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第六章 Fighting Fate

頭痛と洗脳

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 「……フジェイル?」

 アザレアは、その名前を聞くと、目を丸くした。
 ジャスミンは、彼女の様子を見ると、首を傾げる。

「……何で、そんな意外そうな顔をする? ――だって、そうだろ? あの日の朝、ロゼリア姉ちゃんを訪ねてきて、家の中に入ったんだろ? どう考えても、そいつが第一容疑者じゃないのか?」
「……え? で、でも……? え……?」

 アザレアの顔には、戸惑いと狼狽がありありと表れている。

「……でも! アイツじゃ無いもの! グリティヌスが仇だって……私は……ずっと……! 他に考えられない……もの」

 そう叫びながら、彼女は両手で頭を抱える。

「……フジェイルが……姉様……を? ううん……そんな訳は――でも……でも……確かに……く……ううっ! 頭が――痛……!」
「――!おい、アザリー! 大丈夫か……?」

 混乱の極みに達し、蹲ってしまったアザレアを心配して、肩を揺すって声をかけるジャスミン。

「しっかりしろ、どうした?」
「……姉様を殺したのは……グリティ……ヌス……いや、違う……違うの? フジェイル……でも、あの人は……そんな事は……言わな……痛ッ!」
「? 本当に、どうしたんだよ……アザリー?」
「うあ……ああああああああああああっ!」
「アザリー!」

 頭を掻きむしりながら、激しく悶絶するアザレアを、咄嗟に抱き締める。

「くそっ……何なんだよ、一体……。何にそんなに苦しまされてる――?」
「――ジャスミン殿、恐らくそれは……」

 背後からかけられた声に、ジャスミンは振り返らずに答える。

「――何? 爺さん大教主……何か心当たりでもあるの?」
「ええ……」

 頷く大教主の顔は、珍しくどこも笑っていない。

「あああああああああっ! ――姉様、姉様ぁあああっ!」
「――その前に。パーム!」
「あ――はいっ!」

 大教主に名前を呼ばれて、後ろに控えていたパームが、慌てて前に出た。
 パームは、大教主からアイコンタクトを受けると、アザレアとジャスミンの傍らへ行き、片膝をついた。

「――ジャスミンさん。そのまま、シレネさんを押さえておいて下さい」

 パームはそう告げると、ジャスミンの返事も聞かずに、アザレアのうなじに右手を翳し、目を閉じた。

『ブシャムの聖眼 宿る右の掌 紅き月 わが雄氣ゆうきもて 生氣しょうきを静めん』

 彼が聖句を唱えると、右手の“ブシャムの聖眼”が仄かに紅く光った。
 と、ジャスミンの腕の中で激しく藻掻いていたアザレアの力がフッと抜ける。そして、ぐったりとして、ジャスミンにもたれかかった。

「うおっ……! お、おい、パーム! お前、何をした?」
「……ごく少量の雄氣を、シレネさんの荒ぶる生氣に当てて干渉させました。――大丈夫です。眠っているだけですから」

 パームは、立ち上がりながら、囁くように言った。
 大教主も、軽く頷いた。

「……ひとまず、シレネさん――いや、アザリーさんでしたかな? 彼女を上にお連れしましょう。……詳しい話は、それからで」

 ◆ ◆ ◆ ◆

 「……洗脳?」

 ギルド庁宿舎のベッドに寝かせたアザレアの紅い髪を撫でながら、ジャスミンは訝しげに聞き直した。

「左様」

 大教主は頷く。

「より正確に言えば、記憶操作ですかの……。アザリー……アザレアさんが、盲目的にチャー団長をお姉さんの仇だと信じ込む様に、強い暗示をかけた――そう考えるのが妥当だと」
「……何で、そんな事を?」
「……彼女の目を、真犯人から逸らす為でしょうな……。記憶全体を消したり、記憶の一部を改竄かいざんする手もありますが、その分矛盾が出やすくなる。それよりは、記憶はそのままにし、ただ、真犯人に繋がる思考だけを遮断する」

 大教主は、その細い目をますます細めて、言葉を継ぐ。

「……アザレアさんご自身では、思考の不自然に気付く事は無く、他の人間にもおいそれと打ち明ける様な類の話ではありませんから、彼女の抱える思考の矛盾には気付くべくもない」
「アザリーの過去をよく知る俺以外は……て事か」

 ジャスミンは呟くと、アザレアの寝顔を見つめた。
 大教主は、憂いを浮かべた表情で、話を続ける。

「恐らく、彼女は2回、異なるアプローチで記憶を弄られているかと思われます。まず、彼女の記憶から、真犯人を推測する為の思考の鎖の分断。――そして、とにかくチャー団長を真犯人だと強く思い込ませる為の、思考の刷り込み……」

 大教主は、水差しからコップに水を注ぎ、飲み干してから言葉を継いだ。

「その2回の記憶操作によって、アザレアさんの中で平衡を保っていた心が、先程ジャスミン殿に矛盾を指摘され、『真犯人が他にいて、チャーではない』という事実を理解した心と、『真犯人はチャーだ』という刷り込まれた思い込みとが互いにぶつかり合い、彼女の心を混乱させた――というのが、先程のアザレアさんの取り乱しの原因でしょう」

 部屋の中を、重い沈黙が覆った。

「誰が……! 誰がそんな非道い事を?」

 憤りながら口を開いたのは、パームだった。 

「――決まってるだろ? だよ」

 答えたのはジャスミンだった。彼は、そっとアザレアの頬に手を当てる。弾力のある彼女の頬は、ひんやりと冷たい。そして、幾筋もの涙の跡が残っていた。

「……これは、行かなきゃいけなくなったな」

 彼は、静かにそう呟いた。その黒曜石の瞳には、静かな怒りの光が瞬いていた。
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