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第十二章 アザレアBABY
魂と浄め
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パームは……いや、パームの意識は、真っ黒い闇の海の中を、あてどもなく揺蕩っていた。
光りひとつ見えない、黒よりも黒い闇に覆われた空間。
こここそが、“銀の死神”の意識の中……のはずだ。
ブシャムの聖眼、レムの聖眼、そして、アッザムの聖眼……三つの聖眼を同時に不浄の魂へ投射し、術者自身の意識を以て干渉する事で、直接的に魂の浄化を行う――それが、今パームがゼラに仕掛けている“ノリト”である。
パームの意識は、ゼラの意識である粘りつく闇の海の奥深くまで潜行していく。
(……ケテ……)
(……ス……テ……クルシ……!)
(コロ……テ……レ――)
(モウ……メテ……)
(……く)
やがて、彼の“耳”に、微かな雑音が聴こえてきた。――否、これは……。
(タスケテ……)
(モウ……イカセテクレ……)
(ヤメテクレ……)
(クルシイ……シナセテクレ……!)
男……女……老人……子ども……様々な人だったモノ達の、苦悶と懇願の声が、パームの耳朶に響いてくる。
その声は、嘗て“銀の死神”に喰われ、生氣を瘴氣に置換された末に、彼女の糧とされた人間達の魂の残滓……!
最初に、“銀の死神”と対峙した時に感じた、無数の視線と気配は、これだったのだ。何千……何万……何十万……到底数え切れない。数多の人間の意識の断末魔が、パームの意識を苛み続けるが、彼は両手で己の頭を抑えながらも、前進することを止めなかった。
やがて、真っ黒な闇の中に、濁った光の塊が見えてきた。パームは手を伸ばし、そっとその光の塊の一端に触れる。
(く……!)
途端に、パームの顔が苦痛に歪む。彼らの意識に直接触れたパームには、声だけではなく、それらが死神に喰われた際に感じた負の感情や痛み全てが、次々と彼の心の中に雪崩れ込んでくるのだ。
パームの意識の眼から、涙が滝のように流れた。
『ああ……アアア……ああああああ……』
同時に、彼の口から嗚咽の声が漏れる。雪崩れ込む痛切な感情に、彼の方が感化されつつあるのだ。このまま、完全に感化させられてしまったら、パームの魂の方が光の塊に取り込まれ、彼らの一部となってしまう――。
が、
苦痛と絶望と恐怖と悔恨……ありとあらゆる負の感情の嵐に、心を掻き乱されながら、それでも彼は、優しく微笑んでみせた。
彼は両手を広げると、光の塊を優しくかき抱いて、静かな声で囁く。
『……いいですよ。……僕は、貴方達を浄化し、解き放ちに来たんです。どうぞ、僕の身体を通って……行くべき神の御許へと……逝って下さい……』
――と。
◆ ◆ ◆ ◆
(……ありがとう――)
またひとりの魂が、パームの浄化を受け、本来の光を取り戻して淡雪のように儚く消えた。
息をつく間もなく、また新たな濁った魂が、彼の中に入り込む。
『く……』
魂の記憶と感情が、パームの意識に取り込まれ、彼を苛む。
と、流れ来る意識を感知して、ある事に気が付く。
その魂から流れ込む感覚――擦れ合う鎧の金属音。逃げる間もなく黒い光の奔流に貫かれ、たちまち生氣を吸い尽くされ、紅と蒼の光へと置換される仲間たち。がらんどうになり、荒れ果てた大地に転がる、夥しい数の漆黒の鎧――。
(貴方は……ワイマーレ騎士団の……ぐっ! グウウウ……ッ!)
問う間もなく、その魂自身の断末魔のイメージが彼を襲う。
――黒い光に捕らわれ、己の雄氣と雌氣が、どんどん吸われていく喪失感。
――誇り高き騎士団が為す術もなく、人外の力に屈する事に対する屈辱感。
――原始的な恐怖。
――そして……。
『バ、バ――――ル……!』
沈痛な顔で、必死で自分の方へと手を伸ばす主君を、敬愛し、弟の様に慈しむ気持ち……。
『……そうか……貴方は……』
『……神官殿……。わが主を……どうか――』
浄められ、本来の色を取り戻した魂が、生前の姿を象り、パームの前に立つ。
――その姿は、白い顎髭を蓄えた老騎士だった。
彼は、腰を折り、深々と頭を下げる。そして、その姿は輝きを増し、そして、散って、消えていった――。
パームは、彼が消えた場所へ向けて、自分も深く一礼をした。
『……分かりました。貴方の主さんも、僕たちが……』
――と、パームは不意に気が遠くなった。ハッとして、己の手を見る。彼の指先は、うっすらと消え始めていた。
『……時間が……無い』
――かなりの魂を浄め続けて、彼の生氣がかなり消耗している。このままでは、彼の意識が元の身体に戻る事は出来なくなり、逆にゼラの糧の一部として取り込まれてしまう――!
だが――、
『タスケテクレ……』
『神官サマ……ドウカ……オレモ、キヨメテ……!』
『モウ、オワラセテ……』
彼に救いを求める濁った魂は、まだまだ多い。切り上げて、“ノリト”を解除するか、それとも、もう少し留まって、ひとつでも多くの魂を浄め続けるか……、彼は迷った。
と――、
『――帰りなさい――』
この場に場違いな、澄んだ鈴を思わせる女性の声を耳にして、彼は振り返り、目を丸くする。
『……あ……貴女は……』
彼の目の前に立っていたのは、まるで芸術絵画の女神の様な美しい女性だった。
――その貌には見覚えがある。
『……“銀の死神”……?』
だが、“銀の死神”と怖れられた彼女と、目の前で穏やかに微笑む女性は、顔つきこそそっくりだったが、それ以外は全く違っていた。死神の左腕は欠損していたが、女性の白い肌の左腕は健在だったし、腰まで届く長い髪の色は、死神の銀色ではなく、艶やかな黒だった。
女性は、寂しげな微笑を浮かべて言った。
『――もう、時間が無いわ。もう戻りなさい。そうしないと――』
『し――しかし、まだ――!』
『あの人達の事……そして、私の事を気に掛けてくれてありがとう、優しい子……。でも、もう良いの。これ以上は、あなた自身が危ないわ。――それに』
女性は、一旦言葉を切って、哀しそうに眉を顰めてから言葉を続けた。
『たとえ、あなたが限界を超えて浄め続けようとしても、ここにいる人たちの魂を全て浄め切ることは出来ないもの』
『……分かりました』
パームは、唇を噛んで頷いたが、それは薄々自分でも勘づいていたことだった。
彼は、目尻に溜まる涙の粒を指で拭うと、女性の眼を真っ直ぐに見て言った。
『……では、今回はこれで失礼します。――でも、きっとまた来ます。それまで……待っていて下さい』
『ええ。待ってるわ、優しい子……』
女性は、そう答えると、首を傾げてニコリと微笑んだ。
パームは、女性に一礼した後、濁った魂の塊に向けても、同じように頭を下げた。
そして、戻ろうとして、ふと振り返り、女性に声をかける。
『あの……』
『……何かしら?』
『……ひょっとして貴女は、“銀の死神”の――』
『……多分、あなたの考える“それ”が正解でもあり、間違いでもあるのだと思うわ』
女性は、困ったような貌をしながら、そう言った。そして、視線を落として、静かに言い加える。
『でも……この子の中に居るから分かる。――この子も、苦しんできたの。ずっと……歪な存在として造り出され、“ゼラニウム”と呼ばれて利用され、たくさんの人たちを食べてしまった頃からずっと……』
『……』
『もちろん、この子を恨まないで、なんて事は言わないわ。――でも、こうして、この子の心の中に深く踏み込んだあなたには分かっていて欲しいの。この子の……苦しみを』
『……はい』
パームは、女性の言葉に、小さく頷いた。
『納得は出来ませんが、理解はしました。“銀の死神”……彼女の苦しみと――孤独を』
『ありがとう、それだけで十分よ』
女性は、大きく頷き、微笑んだ。そして、手を伸ばして、パームを促した。
『――さあ、もう行きなさい、優しい子。縁があったら、また逢いましょう』
光りひとつ見えない、黒よりも黒い闇に覆われた空間。
こここそが、“銀の死神”の意識の中……のはずだ。
ブシャムの聖眼、レムの聖眼、そして、アッザムの聖眼……三つの聖眼を同時に不浄の魂へ投射し、術者自身の意識を以て干渉する事で、直接的に魂の浄化を行う――それが、今パームがゼラに仕掛けている“ノリト”である。
パームの意識は、ゼラの意識である粘りつく闇の海の奥深くまで潜行していく。
(……ケテ……)
(……ス……テ……クルシ……!)
(コロ……テ……レ――)
(モウ……メテ……)
(……く)
やがて、彼の“耳”に、微かな雑音が聴こえてきた。――否、これは……。
(タスケテ……)
(モウ……イカセテクレ……)
(ヤメテクレ……)
(クルシイ……シナセテクレ……!)
男……女……老人……子ども……様々な人だったモノ達の、苦悶と懇願の声が、パームの耳朶に響いてくる。
その声は、嘗て“銀の死神”に喰われ、生氣を瘴氣に置換された末に、彼女の糧とされた人間達の魂の残滓……!
最初に、“銀の死神”と対峙した時に感じた、無数の視線と気配は、これだったのだ。何千……何万……何十万……到底数え切れない。数多の人間の意識の断末魔が、パームの意識を苛み続けるが、彼は両手で己の頭を抑えながらも、前進することを止めなかった。
やがて、真っ黒な闇の中に、濁った光の塊が見えてきた。パームは手を伸ばし、そっとその光の塊の一端に触れる。
(く……!)
途端に、パームの顔が苦痛に歪む。彼らの意識に直接触れたパームには、声だけではなく、それらが死神に喰われた際に感じた負の感情や痛み全てが、次々と彼の心の中に雪崩れ込んでくるのだ。
パームの意識の眼から、涙が滝のように流れた。
『ああ……アアア……ああああああ……』
同時に、彼の口から嗚咽の声が漏れる。雪崩れ込む痛切な感情に、彼の方が感化されつつあるのだ。このまま、完全に感化させられてしまったら、パームの魂の方が光の塊に取り込まれ、彼らの一部となってしまう――。
が、
苦痛と絶望と恐怖と悔恨……ありとあらゆる負の感情の嵐に、心を掻き乱されながら、それでも彼は、優しく微笑んでみせた。
彼は両手を広げると、光の塊を優しくかき抱いて、静かな声で囁く。
『……いいですよ。……僕は、貴方達を浄化し、解き放ちに来たんです。どうぞ、僕の身体を通って……行くべき神の御許へと……逝って下さい……』
――と。
◆ ◆ ◆ ◆
(……ありがとう――)
またひとりの魂が、パームの浄化を受け、本来の光を取り戻して淡雪のように儚く消えた。
息をつく間もなく、また新たな濁った魂が、彼の中に入り込む。
『く……』
魂の記憶と感情が、パームの意識に取り込まれ、彼を苛む。
と、流れ来る意識を感知して、ある事に気が付く。
その魂から流れ込む感覚――擦れ合う鎧の金属音。逃げる間もなく黒い光の奔流に貫かれ、たちまち生氣を吸い尽くされ、紅と蒼の光へと置換される仲間たち。がらんどうになり、荒れ果てた大地に転がる、夥しい数の漆黒の鎧――。
(貴方は……ワイマーレ騎士団の……ぐっ! グウウウ……ッ!)
問う間もなく、その魂自身の断末魔のイメージが彼を襲う。
――黒い光に捕らわれ、己の雄氣と雌氣が、どんどん吸われていく喪失感。
――誇り高き騎士団が為す術もなく、人外の力に屈する事に対する屈辱感。
――原始的な恐怖。
――そして……。
『バ、バ――――ル……!』
沈痛な顔で、必死で自分の方へと手を伸ばす主君を、敬愛し、弟の様に慈しむ気持ち……。
『……そうか……貴方は……』
『……神官殿……。わが主を……どうか――』
浄められ、本来の色を取り戻した魂が、生前の姿を象り、パームの前に立つ。
――その姿は、白い顎髭を蓄えた老騎士だった。
彼は、腰を折り、深々と頭を下げる。そして、その姿は輝きを増し、そして、散って、消えていった――。
パームは、彼が消えた場所へ向けて、自分も深く一礼をした。
『……分かりました。貴方の主さんも、僕たちが……』
――と、パームは不意に気が遠くなった。ハッとして、己の手を見る。彼の指先は、うっすらと消え始めていた。
『……時間が……無い』
――かなりの魂を浄め続けて、彼の生氣がかなり消耗している。このままでは、彼の意識が元の身体に戻る事は出来なくなり、逆にゼラの糧の一部として取り込まれてしまう――!
だが――、
『タスケテクレ……』
『神官サマ……ドウカ……オレモ、キヨメテ……!』
『モウ、オワラセテ……』
彼に救いを求める濁った魂は、まだまだ多い。切り上げて、“ノリト”を解除するか、それとも、もう少し留まって、ひとつでも多くの魂を浄め続けるか……、彼は迷った。
と――、
『――帰りなさい――』
この場に場違いな、澄んだ鈴を思わせる女性の声を耳にして、彼は振り返り、目を丸くする。
『……あ……貴女は……』
彼の目の前に立っていたのは、まるで芸術絵画の女神の様な美しい女性だった。
――その貌には見覚えがある。
『……“銀の死神”……?』
だが、“銀の死神”と怖れられた彼女と、目の前で穏やかに微笑む女性は、顔つきこそそっくりだったが、それ以外は全く違っていた。死神の左腕は欠損していたが、女性の白い肌の左腕は健在だったし、腰まで届く長い髪の色は、死神の銀色ではなく、艶やかな黒だった。
女性は、寂しげな微笑を浮かべて言った。
『――もう、時間が無いわ。もう戻りなさい。そうしないと――』
『し――しかし、まだ――!』
『あの人達の事……そして、私の事を気に掛けてくれてありがとう、優しい子……。でも、もう良いの。これ以上は、あなた自身が危ないわ。――それに』
女性は、一旦言葉を切って、哀しそうに眉を顰めてから言葉を続けた。
『たとえ、あなたが限界を超えて浄め続けようとしても、ここにいる人たちの魂を全て浄め切ることは出来ないもの』
『……分かりました』
パームは、唇を噛んで頷いたが、それは薄々自分でも勘づいていたことだった。
彼は、目尻に溜まる涙の粒を指で拭うと、女性の眼を真っ直ぐに見て言った。
『……では、今回はこれで失礼します。――でも、きっとまた来ます。それまで……待っていて下さい』
『ええ。待ってるわ、優しい子……』
女性は、そう答えると、首を傾げてニコリと微笑んだ。
パームは、女性に一礼した後、濁った魂の塊に向けても、同じように頭を下げた。
そして、戻ろうとして、ふと振り返り、女性に声をかける。
『あの……』
『……何かしら?』
『……ひょっとして貴女は、“銀の死神”の――』
『……多分、あなたの考える“それ”が正解でもあり、間違いでもあるのだと思うわ』
女性は、困ったような貌をしながら、そう言った。そして、視線を落として、静かに言い加える。
『でも……この子の中に居るから分かる。――この子も、苦しんできたの。ずっと……歪な存在として造り出され、“ゼラニウム”と呼ばれて利用され、たくさんの人たちを食べてしまった頃からずっと……』
『……』
『もちろん、この子を恨まないで、なんて事は言わないわ。――でも、こうして、この子の心の中に深く踏み込んだあなたには分かっていて欲しいの。この子の……苦しみを』
『……はい』
パームは、女性の言葉に、小さく頷いた。
『納得は出来ませんが、理解はしました。“銀の死神”……彼女の苦しみと――孤独を』
『ありがとう、それだけで十分よ』
女性は、大きく頷き、微笑んだ。そして、手を伸ばして、パームを促した。
『――さあ、もう行きなさい、優しい子。縁があったら、また逢いましょう』
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