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終章 嗚呼、色事の日々

騎士団長と言付け

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 「あなたが……ワイマーレ騎士団長……ですか?」

 愕然とした顔のパームの口から零れた呟きに、岩にめり込んだワイマーレは、小さく頷いた。

「……如何にも。……傭兵ばらに敗れ、……陛下から預かりし騎士団を――壊滅させ……、更に、死して後まで身体を操られ、傭兵の走狗へと成り下がるとは……。晩節を汚すどころではない……死後にとんだ醜態を――晒してしまったようだな……」

 時折、言葉を詰まらせながら、ワイマーレは痛恨の表情を浮かべて、苦々しげに言う。

「まあ――、しょうがないんじゃないか? 相手は、あの“しろがねの死神”だ。ただの騎士団長程度が、敵う相手じゃなかったって事だ」
「――ジャスッ! 言い方!」

 失意の騎士団長に対し、ジャスミンがかけた言葉を、アザレアがきつく窘める。
 ワイマーレは、二人のやり取りに苦笑を浮かべながら、言葉を続けた。

「貴殿らが……バルサ王国の危機を救い……、我らの恥辱を雪いでくれ、私を呪縛から解き放ってくれた――。この、ロイ・ワイマーレ……心から、貴殿らに礼を言おう。――ありがとう」
「……止せよ。俺は別に、あんたらや国の為に、ここまでやった訳じゃあない。単に、フジェイルあの野郎への個人的な借りを返す為――。それ以外の成果は、ただの副産物だよ」
「……そうか、君は、キチンと生きたままで、雪辱を果たす事が出来たのだな。――それは、何より。……こんな身に堕とされた私にとっては……少々、羨ましい事だが……な」

 そういった所で、ワイマーレは激しく咳き込んだ。口を押さえた掌から、腐臭を放つどす黒い腐敗液が、糸を引いて零れ落ちる。
 彼は、手の甲で口を拭きながら、縋るような目で、パームを見た。

「そこの神官……殿。――迷惑ついでに……私の最期の頼みを……聞いていただきたい」
「……分かっております、ワイマーレ騎士団長様……」

 彼の言葉に、哀しい表情を浮かべたパームは、目の端に涙の珠を浮かべ、頷いた。
 ワイマーレは、彼の目を見ると、安堵の表情を浮かべ、その厳つい顔を緩ませる。

「……忝い。――恩に着る」
「いえ……。それこそが神官ぼくの責務と心得ております」

 パームは、ワイマーレにニコリと優しく微笑みかけ、彼の前で片膝をついた。

「……僕の全身全霊を込めて、貴方の魂を浄化させて頂きます」
「――頼む」

 ワイマーレは、目を閉じ、穏やかな顔で頷く。
 と、それまで黙ったままだったヒースが、顎をポリポリと掻きながら、彼に言葉をかける。

「おい、騎士団長サンよ……。あー、何だ、その……楽しかったぜ、さっきの戦い。――強かった、アンタは」
「……戦士わたしにとっては、何より嬉しい言葉だ。……私も楽しかったぞ。――巨大な戦士よ」
「――ヒースだ。冥土の土産に覚えて逝け」
「分かった。……また戦い合おうぞ、ヒース。――冥界うえでな」
「ああ。死んでからの楽しみにとっておくぜ」

 そう言って、彼はニヤリと不敵に笑ってみせた。
 ワイマーレも、その笑みに笑い返し、そして、パームに頷きかけた。

「……お待たせ致した。神官殿……宜しく頼む」
「あ……。ワイマーレ様……ひとつ、お言付けを預かっているのを忘れていました」
「……言付け?」

 ワイマーレは、怪訝な表情を浮かべて、首を傾げる。

「国王陛下か? ……いや、しかし――」
「はい、バルサ二世陛下ではありません」

 パームは静かに頭を振り、言葉を継いだ。

「――バールさんという……年老いた騎士の方です」
「な――っ!」

 ワイマーレの目が、驚愕で見開かれた。

「そ……そんなはずは……! 奴はあの時に、死神に喰われて――」
「はい……、ワイマーレ様の仰る通りです」

 取り乱すワイマーレに、静かに頷きかけるパーム。

「バールさんの魂は、ゼラさん……しろがねの死神の中に残っていたのです。僕が彼女にノリトを施した際に……彼も居ました」
「……なるほど」

 ワイマーレは、沈痛な表情を浮かべて呟いた。そして、彼は様々な感情が複雑に混じり合った目をパームに向けて、微かに震える唇から、言葉を紡ぎ出す。

「……で、バールは……何と言っていた?」
「……僕に、『ワイマーレ様を頼む』と……。あと、言葉にはなされなかったので、正確に言うと“言付け”とは言えないのかもしれませんが――あの方を浄化した際に、僕の中に流れ込んできた感情は……」

 そこで一旦、言葉を切ったパームは、ワイマーレの目を真っ直ぐに見てから、再び口を開いた。

「――貴方への感謝と友愛の情で満ちていました」
「……ッ!」

 パームの言葉を聞いた瞬間、ワイマーレの顔が歪み、その目から、一筋の黒い涙が流れた。
 彼は、目を閉じ、歯を食いしばって、嗚咽を漏らすのを堪える。
 そして、目を閉じたまま、パームやジャスミン達の方へ向けて、深々と頭を下げて言った。

「……神官殿、ヒース殿。……そして、我々ワイマーレ騎士団に成り代わり、傭兵団討滅の任を果たしてくれた貴殿ら……。改めて、バルサ王国ワイマーレ騎士団長として、――そして、ロイ・ワイマーレ個人として、貴殿らに対して、心の底からの深い感謝の意を述べさせて頂く」

 彼はそう言うと、被っていた兜を脱ぎ捨て、言葉を続けた。

「――ありがとう。これからを生きゆく貴殿らの前途に、数多あまたの神々の祝福と、よろず御恵みめぐみがあらん事を……!」
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