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第十章 Welcome to the Black Mountain
迎えと石コロ
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アザレアは、噴水広場を足早に後にすると、後ろを振り返る事無くスタスタと歩く。――本当は走り去りたい所だったが、何か負けた様な気がするので、意地でも走らなかった。
背後で、ジャスミンが何やら叫んでいた様だが、知った事ではない。とにかく、一刻も早く、この場から立ち去りたかった。
ふと、彼女は、奇妙な事に気が付いた。街灯に照らし出された道が、奇妙にユラユラと歪んで見える。
(あれ? どうしたんだろ……)
アザレアは立ち止まって首を傾げる。
つ……と、彼女の頬に、何か冷たいものが伝うのに気付いた。
(あ……あれ?)
アザレアは当惑しながら、頬に手を当てる。指先がぐっしょりと濡れた。
(え、ウソ? コレ……涙?)
アザレアは、ますます混乱する。――何で私は泣いているんだ?
(まさか、ジャスの事で……?)
――信じられない。あんなに軽薄で、チャラついていて、軽口ばっかり叩いている、タダの幼馴染でしかない男の事で、自分がこんなに心乱されているなんて事は……!
――つと、目を擦る彼女の指が、付けたままだった髪留めに触れる。
「――!」
激情に駆られ、毟り取るように髪留めを外したアザレアは、道の脇に向かってそれを投げ捨てようと振りかぶったが、
「――――ッ!」
そのままの体勢で動作を止め、唇を噛みしめると、俯いて肩を震わせていた。
――どのくらい、そうしていただろうか。
「……誰?」
唐突に、アザレアは俯いたまま、闇に向かって声を発した。
「……」
すると、言葉は発しないまま、彼女の四方を取り囲む様に、漆黒のローブを纏った四つの影が、とっぷりとした闇から溶け出るように現れた。
アザレアは、腰に提げた長鞭の柄を軽く握って、四つの影を睨みつける。
「……女一人だからって、甘く見てると……火傷するわよ。――今の私は、とっっっても機嫌が悪いの」
「……」
彼女の警告にも、言葉を返す事なく、無言のまま間合いを詰めるローブの者達。
アザレアは息を整え、鞭にかけた手を強く握り締め、一気に抜き放――とうとした時に、四つの影が一斉に跪く。
「……え?」
戸惑いの表情を浮かべるアザレア。
そんな彼女に向かって、正面の一人が静かに言葉を発した。
「――お迎えに上がりました、アザレア様」
「…………あ……」
彼らの素性を察したアザレアは、思わず絶句した。
◆ ◆ ◆ ◆
「アザレアさんと、何かあったんですか?」
宿屋で夕食を摂って、部屋に戻ってきたパームは、後から部屋に入ってきたジャスミンに問い質した。
「あ? ベ~ツ~ニ~」
「……いや、明らかに何かありましたよね……」
部屋に入るや否や、ベッドに飛び込んでふて寝するジャスミンをジト目で見やるパーム。
「姐ちゃんも、ずっと陰気な顔で、メシ食ったら何も言わないで部屋に引っ込んじまったもんな」
部屋の床に直に座って、樽酒を呷りながらヒースが言った。
「まぁ、まだまだひよっこの坊っちゃんには解らないだろうが、男女の間にはイロイロあるってこった」
「うっさいわ、この顔面ゴーレムが!」
ヒースの言葉に、苛立って怒鳴るジャスミン。毛布を頭から被って、背中を向けて寝に入ってしまった。
「子供ですか……」
パームが呆れ顔で言うが、ジャスミンは返事しない。
「……これじゃ、明日の出発は無理そうですね」
パームは肩を竦める。
「そうか? 男と女の仲なんてな、放っときゃ勝手に元に戻ってるもんだぜ。一緒に歩いてれば、仲直りするだろうさ」
「……そういうものですかね」
ヒースが言った通り、まだたったの15歳のパームには、「男女の仲」がどうの、という事は良く解らない。ヒースの言う事も合ってるような気もするし、ちょっと違うような気もする……。
「……取り敢えず、僕もお休みさせて頂きますね」
解らない事を、いつまでも考えても仕方が無い――パームはそう考え、ヒースに言った。
ヒースは、鷹揚に片手を上げて「おう」と応える。
パームは、神官服の上衣をハンガーに掛け、ベッドに身を横たえながら、ヒースに声をかける。
「――じゃあ、お休みなさい、ヒースさん。ヒースさんもあまり飲みすぎない様に――」
「――シッ!」
パームの言葉を遮ったのは、先にベッドに入っていたジャスミンだった。
ヒースも、長い耳をひくつかせると、手にしていた小樽をテーブルに置き、椅子に立て掛けていた大棍棒に手を伸ばす。
パームが驚いて振り返ると、いつの間にか起き上がっていたジャスミンが、無ジンノヤイバを握り、左手を柄尻に当てて、いつでも発動できるように構えていた。
パームは、ふたりの様子に目を白黒させながら、恐る恐る口を開く。
「……ど、どうしたんですか、ふたりと――」
「敵だ」
短く答えたのはヒースだ。彼は、テーブルの上のランプの火を吹き消すと、長い耳をそばだてて、ドアの外の様子を窺う。
「二人……いや、三人か?」
「階段を昇りきったな……パーム、服着とけ」
ジャスミンに促され、暗闇の中で、慌てて脱いだ神官服を着直しながら、パームはジャスミンに訊いた。
「ひ、ヒースさんはともかく……何で分かったんですか、ジャスミンさんは?」
「ふふん。色事師たるもの、夜這いに行った先で、旦那に押し入られる事も多いからな。寝込みを襲う系の気配やら殺気には敏感なのだよ」
「……訊いて損しました」
「……来るぞ!」
ヒースの押し殺した叫びと同時に、部屋の扉が、乱暴に蹴り開けられた。
入り口からの闖入者に備えて、構える三人。――だが、予測された者とは全く違うモノが、乾いた音を立てて、部屋に転がり入ってきた。
「こりゃ……石コロ――?」
次の瞬間、入ってきた白い石ころが、ブシューという音を立てながら、夥しい煙を発し始めた。鼻にツンとくる不快な臭い……。
「マズい! この煙を吸うな!」
ヒースの緊迫した声が飛び、パームとジャスミンは、口を押さえて息を止めた。
ジャスミンは、窓を指さす。パームとヒースは、その意図を読み取り、大きく頷いた。
迷っている時間は無かった。白い石から発生した煙の奔流は、瞬く間に部屋の中を白に染め上げている。モタモタしていたら、たちまち肺の酸素を使い尽くす。
(いくぞ!)
三人は、ガラスの嵌まった部屋の窓に向けて突進し、思い切りぶつかってガラスを破り、躊躇なく一階へと飛び降りたのだった。
背後で、ジャスミンが何やら叫んでいた様だが、知った事ではない。とにかく、一刻も早く、この場から立ち去りたかった。
ふと、彼女は、奇妙な事に気が付いた。街灯に照らし出された道が、奇妙にユラユラと歪んで見える。
(あれ? どうしたんだろ……)
アザレアは立ち止まって首を傾げる。
つ……と、彼女の頬に、何か冷たいものが伝うのに気付いた。
(あ……あれ?)
アザレアは当惑しながら、頬に手を当てる。指先がぐっしょりと濡れた。
(え、ウソ? コレ……涙?)
アザレアは、ますます混乱する。――何で私は泣いているんだ?
(まさか、ジャスの事で……?)
――信じられない。あんなに軽薄で、チャラついていて、軽口ばっかり叩いている、タダの幼馴染でしかない男の事で、自分がこんなに心乱されているなんて事は……!
――つと、目を擦る彼女の指が、付けたままだった髪留めに触れる。
「――!」
激情に駆られ、毟り取るように髪留めを外したアザレアは、道の脇に向かってそれを投げ捨てようと振りかぶったが、
「――――ッ!」
そのままの体勢で動作を止め、唇を噛みしめると、俯いて肩を震わせていた。
――どのくらい、そうしていただろうか。
「……誰?」
唐突に、アザレアは俯いたまま、闇に向かって声を発した。
「……」
すると、言葉は発しないまま、彼女の四方を取り囲む様に、漆黒のローブを纏った四つの影が、とっぷりとした闇から溶け出るように現れた。
アザレアは、腰に提げた長鞭の柄を軽く握って、四つの影を睨みつける。
「……女一人だからって、甘く見てると……火傷するわよ。――今の私は、とっっっても機嫌が悪いの」
「……」
彼女の警告にも、言葉を返す事なく、無言のまま間合いを詰めるローブの者達。
アザレアは息を整え、鞭にかけた手を強く握り締め、一気に抜き放――とうとした時に、四つの影が一斉に跪く。
「……え?」
戸惑いの表情を浮かべるアザレア。
そんな彼女に向かって、正面の一人が静かに言葉を発した。
「――お迎えに上がりました、アザレア様」
「…………あ……」
彼らの素性を察したアザレアは、思わず絶句した。
◆ ◆ ◆ ◆
「アザレアさんと、何かあったんですか?」
宿屋で夕食を摂って、部屋に戻ってきたパームは、後から部屋に入ってきたジャスミンに問い質した。
「あ? ベ~ツ~ニ~」
「……いや、明らかに何かありましたよね……」
部屋に入るや否や、ベッドに飛び込んでふて寝するジャスミンをジト目で見やるパーム。
「姐ちゃんも、ずっと陰気な顔で、メシ食ったら何も言わないで部屋に引っ込んじまったもんな」
部屋の床に直に座って、樽酒を呷りながらヒースが言った。
「まぁ、まだまだひよっこの坊っちゃんには解らないだろうが、男女の間にはイロイロあるってこった」
「うっさいわ、この顔面ゴーレムが!」
ヒースの言葉に、苛立って怒鳴るジャスミン。毛布を頭から被って、背中を向けて寝に入ってしまった。
「子供ですか……」
パームが呆れ顔で言うが、ジャスミンは返事しない。
「……これじゃ、明日の出発は無理そうですね」
パームは肩を竦める。
「そうか? 男と女の仲なんてな、放っときゃ勝手に元に戻ってるもんだぜ。一緒に歩いてれば、仲直りするだろうさ」
「……そういうものですかね」
ヒースが言った通り、まだたったの15歳のパームには、「男女の仲」がどうの、という事は良く解らない。ヒースの言う事も合ってるような気もするし、ちょっと違うような気もする……。
「……取り敢えず、僕もお休みさせて頂きますね」
解らない事を、いつまでも考えても仕方が無い――パームはそう考え、ヒースに言った。
ヒースは、鷹揚に片手を上げて「おう」と応える。
パームは、神官服の上衣をハンガーに掛け、ベッドに身を横たえながら、ヒースに声をかける。
「――じゃあ、お休みなさい、ヒースさん。ヒースさんもあまり飲みすぎない様に――」
「――シッ!」
パームの言葉を遮ったのは、先にベッドに入っていたジャスミンだった。
ヒースも、長い耳をひくつかせると、手にしていた小樽をテーブルに置き、椅子に立て掛けていた大棍棒に手を伸ばす。
パームが驚いて振り返ると、いつの間にか起き上がっていたジャスミンが、無ジンノヤイバを握り、左手を柄尻に当てて、いつでも発動できるように構えていた。
パームは、ふたりの様子に目を白黒させながら、恐る恐る口を開く。
「……ど、どうしたんですか、ふたりと――」
「敵だ」
短く答えたのはヒースだ。彼は、テーブルの上のランプの火を吹き消すと、長い耳をそばだてて、ドアの外の様子を窺う。
「二人……いや、三人か?」
「階段を昇りきったな……パーム、服着とけ」
ジャスミンに促され、暗闇の中で、慌てて脱いだ神官服を着直しながら、パームはジャスミンに訊いた。
「ひ、ヒースさんはともかく……何で分かったんですか、ジャスミンさんは?」
「ふふん。色事師たるもの、夜這いに行った先で、旦那に押し入られる事も多いからな。寝込みを襲う系の気配やら殺気には敏感なのだよ」
「……訊いて損しました」
「……来るぞ!」
ヒースの押し殺した叫びと同時に、部屋の扉が、乱暴に蹴り開けられた。
入り口からの闖入者に備えて、構える三人。――だが、予測された者とは全く違うモノが、乾いた音を立てて、部屋に転がり入ってきた。
「こりゃ……石コロ――?」
次の瞬間、入ってきた白い石ころが、ブシューという音を立てながら、夥しい煙を発し始めた。鼻にツンとくる不快な臭い……。
「マズい! この煙を吸うな!」
ヒースの緊迫した声が飛び、パームとジャスミンは、口を押さえて息を止めた。
ジャスミンは、窓を指さす。パームとヒースは、その意図を読み取り、大きく頷いた。
迷っている時間は無かった。白い石から発生した煙の奔流は、瞬く間に部屋の中を白に染め上げている。モタモタしていたら、たちまち肺の酸素を使い尽くす。
(いくぞ!)
三人は、ガラスの嵌まった部屋の窓に向けて突進し、思い切りぶつかってガラスを破り、躊躇なく一階へと飛び降りたのだった。
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