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第十二章 アザレアBABY

炎と冥

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 『火を統べし フェイムの息吹 命の炎! 我が手に宿り 全てを燃やせッ!』

 血を吐くような聖句の詠唱と共に、憤怒と哀しみに満ちた真紅の炎が蛇のようにのたうち、漆黒の鎧を纏った騎士に向けて襲いかかる。

『……!』

 騎士は、無言で手にした大剣を横薙ぎに振るい、焔を纏った長鞭は、乾いた音を立てて弾かれた。

「――クッ!」

 アザレアは、歯を食いしばると、一旦炎鞭フレイムウィップを手元に引き寄せる。
 と、その隙を逃さず、鎧の擦れる金属音を鳴らしながら、黒い騎士が姿勢を低くして突っ込んでくる。
 騎士の振るう大剣の刃をすんでの所で躱したアザレアは、騎士の後ろで、半面が火傷で崩れた顔を歪ませて嘲笑する男を睨みつけた。

「――フジェイルッ! お前、人形に戦わせて、自分は高みの見物か! 男として、恥ずかしくないのっ?」
「恥ずかしい? く……クハハハハハハハッ!」

 フジェイルは、アザレアの絶叫に、可笑しくて仕方ないと言わんばかりに、腹を抱えて爆笑する。

「ウフフフ……これは、面白い事を言うね、アザレア。私は屍術士だよ? 屍人形を操って、自分の代わりに戦わせるのが、屍術士の戦い方だ。恥ずかしいも恥ずかしくないも無いよ。――君の言い方はまるで、地を這いずる野鼠が『空を飛ぶのが卑怯だ』と、頭上を舞う鷲に文句を言うのと変わらないよ」
「――五月蠅いっ!」

 激昂するアザレアは、紅い眼を見開いて、炎鞭フレイムウィップを振り上げ、フジェイルに向けて放つ。――が、

「……」

 またしても、黒い鎧を纏う騎士が彼の前に立ち塞がり、大剣を立てて、炎鞭フレイムウィップの一撃を止める。
 フジェイルが、満面の笑みを浮かべて、嘲笑する。

「アハハハハ! さすが、バルサ王国最強の騎士団である、『ワイマーレ騎士団』団長ロイ・ワイマーレ! 死して屍人形と化しても、実に動きが良い! まったく、あの時ゼラに喰わせなくて良かったよ!」
「……酷い」

 アザレアは、フジェイルの狂った哄笑を聞いて、目の前で佇む、焦点の合わない眼球を虚ろに動かしながら、死ぬ事すら赦されず、ただ操られるだけの呪われし死者に、思わず同情の念を覚えた。

「せめて……私が終わらせてあげるから――!」
「ふん。君に出来るのかい? そんな火遊び程度の火術で?」
「……ほざくなっ!」

 アザレアは、再び炎鞭フレイムウィップを燃え滾らせ、吶喊すると同時に、前方のふたりに向けて振り放つ。
 当然のように、無感動な表情のまま、ワイマーレが大剣を振りかぶって、炎の鞭をはたき落とす――その時、

『地を奔る フェイムの息吹 命の火! 我が手を離れ 壁を成せっ!』

 アザレアが新しい聖句を唱える。ワイマーレによってはたき落とされた炎鞭フレイムウィップの先端が地面を打った瞬間、そこから夥しい炎が吹き上がって壁と成し、ワイマーレとフジェイルの周囲を取り囲むように屹立する。

「――っ!」

 余裕の笑みを浮かべていたフジェイルの口元から薄笑みが消える。思わず、周囲の炎の壁に視線をやった後、ハッとして正面のアザレアへ焦点を合わせる。
 彼の視線の先には、左手の小指と薬指の爪を、己の前歯で咥えるアザレアの姿があった。と、次の瞬間、

「――ッ!」

 彼女は首を振って、自分の爪を噛み剥がした。自分で剥がした爪の痛みに、アザレアの顔は苦痛に歪む。

(痛……! でも――あの日の姉様に比べればッ!)

 彼女は、激しい痛みを堪え、剥がした2枚の爪を左手の三本の指で摘まむと、

『火の女神 フェイムの魂 猛る火炎! 我が身に宿り 千々に爆ぜ散れッ!』

 と、聖句を叫ぶと、前方に向けて投げ放った。
 目を見開いたフジェイルの顔色が変わる。

「――いけないっ! ワイマーレッ! 私を守――!」
「無駄だッ!」

 アザレアの叫びと同時に、小さな爪が真っ赤な炎に包まれ、一瞬後に、凄まじい爆風と爆音を伴う大爆発が巻き起こった。大爆発は、炎の壁をも巻き込み、一層の激しい轟炎の奔流となり、黒い鎧の騎士と白装束の男の姿は、炎の渦に包まれる。

「はあ……はあ……!」

 アザレアは息を乱しながら、荒れ狂う業火をじっと見据えていた。

(や……やった……?)

 当然のように、炎の向こうで、何かが動くような気配は感じられない。アザレア渾身の轟炎爆破火術に、炎壁隆立火術を組み合わせた最大の攻撃火術だ。そんな極大の炎に晒されて、無事な生き物などは存在しない。超高温の火炎に灼かれ、骨の一片すら残らないだろう。
 ――やがて、燃えさかる炎の勢いが徐々に弱まり、完全に消えた。板敷の床は焼け落ち、その下の地面は黒く焦げてぶすぶすと燻り、広い部屋の石壁も爆破の余波で崩れ落ち、その間から真っ暗な夜空が見える。
 その中心に、奇妙なモノがあった。
 真っ黒に炭化して積み重なる、人の形をした何か。――だが、その数は、
 5人、6人……いや、もっと多い。
 熱で収縮し、手足を縮こまらせている姿は、あの日に見た、愛しい姉の変わり果てた姿を連想させ、アザレアは思わずその場に蹲り、激しく嘔吐した。
 胃の中のものを吐き尽くし、胃液までも吐き出しながら、アザレアは頭の隅で、消えない疑問に苛まれていた。

(……何で……死体が多いの? フジェイルとあの屍人形……ふたりしかいないはずなのに……)
「――おやおや……気分が優れないのかい? 火術士が、焼死体を怖れる……フフフ、滑稽だねえ」
「――ッ!」

 あり得ない声を聞いて、アザレアは弾かれたように頭を上げた。そのルビーの瞳は、混乱と驚愕と恐怖がない交ぜになった感情を湛えて、大きく見開かれている。
 真っ黒な死体の山がムクリと動いて、人の形をした炭が、バラバラと崩れ落ちる。転がり落ちた衝撃で、死体達は粉々に砕け散った。
 そして、顔を出したのは、熱変形した黒い鎧を纏った、かつての騎士団長の焼け爛れた顔と、傷一つ無い――十年前に受けた左半面の火傷以外――姉の怨敵の憎々しい顔だった。
 アザレアは、茫然として、うわごとのように口走る。

「……そ、そんな……! 何で……」
「――私は用心深いタチでね。万が一に備えて、屍人形――といっても、このワイマーレには遠く及ばない、出来損ないの木偶屍鬼ゾンビばかりだがね――それを部屋の至る所に隠し置いていたのさ。そして、先程の君の炎が爆発する前に、彼らを、私達を囲むように配置した。――彼らの屍肉の壁が、私とワイマーレを守ったという訳だよ」

 そこまで言うと、堪えきれなくなったのか、フジェイルは火傷を負った顔を歪めて、大笑いし始めた。

「くふふ……アハハハハ! いやあ、君の攻撃は凄かったよ! 恥ずかしながら恐怖すら覚えた! ……だが、惜しかったねぇ。私と君が戦ったのが、この山の、この本部の、この部屋で無ければ、或いは君は本懐を遂げる事が出来たのかもしれない。……だが!」

 フジェイルは、足元に堆く積もった、焼死体の山を指さし、言葉を続けた。

「この部屋だったからこそ、私はこの木偶共を、これ以上無く有効に使い切る事が出来た! 何という僥倖! 何という因果! ……残念だったねえ? 時の運とやらは、フェイムよりもダレムに味方したようだ!」

 煙が燻る、半壊した部屋中に、フジェイルの哄笑がこだました。
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