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第十一章 “DEATH”TINY

【回想】紅蓮と冒瀆

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 十年前、アケマヤフィト――あの日の朝。

 妹のアザレアを強い口調で無理矢理追い出し、その丸めた背中を黙って見送ったロゼリアは、その真紅の瞳に警戒の色を強めて、目の前に立つ黒ローブの男の顔を睨みつけた。
 彼女の刺すような鋭い視線を受けながらも、ローブの男にたじろぐような素振りは無い。彼は、人当たりの良さそうな薄笑みを浮かべる。

「…………どうぞ」

 ロゼリアは、殊更に表情を消して、男を家へ招き入れる。

「結構」

 ローブの男は、満足そうな微笑みを浮かべて頷くと、音も無く家の中に入った。
 ロゼリアは、男の後に続いて家に入る。と、扉を閉める前に、外の小道を肩を落としてトボトボと歩く小さな背中を見た。

「――ア……!」

 思わず、彼女に声をかけたい衝動に駆られたが、グッと口を固く噤む。
 ロゼリアは、潤んだ瞳を瞼で覆って、扉を閉めた。



 「……家には来ないで下さいと言いましたよね――フジェイルさん」

 ロゼリアは、戸口に立ったまま、勧められてもいないのにテーブルの椅子に悠然と腰掛けた黒ローブの男――フジェイル――に問い質した。
 フジェイルは、彼女の苦言がまるで聞こえていないかのように、鷹揚な態度で足を組むと、深く被っていたフードを脱いだ。濃炭色でウェーブのかかった伸び放題の長髪を軽く手櫛で調えながら、彼は答える。

「……先日のの答えを聞きに来ました」

 彼の口から、予想通りの答えを聞き、ロゼリアは、その美しい顔を僅かに顰めた。
 だが、答えは既に決まっている。

「……一言で言えば、ノーです」
「……ほう?」

 彼女の言葉に、フジェイルは大袈裟に驚いた素振りをする。――彼も、その答えを聞かされる事は充分に予想していただろうに。
 彼は脚を組み直すと、顎に手を当てて口を開いた。

「――差し支えなければ、その理由をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか? ……“”?」
「止めてッ!」

 フジェイルの発した一言に、表情を豹変させて、強い拒絶の意志を露わにするロゼリア。
 彼女は、その白い顔をより一層白くさせて、フジェイルの薄ら笑いを浮かべる顔を鋭い目付きで睨みつける。

「私を……その異名なまえで呼ぶのは止めなさい! “魂の冒瀆者・フジェイル”!」
「フフフ……失礼しました」

 フジェイルは、心底楽しそうに含み笑いをしながら、小さく頭を下げる、

「――で、何故でしょう? 私の提案に乗れない理由わけというのは……」

 と、再度聞き直し、じっと上目遣いに彼女の表情を窺う。

「――それは……荒唐無稽だからです。貴方の仰る“計画”が……」

 ロゼリアは、蛇のように冷たいフジェイルの視線に背筋を凍らせながらも、極力彼に悟られないよう虚勢を振り絞って、毅然とした態度で彼を睨み返す。
 フジェイルは、彼女の答えを聞くと、クックッと忍び笑いをしてみせ、静かに言った。

「フフ……“荒唐無稽”ですか……。はて、一体どの辺がでしょうか……?」
「そ――それは、全てです! 『私と貴女とで、この世界をならして、ひとつに統べよう』……なんて事が出来るはずが無いでしょう! そんなの、狂人の戯言以外の何物でもない!」

 ロゼリアは、フジェイルの事を、蔑むように見据えた。
 だが、フジェイルの嘲笑は収まらない。薄い唇をゆっくりと動かして、どこか禍々しい響きをした声を紡ぎ出す。

「出来るはずが無い……そうですね。私と貴女では難しいでしょう……」
「……」
「だが、もし、私が、かつて人類を滅ぼした伝説の存在を手に入れた……と言ったら、どうですか?」
「――伝説の……存在……人類を――滅ぼした?」

 フジェイルの言葉を耳にした瞬間、彼女の身体を循環する血液が、一気に凍結したかのような気がした。――一体、この男は何を口走っているんだ? 彼女の頭の中で、やにわに警告の鐘の音が鳴り響きはじめた。
 フジェイルは、彼女の顔色を窺い見て、己の言葉の威力に満足そうな笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。

「3年前……。私は、ザナト山脈の北嶺、その向こう側へと向かいました」
「北嶺の……向こう側って――」

 愕然とした顔をするロゼリアに頷いてみせるフジェイル。

「ええ。所謂『禁足の境界』の向こう側です。――人の侵入を禁じ、立ち入った者は生きては戻ってこられない……と言われてい地です。――ま、タダの迷信だったのは、他ならぬこの私が実証してみせましたがね」

 そう言うと、彼はクククと皮肉気に笑い飛ばした。

「――私はそこで、石造りのような、奇妙な材質の建材で造られた四角く大きな廃墟に辿り着き――その建造物の中で、を見付けたのです。――その瞬間、私の“荒唐無稽”な絵空事が荒唐無稽では無くなった」
「ソレ……それって……一体……?」

 ロゼリアの中で警告の鐘が最大音量で鳴り響いていた。が――、この上なく不吉な悪寒を感じながらも、彼女はどうしようもなく、その先を知りたいという欲求に見舞われた。
 フジェイルは、『計画通り』と言わんばかりにほくそ笑むと、右手を挙げて指を鳴らした。

 ギイィ……

 軋んだ音を立てて、背後の玄関の扉が開き、彼女はギョッとして振り返った。――アザレアが帰ってきてしまったのかと思ったのだ。
 ――が、

「だ――誰? ……貴女は?」

 入ってきたのは、黒いローブを纏う、腰の曲がった老婆だった。
 ――彼女の左腕は喪われているのか、左袖は力無くブラブラと揺れ、目深に被ったフードの中からは、老婆の物とは思えないような、美しい光沢を放つ銀糸の様な髪の毛が垂れている――。

「! ――ま、まさか……!」

 それを見た彼女は、雷に打たれたかのように、目を見開いた。驚愕のあまり、その色白の顔は紙のように真っ白になっている。
 フジェイルは、ニヤリと顔を歪めると、まるで演劇で真打ちを紹介する道化師の様なおどけた表情で、声を張り上げた。

「紹介しよう! 彼女こそが、かつての旧人類を滅亡せしめ、神話に語り継がれし伝説の存在――しろがねの死神である!」
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