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第七章 夜闇が言い訳をしている
夜闇と人影
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「痛い痛い痛い! ちょっとぉ! きつく締めすぎよぉん! この下手くそ!」
「五月蠅い! 黙ってろ!」
アザレアが、地下牢に収監されていたチャー団長を襲撃してから5日後の深夜。
囚われのチャーは、縛り上げられた上で、アタカードから派遣された騎士達に周りをガッチリと囲まれながら、地下牢を出された。彼は、これからチュプリまで護送され、そこでバルサ国王によって直々に裁かれる予定だ。
本来なら、己の前途を悲観して絶望していてもおかしくないのだが、彼はウキウキとしていて、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「――何を浮かれた顔をしておるんじゃ、このオークもどきが!」
護送の様子を見届ける為に立ち会っている、サンクトルギルド長が、チャーに向かって苦々しげに吐き捨てた。彼は、サンクトルが解放された日に、幽閉されていた尖塔から救出され、乱れたサンクトルの治安維持とギルド庁の活動正常化に力を尽くしている。
チャーは、ギルド長の顔を見ると、その醜い顔をますます醜く歪める。
「あらぁん、これはこれはギルド長。よくも、優しくしてやった恩を仇で返してくれたわねん。後で覚えてなさいよぉん!」
「何が優しくしてやっただ。 サンクトルをメチャクチャにしおって! バルサ王から極刑の沙汰が下るのを恐々としながら待つがいい!」
「ブフフン!」
毅然と言い放つギルド長を鼻で笑い飛ばすチャー。
「恐々としながら待つのは、アンタの方よぉん」
「な……何だと?」
「バルサ王は、アタシにはゼッタイに手出しできないわ。逆にアンタは、アタシにこんな仕打ちをした事を、心の底から後悔する事になるのよぉん。――せいぜい首を洗って待ってなさぁい♪」
チャーは、そう言い放つと、当惑した顔のギルド長を嘲笑い、悠々と去っていった。その姿は、“騎士達に護送されて”と言うよりも、“騎士達を引き連れて”と言った方がしっくりくるような、実に堂々としたものだった。
チャーを乗せた粗末な馬車は、四方を騎士達に囲まれながら、聖ガブレウシム凱旋門を抜けて、夜の闇の中、コドンテ街道を東へ進む。
やがて、夜の闇が一層暗くなる。果無の樹海に入り、街道の左右をすっぽりと樹海の木々が覆い尽くしたからだ。
先導する騎士が持つ松明の明かりだけを頼りに、馬車と騎馬は、そのスピードを緩めながら進んでいく。
「――! 止まれ、止まれ―い!」
――突然、先頭を走る騎士が大声で叫んで、松明を大きく横に振った。馬車の御者と騎乗の騎士達は、慌てて手綱を引く。
「どうした!」
後方につけていた護送団の隊長が、騎馬を進め、先頭の騎士の元に向かう。
先頭の騎士は、戸惑った様子で振り返る。
「はっ! 隊長殿……前方に人が立っていて……」
「人……? そりゃ、ここは公共の街道だ。旅人も歩いていて当然だろうが。何を訝しむ?」
隊長は、騎士の報告に、呆れた顔で返す。
「し……しかし、我々が近づいても、街道の中央で微動だにせず立ち続けておりまして……何やら様子が……」
松明の炎に照らし出された騎士の顔は、当惑に満ちていた。隊長は、その顔を見て大きくため息を吐く。
「……しょうがない奴だな。近づいてもどかないなら、直接言ってどいてもらうか、無理やりどかせれば済む話だろうが。……もういい。私が言う」
そう伝えると、騎士から松明を受け取り、騎乗のまま、ゆるゆると前方へと進む。
――確かに、道の中央に、ゆったりとした黒いローブを纏った人影が立っていた。頭からすっぽりと黒いフードを被っていて、顔は見えない。
「おい、邪魔だ。退け」
隊長は、人影に向かって尊大な口ぶりで言った。――だが、人影は微動だにしない。
「……おい! 聞こえておらんのか、貴様!」
無反応な相手の態度に眉を顰めた隊長は、声を荒げた。威嚇の意も込めて、剣の柄に手をかけながら騎馬を寄せる。
「…………」
「貴様、何か言えぃ!」
尚も沈黙を続けるローブの人物に、苛立った隊長は剣を抜き、その刃先を人物の顎に当て、強引に顔を上げさせる。
「……お、女?」
――しかも、妖艶な程に美しい……。松明に照らし出された彼女の顔を一目見て、隊長は絶句した。
キラキラと輝くサファイアを彷彿とさせる切れ長の目に、蠱惑的な魅力を湛えた唇。すらりと伸びた鼻梁。青磁のように白く、きめ細かい肌――。
まるで、古今東西全ての美術家が求め、再現できなかった“美”そのものが、ここに顕在化したかのようだった。
と、彼女の口元が微かに動いた。
「…………の……か?」
「――ん? な、何か言ったか?」
彼女の美しさにあてられて、若干上気した声で、隊長は聞き返した。
彼女は無表情のまま、同じ言葉を繰り返す。
「――これは、ダリア傭兵団副団長チャーの護送馬車か?」
「――! き……貴様、何故それを知っている!」
彼女の言葉を耳にした瞬間、隊長は我に返った。
何故、秘密裏に進めたチャーの護送の事を、この女は知っている!
隊長は、松明を高く掲げて後方の騎士達へ合図し、それを受けて、騎士達が一斉に抜剣した。
鞘走りの金属音が樹海の静寂を破る。
「答えよ! 貴様は、何者だっ!」
隊長は、騎馬を後退させ、女との間合いを離しながら大声で誰何する。
――女は、その問いに答える代わりに、頭のフードに手をかけ、ゆっくりと脱いだ。
フードに隠されていた、豊かな頭髪が零れ落ちる。
――繊細な糸の如き、長く美しい銀の髪が。
「五月蠅い! 黙ってろ!」
アザレアが、地下牢に収監されていたチャー団長を襲撃してから5日後の深夜。
囚われのチャーは、縛り上げられた上で、アタカードから派遣された騎士達に周りをガッチリと囲まれながら、地下牢を出された。彼は、これからチュプリまで護送され、そこでバルサ国王によって直々に裁かれる予定だ。
本来なら、己の前途を悲観して絶望していてもおかしくないのだが、彼はウキウキとしていて、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「――何を浮かれた顔をしておるんじゃ、このオークもどきが!」
護送の様子を見届ける為に立ち会っている、サンクトルギルド長が、チャーに向かって苦々しげに吐き捨てた。彼は、サンクトルが解放された日に、幽閉されていた尖塔から救出され、乱れたサンクトルの治安維持とギルド庁の活動正常化に力を尽くしている。
チャーは、ギルド長の顔を見ると、その醜い顔をますます醜く歪める。
「あらぁん、これはこれはギルド長。よくも、優しくしてやった恩を仇で返してくれたわねん。後で覚えてなさいよぉん!」
「何が優しくしてやっただ。 サンクトルをメチャクチャにしおって! バルサ王から極刑の沙汰が下るのを恐々としながら待つがいい!」
「ブフフン!」
毅然と言い放つギルド長を鼻で笑い飛ばすチャー。
「恐々としながら待つのは、アンタの方よぉん」
「な……何だと?」
「バルサ王は、アタシにはゼッタイに手出しできないわ。逆にアンタは、アタシにこんな仕打ちをした事を、心の底から後悔する事になるのよぉん。――せいぜい首を洗って待ってなさぁい♪」
チャーは、そう言い放つと、当惑した顔のギルド長を嘲笑い、悠々と去っていった。その姿は、“騎士達に護送されて”と言うよりも、“騎士達を引き連れて”と言った方がしっくりくるような、実に堂々としたものだった。
チャーを乗せた粗末な馬車は、四方を騎士達に囲まれながら、聖ガブレウシム凱旋門を抜けて、夜の闇の中、コドンテ街道を東へ進む。
やがて、夜の闇が一層暗くなる。果無の樹海に入り、街道の左右をすっぽりと樹海の木々が覆い尽くしたからだ。
先導する騎士が持つ松明の明かりだけを頼りに、馬車と騎馬は、そのスピードを緩めながら進んでいく。
「――! 止まれ、止まれ―い!」
――突然、先頭を走る騎士が大声で叫んで、松明を大きく横に振った。馬車の御者と騎乗の騎士達は、慌てて手綱を引く。
「どうした!」
後方につけていた護送団の隊長が、騎馬を進め、先頭の騎士の元に向かう。
先頭の騎士は、戸惑った様子で振り返る。
「はっ! 隊長殿……前方に人が立っていて……」
「人……? そりゃ、ここは公共の街道だ。旅人も歩いていて当然だろうが。何を訝しむ?」
隊長は、騎士の報告に、呆れた顔で返す。
「し……しかし、我々が近づいても、街道の中央で微動だにせず立ち続けておりまして……何やら様子が……」
松明の炎に照らし出された騎士の顔は、当惑に満ちていた。隊長は、その顔を見て大きくため息を吐く。
「……しょうがない奴だな。近づいてもどかないなら、直接言ってどいてもらうか、無理やりどかせれば済む話だろうが。……もういい。私が言う」
そう伝えると、騎士から松明を受け取り、騎乗のまま、ゆるゆると前方へと進む。
――確かに、道の中央に、ゆったりとした黒いローブを纏った人影が立っていた。頭からすっぽりと黒いフードを被っていて、顔は見えない。
「おい、邪魔だ。退け」
隊長は、人影に向かって尊大な口ぶりで言った。――だが、人影は微動だにしない。
「……おい! 聞こえておらんのか、貴様!」
無反応な相手の態度に眉を顰めた隊長は、声を荒げた。威嚇の意も込めて、剣の柄に手をかけながら騎馬を寄せる。
「…………」
「貴様、何か言えぃ!」
尚も沈黙を続けるローブの人物に、苛立った隊長は剣を抜き、その刃先を人物の顎に当て、強引に顔を上げさせる。
「……お、女?」
――しかも、妖艶な程に美しい……。松明に照らし出された彼女の顔を一目見て、隊長は絶句した。
キラキラと輝くサファイアを彷彿とさせる切れ長の目に、蠱惑的な魅力を湛えた唇。すらりと伸びた鼻梁。青磁のように白く、きめ細かい肌――。
まるで、古今東西全ての美術家が求め、再現できなかった“美”そのものが、ここに顕在化したかのようだった。
と、彼女の口元が微かに動いた。
「…………の……か?」
「――ん? な、何か言ったか?」
彼女の美しさにあてられて、若干上気した声で、隊長は聞き返した。
彼女は無表情のまま、同じ言葉を繰り返す。
「――これは、ダリア傭兵団副団長チャーの護送馬車か?」
「――! き……貴様、何故それを知っている!」
彼女の言葉を耳にした瞬間、隊長は我に返った。
何故、秘密裏に進めたチャーの護送の事を、この女は知っている!
隊長は、松明を高く掲げて後方の騎士達へ合図し、それを受けて、騎士達が一斉に抜剣した。
鞘走りの金属音が樹海の静寂を破る。
「答えよ! 貴様は、何者だっ!」
隊長は、騎馬を後退させ、女との間合いを離しながら大声で誰何する。
――女は、その問いに答える代わりに、頭のフードに手をかけ、ゆっくりと脱いだ。
フードに隠されていた、豊かな頭髪が零れ落ちる。
――繊細な糸の如き、長く美しい銀の髪が。
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