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第十章 Welcome to the Black Mountain

呼び出しと髪留め

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 リオルスの村は、バルサ王国東端部に位置する、なかなか栄えた村である。歩いて3日程で、国境に至り、その先はクレオーメ公国の領土である。
 更に、その手前には、太古の昔より『死の山』と揶揄され、怖れられ続けていたダリア山が聳えており、あのダリア傭兵団の本拠もその中腹にある。
 リオルスの村は、国境防衛線のひとつである事に加えて、ダリア傭兵団の跳梁を食い止める防波堤の一つとしても重要視されている為、現在はバルサ王国東部師団所属ソレイル騎士団が郊外に駐屯し、ダリア傭兵団とクレオーメ公国両方の動きに目を光らせている。

「意外と、村の皆さんの雰囲気はのんびりしてますね……」

 パームは、人々でごった返す、村のメインストリートの市場通りを歩きながら、キョロキョロと辺りを見回して言った。
 ちょうど、昼下がりの時間帯で、夕食の食材を求める村人たちで、市場通りはなかなかの人だかりとなっていた。

「まあ、傭兵団が出来る前から、常にクレオーメ公国の圧に晒されていた訳だからな。もう、“緊張状態”ってヤツに慣れちゃってんだろ、多分さ」

 興味無さげに言って、露店で買った猪肉の串焼きに齧り付くジャスミン。

「ちょっと……ジャスミンさん、歩きながら食べるとか、行儀が悪いですよ……」

 パームは、眉を顰めて注意する。
 ジャスミンは、五月蠅そうな顔でパームを睨んで、当てつけのように、大口を開けて串焼きを頬張る。

「いいんだよ、こんな辺境の村の市場で、マナーもクソもないだろうさ。――それに、串焼きなんて、食いながら歩く為に創り出された料理なんだよ、多分な」
「まーた、そういう根拠不明な屁理屈を……」

 パームは、ジャスミンに渋い顔をしながら、沿道の店の品揃えに目をやる。

 ファジョーロの村を出たジャスミンたちが、このリオルスの村に辿り着いたのは、5日前の事だ。この村を出れば、目的のダリア山までの間に、人が住む集落は存在しない。彼らは、傭兵団の本拠に乗り込む前に、たっぷりとした休息と食糧品・消耗品の補充をする為に、この村の一番大きな宿屋に逗留している。

「えー……と。携帯用乾パンに、干し肉……。この前割れた鍋の買い換え……。うん、大体揃いましたね」

 パームが、懐から取り出したメモを読み上げて、小さく頷く。

「――これなら、明日にはこの村を出て、ダリア山へ向かう事が出来そうですね」
「えー? もうちょっとゆっくりしてこうぜ。……『大猪の顎亭』のシンシアちゃんが、明日非番らしいんだよぉ。ちょちょいとオトしてくるからさ、出発は明後日……いや、明明後日にしようぜ」
「……『ちょちょいとオトしてくる』って……。女性を、まるでそこら辺の木にってるリンゴみたいに言わないで下さいよ……」

 ジャスミンの言い草に、眉を顰めてジト目で彼を睨むパーム。

「……アザレアさんに言いつけますよ……」
「ちょ! そ、それは反則だろ、お前! ヒキョーだぞヒキョーっ!」

 覿面に慌てて、アタフタするジャスミン。
 と、彼の目が、ある店の軒先に留まった。

「……パーム、ちょっと寄り道していいか?」
「え……? ――小道具屋に、何か用が? て、どーせ、女性の方へのプレゼントでしょ?」
「ま、ね。――これ以上はプライバシーってコトでシクヨロ♪」

 ジャスミンはそう言って片目を瞑ると、鼻歌を歌いながら小さな店の中へと入っていった。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 その日の日没後、アザレアはジャスミンに、村の中央広場へと呼び出された。
 真ん中に小さな噴水がある、石畳の広場には、あちこちでいい雰囲気の男女が、寄り添って愛を囁き合っている。

「……何よ、ジャス。こんな怪しい所に呼び出して」

 と、遅れてやって来たジャスミンに、内心の動悸を隠しながら、アザレアはぞんざいな口調で問い詰める。
 夜の闇で、表情や顔色が分からない事に、アザレアは密かにホッとしていた。

「何だよ、アザリー。顔を合わせた途端に憎まれ口かよ」

 アザレアの言葉に、ジャスミンは苦笑する。

「ま、座りなよ」
「いえ……いいわ。周りの人に誤解されたくないから」
「……つれないなあ」

 ジャスミンは、頭をポリポリ掻きながら、頭上の星空を見上げて、ポツリポツリとといった感じに口を開く。

「まあ、大した用事でもないんだけどさ。――何となく他のふたりに見られるのもアレだったからねえ」

 そう言うとジャスミンは、アザレアの紅の瞳をじっと見つめた。

「アザリーさ……髪の毛、短くなったじゃん」
「え……あ、ええ、まあ……」

 突然、思いがけず髪の毛の話題を触れられて、目を丸くしながら、彼女は自分の髪に触れた。
 彼女の髪は、ファジョーロで水龍と戦った時に、毛髪を媒介に爆発を誘発させる聖句の使用の際に切り取って、歪になった髪型を整える為に、以前よりも大分短く切ってしまっている。

「……だからさ……また髪が伸びるまでに、髪を纏めるものが必要かな~……と、思ってさ」

 そう言うと、ジャスミンは、ズボンのポケットから小さな箱を取り出し、アザレアの前に差し出した。

「これ……買ってみた。――開けてみな」
「え……あ、うん――」

 アザレアは、ジャスミンの言う通り、小箱のフタをそっと開ける。――星の明かりを反射した銀の鈍い光が、丸くした彼女の紅い瞳に映った。

「これって……髪留め……?」
「ま、まあ、そうだね」

 ジャスミンは目を泳がせながら、

「――ぶっちゃけ、アザリーの好みは今イチ分かってなくて……かんっぜんに色事師のカンで選んだデザインだし。……正直、お前が気に入るか、自信が無いんだ、ソレ。……気に入らなけりゃ、質屋に流すなりしてくれても全然構わないから――」
「まさか……質屋になんて流さないわよ……」

 アザレアは、ほんの少し声を震わせて、髪留めを手にし、こめかみの上に留めてみせた。

「……どうかな? ジャス」

 小さなバラの花を模した銀製の髪留めは、彼女の燃えるような紅い髪に良く映えた。
 それを見たジャスミンは、微笑んで頷く。

「うん……思った通りだ。――よく似合ってる」
「――ありがとう、ジャス……」

 アザレアも、優しい微笑みを浮かべる。自分でもびっくりする程、素直に感謝の言葉が口から出てきた。
 ――ジャスミンとアザレアは、互いに見つめ合う。徐々に、ふたりの顔の距離が近づき、そして――、

「あ! ジャスミン様、見付けましたわ~!」

 突然、甲高い声がかけられた。
 アザレアが、声のした方を見ると、いかにも水商売の娘といった風情の、化粧の濃い娘が、眉を吊り上げて仁王立ちしていた。
 ジャスミンも、彼女を見る。――や否や、「ヤべっ!」と小さく叫ぶ。
 娘は、ズカズカ大股でふたりに近づき、ジャスミンの腕を掴んで引っ張った。

「ジャスミン様! 今日はアタシとデートしてくれるって、昨日の晩言ってくれたわよね! なのに、何よ、その女!」
「あ……ケイミーちゃん、ちょっと……ゴメン。今、取り込み中――」
「――あら、先約がいらっしゃったのね! ゴメンなさいね! ――お邪魔虫は、もうお暇しますから……どうぞごゆっくり・・・・・・・・!」

 アザレアはそう言うと、ニッコリと微笑んで・・・・・・・・・、踵を返してふたりから離れていく。
 ジャスミンは、慌てて後を追おうとするが……、

「あ! ちょっと待っ――」
「もう! ジャスミン様っ! 行くわよおっ!」
「あ、いや……ゴメン! ちょっと離し――アザリー、違うんだ! 誤解……ではないけど、――て、いや、そうじゃなくってぇ! おーい、頼むから待って…………」
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