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第九章 Lakeside Woman Blues
【回想】制圧と防衛
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今から遡る事、十年前――
クレオーメ公国首都バスツールから、北へ150ケイムほど行った、峻険なザナト山脈の麓にある地方都市アケマヤフィトには、その日も変わらず雪が降っていた。
アケマヤフィトの端――いわゆるスラム街と化していた西ダイサジェラルド地区で発生した、一軒の小さな家が全焼した事件が発生してから3日が経過したが、憲兵らによる現場検証と捜査は遅々として進まないまま、突然打ち切られた。
人間の掃きだめに等しいスラム街の一角で発生したから――、という訳では無い。
それどころでは無くなったのだ――。
◆ ◆ ◆ ◆
「何だよ、うるせえな! そんな勢いで叩かれたら、ぶっ壊れちまうだろ……うが……?」
自宅の粗末な扉を乱暴にノックされ、苛つきながら開けたジャスミンは、扉の前に立っていた完全武装の兵士の姿に目を丸くした。
「お前が、ジャスミンだな」
兵士は、抑揚の乏しい低い声で誰何した。
「……人に名前を尋ねる時は、先ず自分から名乗――グゥッ!」
ジャスミンの人を喰った答えは、途中で苦悶の呻き声に代わる。兵士の膝蹴りが、ジャスミンの鳩尾にまともに入ったからだ。
兵士は、小さな身体をくの字に曲げて嘔吐するジャスミンの襟首を掴んで無理やり立たせると、血走った目で睨みつける。
「おい、小僧。口のきき方に気をつけろ。――お前は、これからアケマヤフィト防衛隊の一員だ」
「――は? ぼ……防衛隊……? な、何だそ――ガッ!」
「――口のきき方に気をつけろと言ったはずだぞ」
拳でジャスミンの頬を殴りつけて黙らせた兵士は、彼を小脇に抱えたまま、連れて行こうとする。
「――グリティヌス総督の行状を聞きつけて、中央からアケマヤフィト制圧の勅令が下されたとの話だ。既に総督は、大公の手の者によって拘束されたらしい」
「せ……制圧? 制圧って、軍隊が来る……って事?」
「……まあな」
兵士は、言葉少なに頷く。面頬の隙間から覗く兵士の顔は、辺りに降り積もった雪と同じ色をしていた。
「ちいとやり過ぎて、バスツールの灰雪宮のお偉いさんのご機嫌を損ねちまったって事だろ。もう、総督だけじゃ無く、アケマヤフィト政庁の人間全ての首をすげ替える意気込みらしい……」
「そ……そんな! そんなん、勝ち目無いじゃん! も、もう、さっさと降伏した方が……!」
狼狽した声で、ジャスミンは叫んだ。――無理も無い。
制圧の勅令が下されたという事は、公国全てがこの小さな地方政令都市に攻めかかってくる、という事と同義だ。最高にして最硬の戦闘力を誇る公国近衛軍――通称『白蜥蜴騎士団』をも動かす可能性すらある。
――無事で済むはずが無い。最悪、アケマヤフィトの街の尽くが灰燼に帰す可能性すら否定できない。
戦う事など考えず、無条件降伏してしまった方が、住民たちが生き残れる可能性はずっと高い。
が――、
「無条件降伏? そんな事ができる訳ないだろう! 武器を捨てて平伏したところで、今まで好き勝手にやってたオレ達総督府の人間は全員、あのヒキガエルと並んで、見せしめとして逆さ磔にされるに決まってる!」
「――そ、そんな事、俺達一般庶民には関係ないだろう! 第一、やりたい放題してたアンタ達が悪いんだから、自業自と――!」
「五月蝿い! この孤児風情が!」
「ぐ――!」
兵士は、再び暴れ始めたジャスミンの鼻柱を拳で殴りつけて黙らせた。路傍の白い雪に、真っ赤な花が咲く。
だが、兵士はそんな事に気を留める事も無く、熱病に浮かされたような虚ろな目で、ブツブツと呟いている。
「……へ、へん……どうせ死ぬんだ……この際、この街の全員を掻き集めて、最後の一人になるまで抵抗してやるんだ……!美味いモンばっかり食ってる奴らの思い通りになんか……させねえんだ!」
(……狂ってやがる)
ジャスミンは、血の滴る鼻を掌で押さえながら、心の底からゾッとした。
「わ……解っただろう? お前達、アケマヤフィトの住民どもは、一人残らず防衛隊として働いて、一人でも多くの公国勢の生命を奪って……死んでもらう! さっさとついて来い!」
兵士はそう叫ぶと、ジャスミンの襟首を掴み、引きずってでも連れて行こうとする。
ジャスミンは、兵士の強い力に必死で抗いながら懇願した。
「ちょ、ま……待てよ――待って、下さい!」
「あ?」
「家の……家の中に、アザリー……友だ……妹が居るんだ……です! 今のアイツを、ひとりには……出来ない――!」
「知るか、そんなコト」
ジャスミンの懇願にも聞く耳を持たない兵士。と、ジャスミンは、襟首を持つ兵士の指を掴むと、思い切り力を込めて、逆側に折り曲げた。
「あ――あああああアッ! こ、このクソガキィッ!」
「うるせえよ!」
素早く、折られた指の痛みで悶絶する兵士の後ろに回ったジャスミンは、全身の体重を掛けて、兵士の背中に体当たりする。
「お、おおおおおッ?」
兵士は、悲鳴をあげながら、道の脇に積み上げられた捨て雪の山にめり込む。
すかさず、ジャスミンが彼の後頭部を両手で掴んで、頭を雪に深く押し付ける。
「……! ――――ッ! ――……ブ! ――ッ! …………」
激しく抵抗して、雪から顔を上げようとする兵士だったが、重い鎧を着込んでいた事が裏目に出た。じたばたと藻掻くが、だんだんと動きが鈍くなり――ついには動かなくなった。
(や……やった……。いや――殺っちまった……のか?)
ジャスミンは、激しく震える己の手を胸にかき抱きながら、雪の中に埋もれた兵士の身体を見つめる。
数瞬、兵士の傍らで茫然としていたジャスミンだったが、脳裏に、赤毛の少女の顔が浮かび、ハッと我に返った。
(ア……アザリーッ!)
こうしてはいられない。彼女を連れて、一刻も早く、直に戦場になるであろうこの街から脱出しなければ……!
ジャスミンはキッと眦を決すると、踵を返して、自宅へと駆け込んだ――。
クレオーメ公国首都バスツールから、北へ150ケイムほど行った、峻険なザナト山脈の麓にある地方都市アケマヤフィトには、その日も変わらず雪が降っていた。
アケマヤフィトの端――いわゆるスラム街と化していた西ダイサジェラルド地区で発生した、一軒の小さな家が全焼した事件が発生してから3日が経過したが、憲兵らによる現場検証と捜査は遅々として進まないまま、突然打ち切られた。
人間の掃きだめに等しいスラム街の一角で発生したから――、という訳では無い。
それどころでは無くなったのだ――。
◆ ◆ ◆ ◆
「何だよ、うるせえな! そんな勢いで叩かれたら、ぶっ壊れちまうだろ……うが……?」
自宅の粗末な扉を乱暴にノックされ、苛つきながら開けたジャスミンは、扉の前に立っていた完全武装の兵士の姿に目を丸くした。
「お前が、ジャスミンだな」
兵士は、抑揚の乏しい低い声で誰何した。
「……人に名前を尋ねる時は、先ず自分から名乗――グゥッ!」
ジャスミンの人を喰った答えは、途中で苦悶の呻き声に代わる。兵士の膝蹴りが、ジャスミンの鳩尾にまともに入ったからだ。
兵士は、小さな身体をくの字に曲げて嘔吐するジャスミンの襟首を掴んで無理やり立たせると、血走った目で睨みつける。
「おい、小僧。口のきき方に気をつけろ。――お前は、これからアケマヤフィト防衛隊の一員だ」
「――は? ぼ……防衛隊……? な、何だそ――ガッ!」
「――口のきき方に気をつけろと言ったはずだぞ」
拳でジャスミンの頬を殴りつけて黙らせた兵士は、彼を小脇に抱えたまま、連れて行こうとする。
「――グリティヌス総督の行状を聞きつけて、中央からアケマヤフィト制圧の勅令が下されたとの話だ。既に総督は、大公の手の者によって拘束されたらしい」
「せ……制圧? 制圧って、軍隊が来る……って事?」
「……まあな」
兵士は、言葉少なに頷く。面頬の隙間から覗く兵士の顔は、辺りに降り積もった雪と同じ色をしていた。
「ちいとやり過ぎて、バスツールの灰雪宮のお偉いさんのご機嫌を損ねちまったって事だろ。もう、総督だけじゃ無く、アケマヤフィト政庁の人間全ての首をすげ替える意気込みらしい……」
「そ……そんな! そんなん、勝ち目無いじゃん! も、もう、さっさと降伏した方が……!」
狼狽した声で、ジャスミンは叫んだ。――無理も無い。
制圧の勅令が下されたという事は、公国全てがこの小さな地方政令都市に攻めかかってくる、という事と同義だ。最高にして最硬の戦闘力を誇る公国近衛軍――通称『白蜥蜴騎士団』をも動かす可能性すらある。
――無事で済むはずが無い。最悪、アケマヤフィトの街の尽くが灰燼に帰す可能性すら否定できない。
戦う事など考えず、無条件降伏してしまった方が、住民たちが生き残れる可能性はずっと高い。
が――、
「無条件降伏? そんな事ができる訳ないだろう! 武器を捨てて平伏したところで、今まで好き勝手にやってたオレ達総督府の人間は全員、あのヒキガエルと並んで、見せしめとして逆さ磔にされるに決まってる!」
「――そ、そんな事、俺達一般庶民には関係ないだろう! 第一、やりたい放題してたアンタ達が悪いんだから、自業自と――!」
「五月蝿い! この孤児風情が!」
「ぐ――!」
兵士は、再び暴れ始めたジャスミンの鼻柱を拳で殴りつけて黙らせた。路傍の白い雪に、真っ赤な花が咲く。
だが、兵士はそんな事に気を留める事も無く、熱病に浮かされたような虚ろな目で、ブツブツと呟いている。
「……へ、へん……どうせ死ぬんだ……この際、この街の全員を掻き集めて、最後の一人になるまで抵抗してやるんだ……!美味いモンばっかり食ってる奴らの思い通りになんか……させねえんだ!」
(……狂ってやがる)
ジャスミンは、血の滴る鼻を掌で押さえながら、心の底からゾッとした。
「わ……解っただろう? お前達、アケマヤフィトの住民どもは、一人残らず防衛隊として働いて、一人でも多くの公国勢の生命を奪って……死んでもらう! さっさとついて来い!」
兵士はそう叫ぶと、ジャスミンの襟首を掴み、引きずってでも連れて行こうとする。
ジャスミンは、兵士の強い力に必死で抗いながら懇願した。
「ちょ、ま……待てよ――待って、下さい!」
「あ?」
「家の……家の中に、アザリー……友だ……妹が居るんだ……です! 今のアイツを、ひとりには……出来ない――!」
「知るか、そんなコト」
ジャスミンの懇願にも聞く耳を持たない兵士。と、ジャスミンは、襟首を持つ兵士の指を掴むと、思い切り力を込めて、逆側に折り曲げた。
「あ――あああああアッ! こ、このクソガキィッ!」
「うるせえよ!」
素早く、折られた指の痛みで悶絶する兵士の後ろに回ったジャスミンは、全身の体重を掛けて、兵士の背中に体当たりする。
「お、おおおおおッ?」
兵士は、悲鳴をあげながら、道の脇に積み上げられた捨て雪の山にめり込む。
すかさず、ジャスミンが彼の後頭部を両手で掴んで、頭を雪に深く押し付ける。
「……! ――――ッ! ――……ブ! ――ッ! …………」
激しく抵抗して、雪から顔を上げようとする兵士だったが、重い鎧を着込んでいた事が裏目に出た。じたばたと藻掻くが、だんだんと動きが鈍くなり――ついには動かなくなった。
(や……やった……。いや――殺っちまった……のか?)
ジャスミンは、激しく震える己の手を胸にかき抱きながら、雪の中に埋もれた兵士の身体を見つめる。
数瞬、兵士の傍らで茫然としていたジャスミンだったが、脳裏に、赤毛の少女の顔が浮かび、ハッと我に返った。
(ア……アザリーッ!)
こうしてはいられない。彼女を連れて、一刻も早く、直に戦場になるであろうこの街から脱出しなければ……!
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