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第九章 Lakeside Woman Blues

月と本気

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 村を挙げての大祝宴に湧くファジョーロ村。
 祝宴会場の中央広場から離れた、村唯一の宿屋『レムの揺り籠亭』。宴会の喧騒が風に乗って微かに聴こえる二階の一室で、ジャスミンは昏々と眠り続けていた。
 その傍らで、ランプの明かりの下で、あかがね色の表紙の本を静かにめくるのは、アザレアだった。
 彼女は、顔を上げると窓の外に目を遣り、ふと呟く。

「……もう、こんなに暗くなってたんだ……」

 本に夢中で、時間が経つのを忘れていたらしい。彼女は立ち上がると、読みさしの本に栞を挟んで、傍らのローテーブルの上に置いた。
 そして、ジャスミンの額に乗せたタオルを取り、枕元の桶に満たした水に浸す。タオルをきつく絞って彼の額に乗せ直そうとして――、彼女の手が止まる。
 しばらくの間、アザレアはジャスミンの寝顔を覗き込んだ後、

「――おい」

 彼の頬を軽く叩いた。

「…………」

 が、ジャスミンは微動だにせず、固く目を瞑ったままだ。
 アザレアは、なおもジーッと彼の顔を観察していたが、

「はあ……」

 と溜息を吐くと、持っていた濡れタオルでジャスミンの鼻と口を塞いだ。そして、声をかけずに、彼の様子を観察し続ける。

「……」
「……」
「…………ブ……」
「…………」
「……ぶ、ブハアアアアッ! こ、殺す気か、アザリーッ!」

 窒息しかかったジャスミンが、顔を真っ赤にして跳ね起きた。
 アザレアは、その様子を冷ややかなジト目で見届ける。

「おはよう、ジャス……やっぱり、してたのね、貴方」
「だ――だからって……ひど……ひどいぞぉ~!」

 涙目で抗議するジャスミンの様子に、クスリと微笑んだアザレアは、椅子に腰を落とした。

「ずっと寝たふりしてる貴方が悪いのよ。――でもまあ……意識が戻って良かったわ、ジャス……」

 (あのまま起きなかったら、って思ったら……)という言葉はグッと飲み込んで、彼女は水差しからコップに水を注いで、ジャスミンに差し出す。

「……でも、何で、ずっと寝たふりしてたのよ」
「心配した?」
「は? だ、誰がよ? 私が? そ、そんな訳ないじゃない! あ……あのまま死なれたら、私がトドメを刺したみたいになって、目覚めが悪いって……そ、それだけよ!」
「ふーん……」
「な……何よ、そのニヤニヤ笑い!」
「いや、べーつーにー」

 狼狽するアザレアの様子を見ながら、顔が緩みっぱなしのジャスミン。

「し……質問に答えなさいよっ!」

 アザレアは、顔を紅く染めて、目を逸らしながらもう一度聞く。
 その問いかけに、ジャスミンは大きく伸びをしながら答えた。

「いや……だって、目ぇ醒ましたら、あの祝賀ぱーてーに強制連行されちまうじゃん。嫌だよ」
「……そうなんだ。てっきり、ああいう馬鹿騒ぎが大好きなのかと思ってたけど」

 意外そうな顔をするアザレアに、ブンブンと首を横に振るジャスミン。

「嫌だよ。いや、パーティー自体は好きだよ。サンクトルの時みたいな、盛大で豪華で、可愛い娘がいっぱい居るパーティーならさ」

 そう言うと、ジャスミンは立ち上がり、窓を開けて夜の涼しい風を全身に浴びる。

「……でもさ、こんな小さな村のぱーてーじゃ、そこら辺は絶望的じゃん。どうせ、豆づくしの素朴な料理に、飲むモンといえば、あの後味最悪の豆酒だろ?」
「……ま、多分そうでしょうね」
「だったら、寝たフリでぱーてーをバックレてさ……」

 そう言って、彼はアザレアの方に向き直って、彼女の耳元に口を寄せると、静かな声で囁いた。

「……アザリーと一緒に、綺麗な月でも眺めてた方がずっと良いと思ってさ」
「――え? は……はっ?」

 唐突に甘く囁きかけられて、アザレアは耳の先まで真っ赤になった。

「……アケマヤフィトで別れてから、ずっと探してた」
「……ジャス――」
「サンクトルで再会してから、ずっと言いそびれてたけど……また会えて嬉しいよ、アザリー……」

 ジャスミンは、その黒曜石の瞳を微かに潤ませ、ルビーの様な真紅の瞳をじっと見つめる。
 そして、彼女の顎を指で支え持ち、自分の顔をゆっくりと寄せていく――。

「……ジャ、ジャス……?」

 戸惑うアザレアの唇を、自分の唇で塞ごうと――
 する寸前に、ジャスミンの顔は、彼女の手で押し退けられた。

「……あら?」
「……こ……この村に若い女の子が居ないからって、私を……!」
「……は?」

 アザレアは、強めの口調でそう言うと、彼の胸を押して身を離した。

「え? あ、あの……違う、違うんだけど――」
「……私、もう行くから!」
「ちょ、待てよ――」

 慌ててジャスミンが引き止めようとしたが、時既に遅し。アザレアは、目にも止まらぬ早さで部屋の扉を開けて、脱兎の如き早さで走り去っていった。

「…………あーあ……」

 ひとり、部屋に取り残されたジャスミンは、大きく息を吐くと、ベッドに倒れ込んだ。
 ベッドに仰向けになって、ボーッと天井を見つめながら、彼は独りごちる。

「あー……これが……『色事師の因果応報』ってヤツかな……? どうでもいい時には上手くいくのに、本気マジな時に限って、それが裏目に出る……ってか」

 そして、額にかかる前髪を掻き上げながら、空にポツンと浮かぶ紅い月を見上げ、苦笑いを浮かべた。

「――皮肉なもんだぜ、まったく」
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