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第十二章 アザレアBABY

理解と納得

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 「――――い! ……おい! 戻ってこい、坊ちゃん! おい!」

 遠雷だと思っていた微かな音が、意識がハッキリするにつれて、巨漢の傭兵が自分を呼ぶ声だと気付き、パームは閉じていた瞼をゆっくりと開けた。

「……ヒース……さん……」
「お――おお! 気が付いたか、坊ちゃん!」

 心配そうに、その太い眉を顰めていたヒースは、彼の声を聞くと、安堵の声を上げた。

「心配したぜ! 死神に張り付いて動かなくなったと思ったら、突然弾かれたように吹き飛んで……。息もしてなかったからよ……もう手遅れなのかと……」

 そう言いながら、彼はパームの首筋に太い指を当てて、目を瞑り、指先の感覚に集中する。

「…………よし、少し浅いが、脈も戻ってきてる。――大丈夫そうだな」
「……ひ、ヒースさん……僕は……どのくらいの間……」

 ヒースの丸太のような太い腕にしがみついて、パームは息を整えながら問いかける。ヒースは、顎の無精髭を撫でながら、上目で思い返しながら答える。

「ああ……そうだな。死神の頭にへばりついていたのは、大体10分から15分くらいか……吹き飛んでからは、5分か6分か……」
「……そうですか」

 パームは、ヒースの答えを聞いて、頷きながら、軽く唇を噛んだ。

「……どうした、坊ちゃん?」

 ヒースは、そんなパームの様子に目敏く気が付く。
 パームは、「いえ……」と言って、力無く微笑むと、何とか身体を起こそうとする。

「おいおい、ムリすんな。少なくとも、5分は息が止まってたんだからな、お前。大方、身体が痺れて動けないだろう?」
「あはは……どうやら、そうみたいですね……」

 パームは、意のままにならない己の身体を自覚して、困ったように笑った。――と、表情を一変させて、再びヒースに問いかける。

「……で、“銀の死神”は……どうですか……?」
「……」

 ヒースは、パームの問いには答えず、黙って彼の身体を動かして、彼女が見える位置にパームの頭をずらしてやった。
 銀糸の様な長い髪を千々に乱して俯せに伏しているゼラの姿が、パームの眼に入った。彼女の左腕の切断面からは、黒霧が煙のようにモワモワと力無く漏れ出ているが、先程までのように、凝集して何かの形を成すことは出来ないようだった。

「お前が弾かれるのと同じように、魂が抜けたみたいに倒れ込んで……それっきり、あのままだ。……くたばってはいないようだがな」
「……ああ……そうだ……」

 と、ヒースの言葉に、陰鬱な響きを持つ女の声が応えた。同時に、倒れ伏していた“銀の死神”の頭がユラリと動き、ゆっくりと起き上がる。

「ッ! てめえ――まだ……!」

 ギョッとした顔をして、傍らの大棍棒を握り直すヒースに向かって、ゼラは、乱れた前髪の下で薄い笑みを浮かべた。――皮肉げに歪めた口の端からも、黒霧が一条の煙のように漏れ出ている。

「……安心しろ……。もう、戦う気はない。……いや、戦える状態ではない……と言うべきか……。いずれにしても、お前達には……好機だ。――私を壊してみせろ……壊してくれ……ヒース」
「……チッ!」

 ゼラの言葉に、ヒースは忌々しげに舌打ちし、大棍棒を投げ捨てた。その場で胡座をかいて、苦々しげな表情で、顎髭をむしる。

「まったく、ムカつくなぁ、おい! それだけ弱ってたとしても、俺にはお前を壊しきれねえよ! テメエも分かってて言ってンだろ、死神ぃ!」

 そう毒づくと、抜いた顎髭を息で吹き飛ばしながら、吐き捨てるように付け加える。

「――それにな。俺は、自殺志願者の介錯をしてやる趣味も無え! そんなしみったれた願いなんざ、俺に頼むな!」
「……“銀の死神”……いや、ゼラさん……」

 ふて腐れてそっぽを向いたヒースに変わって、口を開いたのはパームだった。
 ゼラの瞳が、少年神官の蒼い瞳をじっと見つめる。
 すると、パームは、ゼラに向かってペコリと頭を下げた。

「……すみません。今の僕の力では、貴女の中に居る人たちを、全て浄化することが出来ず……貴女の望みを……貴女を事が出来ませんでした」
「……私の、望み……」

 ゼラは、キョトンとした顔でパームを見つめていたが、「……ああ、そうか」と呟き、口の端を歪めた。

「……お前は、? 私の中で、あの女に……」

 ゼラの言葉に、パームは小さく頷いた。
 彼女は、微かな昂ぶりを声色に滲ませながら、パームに訊く。

「何か……言っていたか、あの女――は……」
「貴女の苦しみを理解わかってあげてほしい――そう言ってました」
「……お節介な奴だ」

 彼女は、哀しそうな、そして嬉しそうな表情を浮かべた。
 そして、ゼラは、パームの顔をじっと見据えて、静かに問いかける。

「――で、お前は、理解できたのか? 私の憤怒と苦悶と苦痛と……孤独を」
「……ノリトで、貴女の心に触れた時、その一端は理解出来たと思います。――ですが、貴女の所業に対して、納得は出来ません。如何に、貴女が人間の生氣を摂らなければ存在を保てなかったとしても、理性で抗おうとしても、生氣を求める衝動には抗い難かったとしても、――数万年前のあの出来事が、魂を縛られ、命令された挙げ句の行動だったとしても――犠牲になった人たちの苦しみを思えば、納得など出来ません」
「……だろうな」

 パームの辛辣な言葉に、ゼラは顔を俯けて、小さく頷いた。

「――ですが」

 と、パームは言葉を継いだ。

「……貴女の境遇には、深く同情します」
「――!」

 ゼラは、パームの言葉に、ハッとした表情で顔を上げた。見開いた目でまじまじとパームを見ると、不意に俯いた。
 銀色の髪が、彼女の表情を覆い隠す。
 そして、絞り出すような声で、小さく言った。

「……ありがとう。――それで……充分だ……」

 銀髪に覆われた彼女の顔から、透明の滴が、地面に零れた。
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