39 / 176
第三章 酒と泪と色事師と女将
色事師と看板娘
しおりを挟む
サンクトルの町を、夜の帳がとっぷりと覆う。
閉店した『飛竜の泪亭』の店内では、カウンター席に座ったシレネが、帳簿をつけながら一人ニマニマとしていた。
本日、『飛竜の泪亭』は、過去最高の売り上げを記録したのだった。しかも、それまでの最高売り上げをダブルスコアでぶっちぎる、圧倒的な数字。シレネの顔が緩むのも致し方なかろう。
その売り上げの立役者である、新人のフェーンは、隣の席に座ったまま、カウンターに突っ伏して寝こけている。
慣れない仕事で、心身共に疲れたのであろう……。その美しくも幼い顔に、ふっと微笑むと、シレネは彼女にフェーンにそっと毛布を掛けてあげた。
と、
「お疲れちゃーん♪」
カウンター裏から、一人の男がふらりと現れた。
彼は、カウンター裏の棚から、手慣れた様子でワインボトルとワイングラスを2脚取り出し、シレネの右隣に座る。
「……ちょっと、ソレ、ウチの売り物なんだけど」
帳簿をつけながら、視線も上げずにシレネは言う。
「まあまあ、固い事言うなって」
ジャスミンは、シレネの小言も意を介さず、ボトルのコルク栓を開け、2脚のグラスに、真っ赤なワインを注ぐ。
カウンターに、熟成されたワインの芳香が漂った。
「良かったじゃん。物凄い客の入りだったな」
「……どうも」
ジャスミンは、ワイングラスを掲げて微笑む。シレネも、やれやれという顔をしながらも、満更でもないような様子で、グラスを持つ。
「……乾杯」
チンッと、グラスが触れる音が、だだっ広い店内に響く。
ジャスミンは、グラスを揺らして香りを楽しんでから、一気にワインを口に含んだ。
一方のシレネは、一口だけ口をつけて、グラスを置く。
「――んー、美味い。さすが、エキセロ産赤ワインの84年もの。味の深さの底が違うわ~」
ジャスミンは、満足げに言うと、ボトルから2杯目を注ぐ。
「だから、他人の店のお酒を勝手に飲まないでよ」
シレネが嗜めるが、責めるような口調でもない。
「……ねえ、あなた、知ってたんでしょう?」
帳簿に売り上げを書き込む手は止めずに、シレネはジャスミンに尋ねた。
「――ん? 何を?」
また一口ワインを呷ってから、ジャスミンは聞き返す。
シレネは、帳簿から目を離すと、左隣を指さして言った。
「この子が、メガネを外したらこんな顔の持ち主だったって事」
「――まあね」
ジャスミンは、ニヤリと笑う。
「――でも、キチンと化粧をしたら、ここまで化けるとまでは、さすがに思わなかったよ」
「うーん……。この子に関しては、メイクはあんまり関係無いかも」
苦笑しながら、シレネは言った。
「おでこの『アッザムの聖眼』だけは、しっかりファンデーションで消したけど、それ以外は、簡単なベースメイクと口紅を引いてあげただけだもの。まだ若いから、肌の瑞々しさが半端なくって、女の私でも羨ましくなったわ……」
「――もし、コイツが女だったら、どうなったかな?」
ジャスミンの問いに、シレネは困った様に微笑った。
「う――ん、多分、国のひとつやふたつは傾けられたかもね」
「おいおい……それじゃまるで、女版『傾城の色事師』じゃないかよ……」
そう苦笑すると、ジャスミンはグラスを呷り、言葉を続けた。
「――俺も同意見だよ」
「そういうあなたは? ――もし、この子が神官じゃなくて、あなたと同じ色事師だったとしたら、何処までいけると思う?」
いたずらっぽく笑うシレネ。ジャスミンは、目を心なしか逸らしながら答える。
「ま――まあ……『天下無敵の色事師』の次くらいにはなれるだろうな……」
「『天下無敵の色事師』にそこまで言わせるって事は、相当なのね、やっぱり……」
「……」
ジャスミンは、苦い顔をして、また1杯、ワインを注いだ。
「……まあ、だからなんだろうな。大教主が、コイツに伊達メガネを付けさせてまで素顔を隠そうとしたのは……」
「――でしょうね」
シレネは、頷く。
「こんな綺麗な顔じゃ、パーム君本人はもちろん、周りの神官達も、修行どころじゃないでしょうからね……」
「そう考えると、コイツも大変な星の下に生まれたと言えるのかな……?」
涎を垂らして、寝こけているパームの顔を見ながら、ジャスミンは呟いた。
「――まあ、俺としては、コイツが俺と同じ道に進まないでくれて良かった……と、心から思うよ」
◆ ◆ ◆ ◆
「さて……帳簿もつけ終わったし、私はもうそろそろ寝るわ」
シレネは、帳簿を片付けながら言った。
「悪いけど、灯りとパーム君をお願いしてもいい?」
「おう」
手を挙げて応えるジャスミン。
シレネは、飲みさしのグラスを左手に取ると、右手の指でグラスの縁を擦ってから、くいっと一気に呷った。
「ごちそうさま――って、どうしたの、ジャス?」
シレネは、ジャスミンが目を見開いて、彼女の指先を見つめているのに気付いて、何気なく尋ねた。
「――あ、いや。……別に」
ジャスミンは、声をかけられた事に、一瞬遅れて気付き、上の空という感じで答えた。
シレネは、彼の様子に首を傾げながら言った。
「ちょっと……。あんまり飲み過ぎないでよ? 大丈夫?」
「あ――ああ、大丈夫……ちょっと考え事をしてた――」
ジャスミンは、そう言うと微笑んだ。
「お休み、シレネ」
「お休みなさい、ジャス」
シレネが、あくびを噛み殺しながら立ち去った後、ジャスミンは難しい顔でグラスを呷る。
そして、小さく呟いた。
「……あの飲み干す時のクセ……まさか……な」
閉店した『飛竜の泪亭』の店内では、カウンター席に座ったシレネが、帳簿をつけながら一人ニマニマとしていた。
本日、『飛竜の泪亭』は、過去最高の売り上げを記録したのだった。しかも、それまでの最高売り上げをダブルスコアでぶっちぎる、圧倒的な数字。シレネの顔が緩むのも致し方なかろう。
その売り上げの立役者である、新人のフェーンは、隣の席に座ったまま、カウンターに突っ伏して寝こけている。
慣れない仕事で、心身共に疲れたのであろう……。その美しくも幼い顔に、ふっと微笑むと、シレネは彼女にフェーンにそっと毛布を掛けてあげた。
と、
「お疲れちゃーん♪」
カウンター裏から、一人の男がふらりと現れた。
彼は、カウンター裏の棚から、手慣れた様子でワインボトルとワイングラスを2脚取り出し、シレネの右隣に座る。
「……ちょっと、ソレ、ウチの売り物なんだけど」
帳簿をつけながら、視線も上げずにシレネは言う。
「まあまあ、固い事言うなって」
ジャスミンは、シレネの小言も意を介さず、ボトルのコルク栓を開け、2脚のグラスに、真っ赤なワインを注ぐ。
カウンターに、熟成されたワインの芳香が漂った。
「良かったじゃん。物凄い客の入りだったな」
「……どうも」
ジャスミンは、ワイングラスを掲げて微笑む。シレネも、やれやれという顔をしながらも、満更でもないような様子で、グラスを持つ。
「……乾杯」
チンッと、グラスが触れる音が、だだっ広い店内に響く。
ジャスミンは、グラスを揺らして香りを楽しんでから、一気にワインを口に含んだ。
一方のシレネは、一口だけ口をつけて、グラスを置く。
「――んー、美味い。さすが、エキセロ産赤ワインの84年もの。味の深さの底が違うわ~」
ジャスミンは、満足げに言うと、ボトルから2杯目を注ぐ。
「だから、他人の店のお酒を勝手に飲まないでよ」
シレネが嗜めるが、責めるような口調でもない。
「……ねえ、あなた、知ってたんでしょう?」
帳簿に売り上げを書き込む手は止めずに、シレネはジャスミンに尋ねた。
「――ん? 何を?」
また一口ワインを呷ってから、ジャスミンは聞き返す。
シレネは、帳簿から目を離すと、左隣を指さして言った。
「この子が、メガネを外したらこんな顔の持ち主だったって事」
「――まあね」
ジャスミンは、ニヤリと笑う。
「――でも、キチンと化粧をしたら、ここまで化けるとまでは、さすがに思わなかったよ」
「うーん……。この子に関しては、メイクはあんまり関係無いかも」
苦笑しながら、シレネは言った。
「おでこの『アッザムの聖眼』だけは、しっかりファンデーションで消したけど、それ以外は、簡単なベースメイクと口紅を引いてあげただけだもの。まだ若いから、肌の瑞々しさが半端なくって、女の私でも羨ましくなったわ……」
「――もし、コイツが女だったら、どうなったかな?」
ジャスミンの問いに、シレネは困った様に微笑った。
「う――ん、多分、国のひとつやふたつは傾けられたかもね」
「おいおい……それじゃまるで、女版『傾城の色事師』じゃないかよ……」
そう苦笑すると、ジャスミンはグラスを呷り、言葉を続けた。
「――俺も同意見だよ」
「そういうあなたは? ――もし、この子が神官じゃなくて、あなたと同じ色事師だったとしたら、何処までいけると思う?」
いたずらっぽく笑うシレネ。ジャスミンは、目を心なしか逸らしながら答える。
「ま――まあ……『天下無敵の色事師』の次くらいにはなれるだろうな……」
「『天下無敵の色事師』にそこまで言わせるって事は、相当なのね、やっぱり……」
「……」
ジャスミンは、苦い顔をして、また1杯、ワインを注いだ。
「……まあ、だからなんだろうな。大教主が、コイツに伊達メガネを付けさせてまで素顔を隠そうとしたのは……」
「――でしょうね」
シレネは、頷く。
「こんな綺麗な顔じゃ、パーム君本人はもちろん、周りの神官達も、修行どころじゃないでしょうからね……」
「そう考えると、コイツも大変な星の下に生まれたと言えるのかな……?」
涎を垂らして、寝こけているパームの顔を見ながら、ジャスミンは呟いた。
「――まあ、俺としては、コイツが俺と同じ道に進まないでくれて良かった……と、心から思うよ」
◆ ◆ ◆ ◆
「さて……帳簿もつけ終わったし、私はもうそろそろ寝るわ」
シレネは、帳簿を片付けながら言った。
「悪いけど、灯りとパーム君をお願いしてもいい?」
「おう」
手を挙げて応えるジャスミン。
シレネは、飲みさしのグラスを左手に取ると、右手の指でグラスの縁を擦ってから、くいっと一気に呷った。
「ごちそうさま――って、どうしたの、ジャス?」
シレネは、ジャスミンが目を見開いて、彼女の指先を見つめているのに気付いて、何気なく尋ねた。
「――あ、いや。……別に」
ジャスミンは、声をかけられた事に、一瞬遅れて気付き、上の空という感じで答えた。
シレネは、彼の様子に首を傾げながら言った。
「ちょっと……。あんまり飲み過ぎないでよ? 大丈夫?」
「あ――ああ、大丈夫……ちょっと考え事をしてた――」
ジャスミンは、そう言うと微笑んだ。
「お休み、シレネ」
「お休みなさい、ジャス」
シレネが、あくびを噛み殺しながら立ち去った後、ジャスミンは難しい顔でグラスを呷る。
そして、小さく呟いた。
「……あの飲み干す時のクセ……まさか……な」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
SSSレア・スライムに転生した魚屋さん ~戦うつもりはないけど、どんどん強くなる~
草笛あたる(乱暴)
ファンタジー
転生したらスライムの突然変異だった。
レアらしくて、成長が異常に早いよ。
せっかくだから、自分の特技を活かして、日本の魚屋技術を異世界に広めたいな。
出刃包丁がない世界だったので、スライムの体内で作ったら、名刀に仕上がっちゃった。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
事務仕事しかできない無能?いいえ、空間支配スキルです。~勇者パーティの事務員として整理整頓していたら、いつの間にか銅像が立っていました~
水月
恋愛
「在庫整理しかできない無能は不要だ」
第一王子から、晩餐会の場で婚約破棄と国外追放を告げられた公爵令嬢ユズハ。
彼女のギフト【在庫整理】は、荷物の整理しかできないハズレスキルだと蔑まれていた。
だが、彼女は知っていた。
その真価は、指定空間内のあらゆる物質の最適化であることを。
追放先で出会った要領の悪い勇者パーティに対し、ユズハは事務的に、かつ冷徹に最適化を開始する。
「勇者様、右腕の筋肉配置を効率化しました」
「魔王の心臓、少し左にずらしておきましたね」
戦場を、兵站を、さらには魔王の命までをも在庫として処理し続けた結果、彼女はいつしか魔王討伐勇者パーティの一人として、威圧感溢れる銅像にまでなってしまう。
効率を愛する事務屋令嬢は、自分を捨てた国を不良債権として切り捨て、再出発する。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ジャングリラ~悪魔に屠られ魔王転生。死の森を楽園に変える物語~
とんがり頭のカモノハシ
ファンタジー
「別の世界から勇者を召喚する卑怯な手口」に業を煮やした堕天使・ルシファーにより、異世界へ魔王として転生させられた大学生・左丹龍之介。
先代・魔王が勇者により討伐されて100年――。
龍之介が見たものは、人魔戦争に敗れた魔族が、辺境の森で厳しい生活を余儀なくされている姿だった。
魔族の生活向上を目指し、龍之介は元魔王軍の四天王、悪魔公のリリス、フェンリルのロキア、妖狐の緋魅狐、古代龍のアモンを次々に配下に収めていく。
バラバラだった魔族を再び一つにした龍之介は、転生前の知識と異世界の人間の暮らしを参考に、森の中へ楽園を作るべく奔走するのだが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる