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終章 嗚呼、色事の日々
情勢と類推、そして確信
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ダリア山を根城に、バルサ王国東部を跳梁跋扈し荒らし回っていたダリア傭兵団の本拠が、一夜にして灰燼に帰したあの日から三ヶ月が経った――ある日の深夜。
「ふう……」
夜闇に沈む王都チュプリ。その中心にそびえ立つ王城――白亜の宮の一室で、豪奢な玉座に座る男が、傍らのローテーブルに置いたゴブレットを持つと、中を満たす瑪瑙色の液体を飲み干した。
「……東部地方の状況も、随分と落ち着いたようだな、サーシェイル」
と、バルサ王国国王バルサ二世――トロウス=ラル=バルサは、書類を流し読みしながら言った。
「は。その通りで御座います」
その声に応じ、階の下で恭しく傅いた軍服姿の男が、大きく頷く。
「――ダリア傭兵団の残党の掃討も、大方済みました。引き続き、騎士隊をリオルスの村に駐留させますが、もう、東部地方がごたつく様な事はないでしょう」
「……クレオーメ公国の動きはどうだ?」
「はい」
サーシェイルは、小さく返事をすると、懐から巻紙を取り出し、床に広げた。
「彼の者たちが、ダリア傭兵団の団長シュダ……正確には、フジェイルと言いましたか……を討ち取った直後には、一個師団を国境近くに配置したりと、かなり活発な動きをしておったようですが……。最近は、その軍勢も引き上げたようで御座います」
「……つまり、ダリア傭兵団が勢力を広げる前に戻った――そんな感じか?」
「御意」
サーシェイルは、口髭に手をやりながら頷いた。
「――と、言いますか……そもそも、シュダ死亡後の、公国側の動きは……侵攻と言うよりは、防衛の為の動員だったと考えた方が宜しいかと」
「……防衛? 我々に対する――か?」
「……いえ」
「ホッホッホ。――それは恐らく」
と、ふたりの会話に割り込んで、暢気な笑い声が部屋に響いた。ふたりが声の方に目を遣ると、扉の前で、純白の神官服を着た老人が、ニコニコと笑いながら顎髭を撫でている。
老人――大教主は、王に向かって深々と一礼すると、言葉を続けた。
「――恐らくそれは、“銀の死神”への対策だったのでしょう」
「――! “銀の死神”……」
大教主の言葉に、ふたりは目を見開いた。大教主は小さく頷く。
「――左様で御座います。主を喪った“銀の死神”が暴走し、自国領に被害を及ぼす事の無いように……そういう動きだったのではと思われます」
「……なるほど」
「そ、そういえば、その“銀の死神”は、どうしたのだ? 一切話を聞いて居らぬが……!」
と、思い出したように、バルサ王は顔面を青ざめさせた。
そんな主君に向かって、大教主は穏やかな笑みを向ける。
「ご安心下さい、陛下。“銀の死神”は、あれ以来、影も形も見せておりませぬ。――今後、彼女が再び現れ、我らの脅威になる恐れは低いと思われます」
「そ、そうなのか? 何故、そうと言い切れる?」
なおも不安げな表情を浮かべるバルサ二世。そんな彼に、大教主は力強く頷いてみせた。
「――これは、死神と直接対峙したパームの言葉の受け売りではありますが……、彼女の心に直接触れた上で確信しておりました故、信用に足る言葉かと存じまする」
そう言うと、大教主はつとその表情を緩め、小さく頷きながら言葉を継ぐ。
「……『彼女も、心が弱い、可哀相な人だったんです』――彼は、そう言ってました」
「可哀相? 数万年前に、前文明を滅ぼし去ったという『銀の死神』を、可哀相な人と評するか……」
「……当時の彼女にも、様々な葛藤があったのでしょう。――そして今回も、“冒瀆者”フジェイルという非情な屍術師に利用され、意に染まぬ殺戮を余儀なくされた――と」
「それも、あいつ……パームの話の受け売りか?」
大教主の言葉に、冷たい口調で口を挟んだのはバルサ二世だった。
無言で頷く大教主をジロリと睨みつけ、彼は憤怒を圧し殺した声で静かに言う。
「……だからと言って、このまま見過ごす訳にもいかぬ。――第一、銀の死神によって、我らは甚大な被害を被っておるのだ。ワイマーレ騎士団の精兵たちと……ロイ・ワイマーレという不世出の英雄を、な」
「……御意」
王の言葉に、サーシェイルも深く頷いた。
大教主も威儀を正して、深々とその禿頭を下げる。
「無論……彼女が再び世に出で、暴虐を働くのであれば、必ず打ち滅ぼさねばなりませぬ」
だが、大教主はそう言うと、ニコリと優しく微笑ってみせた。
「――ですが、ダリア傭兵団壊滅後、銀の死神はただの一度も、その姿を見せてはおりませぬ。それは、パームの直感が当たっている証左ではございませぬでしょうか?」
「……」
王は、大教主の言葉に考え込みながらも、その顔には微かな安堵の色が浮かんでいた。そして、大教主は、そんな王の安堵感を裏付けようと言葉を継ぐ。
「――私も、今ではパームの確信を信じてみようと思います。なに、万が一、また彼女が悪さを働こうとするならば、今度は私が出向いて、浄化してやりますわい。ホッホッホ!」
◆ ◆ ◆ ◆
「ギャオォンッ!」
人里から遠く離れた深い森の奥で、巨大な狼の断末魔が響き渡る。
「あ……あぁ……」
今まさに、狼に喉を食い破られんとしていた少女は、真っ青な顔でガタガタと震えながら、両断された狼の骸を凝視した。
そして、絶体絶命だった彼女の命を救った人影に目を遣る。
「あ……あの……」
恐怖でカラカラに乾いた舌をぎこちなく動かしながら、少女は人影に向かって声をかけた。
「あの……あ、ありがとうございます……。お、お姉ちゃん……」
「……」
だが、その背の高い女性らしきシルエットは、彼女の感謝の言葉に応える事無く、ゆらりと真っ黒い左腕を伸ばした。
「え……?」
「……この方向に真っ直ぐ進め。そうすれば、じきに森を抜けられる」
女はそれだけ言うと、振り返りもせずにその場を去ろうとする。
「あ……あの! あ……ありがとうございました!」
そう、少女が慌てて声を張り上げるが、女は歩みを止める事は無かった。
――が、
「……」
無言のまま、軽く手を挙げて、少女の声に応えてみせた。
その後ろ姿をボーっと見つめながら、少女はポツリと呟く。
「さようなら……本当に綺麗な……銀色の髪のお姉ちゃん――」
「ふう……」
夜闇に沈む王都チュプリ。その中心にそびえ立つ王城――白亜の宮の一室で、豪奢な玉座に座る男が、傍らのローテーブルに置いたゴブレットを持つと、中を満たす瑪瑙色の液体を飲み干した。
「……東部地方の状況も、随分と落ち着いたようだな、サーシェイル」
と、バルサ王国国王バルサ二世――トロウス=ラル=バルサは、書類を流し読みしながら言った。
「は。その通りで御座います」
その声に応じ、階の下で恭しく傅いた軍服姿の男が、大きく頷く。
「――ダリア傭兵団の残党の掃討も、大方済みました。引き続き、騎士隊をリオルスの村に駐留させますが、もう、東部地方がごたつく様な事はないでしょう」
「……クレオーメ公国の動きはどうだ?」
「はい」
サーシェイルは、小さく返事をすると、懐から巻紙を取り出し、床に広げた。
「彼の者たちが、ダリア傭兵団の団長シュダ……正確には、フジェイルと言いましたか……を討ち取った直後には、一個師団を国境近くに配置したりと、かなり活発な動きをしておったようですが……。最近は、その軍勢も引き上げたようで御座います」
「……つまり、ダリア傭兵団が勢力を広げる前に戻った――そんな感じか?」
「御意」
サーシェイルは、口髭に手をやりながら頷いた。
「――と、言いますか……そもそも、シュダ死亡後の、公国側の動きは……侵攻と言うよりは、防衛の為の動員だったと考えた方が宜しいかと」
「……防衛? 我々に対する――か?」
「……いえ」
「ホッホッホ。――それは恐らく」
と、ふたりの会話に割り込んで、暢気な笑い声が部屋に響いた。ふたりが声の方に目を遣ると、扉の前で、純白の神官服を着た老人が、ニコニコと笑いながら顎髭を撫でている。
老人――大教主は、王に向かって深々と一礼すると、言葉を続けた。
「――恐らくそれは、“銀の死神”への対策だったのでしょう」
「――! “銀の死神”……」
大教主の言葉に、ふたりは目を見開いた。大教主は小さく頷く。
「――左様で御座います。主を喪った“銀の死神”が暴走し、自国領に被害を及ぼす事の無いように……そういう動きだったのではと思われます」
「……なるほど」
「そ、そういえば、その“銀の死神”は、どうしたのだ? 一切話を聞いて居らぬが……!」
と、思い出したように、バルサ王は顔面を青ざめさせた。
そんな主君に向かって、大教主は穏やかな笑みを向ける。
「ご安心下さい、陛下。“銀の死神”は、あれ以来、影も形も見せておりませぬ。――今後、彼女が再び現れ、我らの脅威になる恐れは低いと思われます」
「そ、そうなのか? 何故、そうと言い切れる?」
なおも不安げな表情を浮かべるバルサ二世。そんな彼に、大教主は力強く頷いてみせた。
「――これは、死神と直接対峙したパームの言葉の受け売りではありますが……、彼女の心に直接触れた上で確信しておりました故、信用に足る言葉かと存じまする」
そう言うと、大教主はつとその表情を緩め、小さく頷きながら言葉を継ぐ。
「……『彼女も、心が弱い、可哀相な人だったんです』――彼は、そう言ってました」
「可哀相? 数万年前に、前文明を滅ぼし去ったという『銀の死神』を、可哀相な人と評するか……」
「……当時の彼女にも、様々な葛藤があったのでしょう。――そして今回も、“冒瀆者”フジェイルという非情な屍術師に利用され、意に染まぬ殺戮を余儀なくされた――と」
「それも、あいつ……パームの話の受け売りか?」
大教主の言葉に、冷たい口調で口を挟んだのはバルサ二世だった。
無言で頷く大教主をジロリと睨みつけ、彼は憤怒を圧し殺した声で静かに言う。
「……だからと言って、このまま見過ごす訳にもいかぬ。――第一、銀の死神によって、我らは甚大な被害を被っておるのだ。ワイマーレ騎士団の精兵たちと……ロイ・ワイマーレという不世出の英雄を、な」
「……御意」
王の言葉に、サーシェイルも深く頷いた。
大教主も威儀を正して、深々とその禿頭を下げる。
「無論……彼女が再び世に出で、暴虐を働くのであれば、必ず打ち滅ぼさねばなりませぬ」
だが、大教主はそう言うと、ニコリと優しく微笑ってみせた。
「――ですが、ダリア傭兵団壊滅後、銀の死神はただの一度も、その姿を見せてはおりませぬ。それは、パームの直感が当たっている証左ではございませぬでしょうか?」
「……」
王は、大教主の言葉に考え込みながらも、その顔には微かな安堵の色が浮かんでいた。そして、大教主は、そんな王の安堵感を裏付けようと言葉を継ぐ。
「――私も、今ではパームの確信を信じてみようと思います。なに、万が一、また彼女が悪さを働こうとするならば、今度は私が出向いて、浄化してやりますわい。ホッホッホ!」
◆ ◆ ◆ ◆
「ギャオォンッ!」
人里から遠く離れた深い森の奥で、巨大な狼の断末魔が響き渡る。
「あ……あぁ……」
今まさに、狼に喉を食い破られんとしていた少女は、真っ青な顔でガタガタと震えながら、両断された狼の骸を凝視した。
そして、絶体絶命だった彼女の命を救った人影に目を遣る。
「あ……あの……」
恐怖でカラカラに乾いた舌をぎこちなく動かしながら、少女は人影に向かって声をかけた。
「あの……あ、ありがとうございます……。お、お姉ちゃん……」
「……」
だが、その背の高い女性らしきシルエットは、彼女の感謝の言葉に応える事無く、ゆらりと真っ黒い左腕を伸ばした。
「え……?」
「……この方向に真っ直ぐ進め。そうすれば、じきに森を抜けられる」
女はそれだけ言うと、振り返りもせずにその場を去ろうとする。
「あ……あの! あ……ありがとうございました!」
そう、少女が慌てて声を張り上げるが、女は歩みを止める事は無かった。
――が、
「……」
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