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第五章 街を取り戻せ!

大教主と副団長

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 「……さて、肩の傷を見せて下さい」

 そう言って、大教主はジャスミンの肩の傷に左手を翳した。
 そして、静かに目を閉じ、聖句を詠唱する。

『蒼き月 レムのきよき眼 宿りし左掌 雌氣しきを放ちて 尸氣しきを払はむ』

 次の瞬間、大教主の左掌が蒼く光り、その淡い光に照らされたジャスミンの左肩の傷がみるみる塞がっていく。

「――どうですか?」

 大教主がニコリと微笑んで言った。

「ああ、さすがだねぇ。パームの時より、治りが早いわ」

 ジャスミンは、感心したように言って、左肩をぐるぐる回す。傷口は跡形も無く、痛みも違和感も全く無い。

「ホッホッホ。私の力もありますが、ジャスミン殿の生命力の高さも治りが早い一因ですな。『ハラエ』は、自らの雌氣しきを相手に流し込み、対象の自己治癒能力生氣……いわゆる生命力を底上げするだけのものですから、対象の生氣しょうきが多い方ほど、効果は高くなります」
「……ふーん?」
「――まあ、下世話な言い方をすれば、“精力絶倫”イコール“生氣が多い”という事ですな」
「あーなるほど! 完全に理解したわ!」

 得たり、と手を叩くジャスミン。

「――取りあえず、助かったぜ、大教主様!」
「ホッホッホ。には間に合ったようですな」

 顎髭をしごきながら、愉快そうに笑う大教主。――と、その細い目がキラリと光り、ジャスミンの背後に鋭い視線を向けた。
 次の瞬間、大教主はジャスミンの肩を掴み、強い力で押しのける。

「う――うわっ!」

 次の瞬間、不意を衝かれてよろけたジャスミンの鼻先を、銀の閃きが掠めた。

「――!」
「……ホッホッホ。さすが、腐っても副団長……。他のヒラ傭兵さん達とは違って、先程の一撃では足りませんでしたか」
「……ふ、ふざ……けるな――! 何なんだ……畜生めが!」

 大教主の言葉に、剣を構えなおしたゲソスが、激しく息を乱しながら毒づく。

「これはこれは、ゲソク様……でしたっけか? アタカードの関所以来ですな……息災でしたか?」
「ゲソスだ、クソ大教主ッ!」

 激昂したゲソスは大きく剣を振りかぶり、今度は大教主を標的にして斬りかかる。

「くたばれぇえええええっ!」
「爺さん! 危ね――!」

 大教主に叫ぶジャスミン。
 大教主は、柔和な笑みのまま、懐に右手を突っ込み、黒い円筒状の何かを取り出す。
 そして、ゲソスの憎しみが籠もった一撃を上半身だけで躱しながら、左掌を円筒の下部に当てた。
 次の瞬間――、円筒の上部から一条の白い光が伸び、凝集して一振りの刀身を形作る。
 そして、その刀身でゲソスの第二撃をハッシと受け止めた。

「な――何だ、ソレはっ!」

 驚愕に満ちたゲソスの叫び。大教主は、鍔迫り合いの形からゲソスの剣を巧みにいなし、体勢が崩れたゲソスの鼻柱に強烈な肘打ちを叩き込むと、素早く飛び退き、距離を取った。

「ぐ……クソォ……」

 膝をつき、鼻を押さえるゲソス。手の間からは夥しい鼻血が滴り落ちる。

「……す、すげえ……」

 ジャスミンは、呆気に取られて、二人の攻防を見ていた。
 前々から、ただ者では無いと感じていたが、大教主が今見せた一連の身体の動き――恐ろしく戦い慣れているのは、戦闘の素人であるジャスミンにすら理解できた。

「――ジャスミン殿」

 ピタリと、白光の刀身をゲソスに向けて油断無く構え、背を向けたまま大教主は声をかけた。

「お――おう」
「貴方が立てた計画は、これからどう推移する予定ですか?」

 大教主の言葉に、ジャスミンは答える。

「それは――本部の地下牢に収監されている神官達を解放するつもりだけど――」
「――ホッホッホ。正解です」

 大教主は、ジャスミンの答えを聞き、満足げに頷く。

「ラバッテリア布教所の神官達の協力を得られれば、住民達への加勢と救護を任せられますからな。――ふむ、それならば……ジャスミン殿、これをお持ちなされ」

 そう言うと、大教主は左手の小指に嵌めていた指輪を外して、ジャスミンに手渡した。

「さすがに、貴方のようなチャラついた遊び人が『助けに来た』とやって来ても、にわかには信用されないでしょうからのぉ。その指輪に刻まれた、大教主の印章を示せば、余計な手間が省けますぞ」
「んだよ……。信用ねえなぁ、俺」

 そうぼやきながらも、指輪をポケットにしまい、ジャスミンは後方の傭兵団本部へ向かって走り出した。

「じゃ、とっとと済ませてくる! 後は任せたぜ、大教主!」
「ホッホッホ。任されましょう」

 背中を向けたまま、鷹揚に返事をする大教主。ジャスミンの軽快な足音が遠ざかる。
 大教主は、白光の剣を構え直した。
 ――彼の握る円筒の柄は、先程から持ちかねる程の熱を帯びており、時折バチバチと火花を散らしている。
 大教主は、それを見て独りごちる。

「――所詮はレプリカ……か」

 は模造品だ。彼がかつて使用していた、聖遺物ロストテクノロジーの一つであるのように、大教主の強大な生氣を質量のある光へと変換組成し、刀身として維持し続けるには、荷がかちすぎているのだ。

(やれやれ……こんな事になるのなら、宝具として奉納などせずに、手元に置いておくべきでしたな……)

 これが、“後悔先に立たず”というやつか――。そんなことわざが脳裏に浮かび、大教主は皮肉げに口の端を歪める。

(この分では、保ってあと二撃といったところかの……)

 ならば、と、大教主は右手に意識を集中させ、柄に先程に倍する雄氣ゆうきを注ぎ込む。
 白い光の刃が、より一層目映く輝き出し、やや反り返った『刀身』がハッキリと形成される。二撃分の雄氣を一撃に集中させ、より強烈な一撃で確実に終わらせる為に。

「……何だよ……何なんだよ、ソレはッ!」

 ゲソスは、剣を大上段に振りかぶったまま、目を剥いて叫んだ。その白い刃が放つ剥き出しの殺気を肌で感じて、ガチガチと歯を鳴らす。

「……貴方も傭兵の端くれなら、お分かりでしょう。素直に投降なされた方が、身の為ですぞ」

 大教主は、先程と変わらぬ好々爺の微笑を浮かべながら、静かに言った。――が、彼の目には、冷酷な光が宿っている。

「……く……クソがあああああああああっ!」

 大教主の眼光に射すくめられたゲソスは、恐怖に耐えかね、絶叫しながら遮二無二無謀な突撃を図った。
 剣の間合いに入るや、振り上げた剣を渾身の力を込めて振り下ろす。

「くたばれええええええっ!」
「……愚かな」

 大教主は、僅かに目を瞑ると、振り下ろされる剣の軌道に白光の刀身を合わせた。
 ――甲高い金属音が、辺りに響いた。
 ゲソスは、信じられない物を見る目で、真っ二つに切断された己の剣の先を凝視した。次いで、己の頭上に掲げられた目映い白い光の太刀に視線を移し、数瞬後に自分を襲う運命を察して、絶望の表情を浮かべる。

「――さようなら」

 大教主は冷酷に一言呟き、躊躇無く鋭い一閃を、ゲソスの脳天目がけて振り下ろした。
 光り輝く刃は、ゲソスの脳天にめり込み――

 パァンッ!

 その寸前――遂に限界を超えた黒い柄が、大教主の手元で乾いた音を立てて破裂し、それと同時に、刀身を形成していた白い光も、四散し跡形も無く消えてしまった。

「ぐッ――!」

 大教主は、顔を顰めて右手を押さえつつ、ゲソスの反撃を怖れて、身を屈める。
 ――しかし、彼からの反撃は無かった。
 大教主は恐る恐る顔を上げると、ゲソスは、額から僅かに血を流しながら、仰向けに倒れて泡を吹いていた。その股の間には黄色い水たまりが出来ていて、仄かに湯気を立てている。
 大教主は、苦笑いしながらゆっくりと立ち上がった。押さえていた右掌を見ると、柄の破片でズタズタに切り裂かれて、血まみれになっている。

「やれやれ……粗悪な模造品で助かりましたな……貴方も……そして、私も」
 
 ……これは、か、それともか?

 ――否。
 恐らくは、
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