き通るような美しさを際立たせていた――。
 彼女の姿を目にした男達は皆、初心うぶな少年の様に心をときめかせたのだった。

「今日から、この店で働く事になったフェーンちゃんでーす! はいっ!フェーンちゃん、皆にご挨拶して!」
「え……あ、あの……」

 シレネに突然振られたフェーンは、オロオロと狼狽え、シレネに耳打ちする。

「し……シレネさん! やっぱり、僕にはコレは……」
「……あら、今更? もう遅いわよ、。男の子でしょ? 覚悟を決めなさい」

 シレネは、ニコリと笑って背中を押す。フェーンパームは半泣きだ。

「……でも、男の僕には……恥ずかしいです……。それにもし、お客さんにバレちゃったら――」
「大丈夫よ! その時はその時!」
「そんな適当な……」
「あら、アナタ……朝に自分で言った事を忘れちゃったの? 『僕にできる事があれば』――」
「……もう、分かりましたよぉ……」

 涙目でシレネを見たパームは、コホンと咳払いをすると、客たちの前に顔を上げた。

「あの……ぼく……私は、フェーンと言います! 皆様、宜しくお願いします……わ」
「オオオオオオオオッ!」
「フェーンちゃ~ん! 結婚してくれえ~!」
「愛してる~っ!」

 フェーンの一声で、たちまち店内は興奮と絶叫の坩堝となる。

(……あれ? これ、もしかして、私より人気がある……?)

 シレネは、狂乱する客たちの様子を見て、ふと嫌な推測が頭を掠めた。
 慌てて頭をブンブンと振って、その不吉な考えを振り払う。

「はいはーい! 盛り上がってるところで悪いけど!」

 シレネが、パンパンと手を叩いて、熱狂する客達へ叫ぶ。

「この娘は、まだ15歳だから、おさわり禁止でヨロシク~! ――そこ、ブーイングしない! 出禁にするわよ! ……あ、あと、コレはおさわり禁止以上に守ってほしいんだけどー!」

 シレネは、更に大きな声で注意した。

「この娘に、! コレはホントに宜しくね! 最悪、店が無くなっちゃうから~っ!」 
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