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終章 嗚呼、色事の日々

呪縛と屍人形

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 這々の体でダリア傭兵団本部の建物から脱出した四人は、真っ赤な猛火が建物を包み込み灼き尽くす様を、ただただ呆然とした様子で眺めていた。
 炎は、建物の窓という窓からチロチロと噴き出し、屋根まで燃え上がって、まるでダンスを踊るかのようにユラユラと揺れている。

「……派手な、火葬だな……」

 ジャスミンが熱風に前髪を呷られながら静かに呟いた言葉に、焦げた髪留めを握りしめたアザレアは静かに頷いた。
 と、

「……終わったんですか?」

 背後からの声に、ジャスミンとアザレアは、ハッとした顔をして振り返る。

「……よっ。やっとお目覚めかい? 寝坊助くん」
「こら、ジャス! ……大丈夫、パーム君?」

 安堵の表情を、ニヤニヤ笑いと軽口で誤魔化すジャスミンと、彼を窘めながら、身体を起こしたパームの元へ駈け寄るアザレア。
 パームは、痛む頭を押さえて顔を顰めながらも、二人に向かって力無く微笑む。

「……スミマセン。ちょっと頭と身体が痛むけど、大丈夫です。……それより、あの団長……フジェイルさんは……」
「……死んだよ」

 と、簡潔に言ったジャスミンだったが、感慨深げな表情を浮かべて、静かに言葉を継いだ。

「――いや、とっくに死んでたから、その言い方は正しくないか……。そうだな……うん――無事によ」
「……そうですか」

 パームは、ジャスミンの言葉に複雑な表情を浮かべると、静かに目を閉じ、

「……太陽神アッザム、紅月神ブシャム、蒼月女神レム、――そして、冥神ダレム。……彼の者の魂を、再び無垢なる魂へと還し給わん事を……」

 低い声で、祈りの聖句を唱える。
 そして、傍らで片膝をついていた、黒衣の少女に視線を移すと、深々と頭を下げた。

「……貴女が、僕を助けてくれたのですね。ありがとうございました。――ええと……」
「……先程は、名乗りもせずに、失礼仕った。……某は、第十二代半藤佐助…………いや、半藤……一華と申します、神官殿」

 そう答えると、イチカは、彼よりも深く頭を垂れた。

「礼を申したいのは、某の方で御座ります。――に風穴を開けられた右腕を、敵だったにもかかわらず、快く癒やして頂き……忝う御座りまする」
「――いやいや! 風穴を開けたって、人聞きの悪い! あの時は色々といっぱいいっぱいで……やむを得ないアレだったし……」

 イチカのイヤミに、慌てて言い訳し始めるジャスミンに、何かを思い出したアザレアが詰め寄る。

「――あ! そういえば、アナタさっき、イチカちゃんとキスしたとか言ってたわよね! その事……詳しく教えて貰えるかしら?」
「い――! そんな話、今更蒸し返すかぁ?」
「――き、貴様は、あの事を、と申すのか! あ…アレは……あの接吻は、私の……!」
「い……いや、その……あの件は、悪いと思ってはいる――」
「……て、もしかして、貴女……ジャスにされたのが……初めてだったの……?」

 イチカの言葉に、目を丸くしたアザレアは、彼の胸倉を掴んで、ブンブンと揺すりながら捲し立てる。

「どうするのよ、ジャス! 私はともかく……イチカちゃんにどう償うのよ! アナタ……“天下無敵の色事師”なんて、ふざけた二つ名を名乗っておきながら、女の子のが、どんなに大切なものなのか――!」
「あ、あの……アザレア様……。もう……もういいですから……」

 激高するアザレアを、顔を真っ赤に染めて、必死で押さえるイチカ。ジャスミンは、アザレアに頭を激しくシェイクされ続けて、すっかり目を回している。
 と――、
 突然、目の前で勃発した男女の修羅場を、目を丸くして呆然と見ているだけだったパームだったが、その耳が何かを拾った。
 彼は慌てて、三人に呼びかける。

「……ちょ、ちょっと! 皆さん、静かに……静かにして下さい! ――何か、聞こえます!」
「え……?」

 パームの言葉に、ふたりは顔を見合わせ、アザレアは、掴んでいたジャスミンの胸倉を手離した。半ば気を失っていたジャスミンは、ドウッと音を立ててその場に崩れ落ちる。
 ジャスミンを除く三人は、静かにして耳をそばだてる。

「…………――おおーい――」
「……聞こえた!」

 一斉に顔を見合わせる三人。そして、声のした方に目を向ける。

「おおーい! こっちだ~!」
「――ヒースさん!」

 遙か向こうで、ブンブンと手を振る巨大な影を視認したパームが叫んだ。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 「よぉ。そっちも終わったみてえだな」

 近付いてきた四人に対し、その荒々しい顔に、野卑な笑みを浮かべながら、ヒースは声をかけた。

「随分とボロボロだな。手強かったのかい、あの野郎は?」
「……そう言うオッサンも、ボコボコじゃないか」
「まあ、な」

 ジャスミンの皮肉交じりの返しに、苦笑しながら頷いたヒース。彼の言う通り、ヒースの身体は血に塗れ、あちこちに打撲痕や擦過傷、刀創が刻み込まれている。更に、踝の骨を砕かれたのか、彼の左脚はあらぬ方向を向いていたのだが、当の本人は涼しい顔で立っていた。
 ヒースは、背後をチラリと見て、言葉を続ける。

「屍人形に堕ちたとはいえ、さすがに最強騎士団を束ねる男だっただけの事はあったぜ」

 そう、静かに言うと、恍惚とした表情を浮かべ、大きく息を吐いた。

「――実に、楽しい……楽しい激戦たたかいだった――」
「……!」

 彼の視線を追って目を移した四人は、思わず絶句した。彼の後ろの大岩に身体をめり込ませていたのは、あちこちが凹み、割れ、砕けたアセテジュ鋼の黒鎧のなれの果てを身に纏った屍人形――。

「……いや、違う」

 ヒースは静かに首を横に振って、言葉を続けた。

「……この男は、もう屍人形じゃあねえ。俺と戦り合っている内に、コイツは自我を取り戻した。ここに居るのは、屍人形ではなく――」

 彼の言葉に、大岩にめり込んだ騎士の身体がピクリと動き、俯いていた頭を上げた。
 その面頬の奥から覗く瞳は、先程までとは違い、明確な意志の光に満ちている。
 ――そして、男は、ゆっくりと口を開き、

「……ワタしは――バルさ王国――わいマーレ騎士団団長……ロイ――ロイ・ワイマーレ……で、ある」

 ひび割れながらも、しっかりとした声で、己の名を名乗ったのだった。
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