氷狼魔術師長様と私の、甘い契約結婚~実は溺愛されていたなんて聞いていません!~

雨宮羽那

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第1章

11・旅立ち前の不気味な対峙

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 (……まさか、今日のうちにこの家を出ることになるなんて)

 自室に戻った私は、半ば呆然としながら荷物をまとめていた。
 といっても、私のもっている私物はさして多くはない。

 いくつかの衣服と、仕事用具、それから父の形見である魔術書を数冊。
 それらをいつものショルダーバッグへ無理やり詰め込むと、部屋の中身は驚くほどすっきりしてしまった。

 (……あ)

 確認するように部屋を見回して、ふと入れ忘れてしまったものに気づく。
 机の上に、折りたたんだ白いハンカチを置いたままだった。

 (このハンカチ、シリウス様にちゃんと返さないと)

 先日、泣いてしまった私へシリウス様が差し出してくれたハンカチ。
 洗濯をしたものの、返すタイミングが中々見つからず、今日まで借りたままだったのだ。

 (シリウス様って、何を考えているのかよく分からない人だわ)

 近づきがたいほど冷たく整った美しい見た目。
 誰にでも厳しく、平等な、氷狼の魔術師。

 けれどあの人は、父を深くとむらってくれ、泣いている私へハンカチを差し出してくれた人でもある。

 それと同時に、私の頭の中には先ほど義両親の前で真顔で淡々と甘い言葉を並べるシリウス様の姿が再生されていた。

 (世間一般のシリウス様のイメージと、私の知るシリウス様が違っていて、混乱するわ……)

 そんなことを考えながら、私はハンカチをポケットへしまいこんだ。

「……よし、これで全部ね」

 (……この部屋とも、この家ともこれでお別れ)

 不思議なものだ。
 引き取ってもらった恩はあるが、同じくらい嫌な思いをした場所。
 それなのに、これで最後だと思うと少しだけ寂しく感じるのだから。
 
 それでも、私はここにいてはいけない。
 ここにいては、私がダメになってしまう。
 誰かに縛られる人生は、今日で終わりだ。

 (私は、自分で生きる場所を選ぶ)
 
 深呼吸を一つして、ぱんぱんに膨らんだショルダーバッグを肩へかけ直す。
 そのまま、廊下へと続く扉を開けて――。

「……セレフィア」

「……っ!?」

 思わず、一瞬呼吸を止めてしまった。
 扉を開けたすぐ目の前に、アルフレッドが立っていたからだ。
 まるで、私が部屋から出てくるのを待っていたかのように。

「び、びっくりした……。お義兄様、どうかしたんですか?」

 ばくばくと跳ねる心臓を手で押さえながら、問いかける。
 しかし、アルフレッドはすぐには答えない。
 ただ、じっと私を見つめてくる。
 その赤い瞳には、いつもの柔らかさは見当たらなかった。

「……いいの? あの男と結婚なんて」

「え……っ?」

 言葉と同時、アルフレッドに手首を掴まれた。
 痛くはない。けれど、しっかりと握られていて離してくれる気配がないことに戸惑ってしまう。

「本当に、あの男でいいの? お前は」

 低く落とされた声には、押し殺した何かが込められているように感じられた。
 初めて聞くアルフレッドの声色に、胸の奥がひどくざわつく。

「し、シリウス様は、その……」

 あの男でいいのかと問われて、私は答えに詰まってしまった。
 だってこの結婚は互いのための契約だ。私とシリウス様の間には、愛も恋も何もない。
 
「……お前は、もっと大事にされるべきだよ」 
 
 不意に、私の手首を掴むアルフレッドの力がぐっと強くなった。
 
「……お義兄、さま?」

 (……心配してくれている、のよね?)

 それにしてはやけに声が低いのが気になるが……。
 アルフレッドは、私がこの家に引き取られた当初から気にかけてくれていた。
 私が突然シリウス様を連れてきたものだから、きっと彼なりに私のこれからを案じてくれているのだろう。

「お前は、ここにいた方が楽なはずだろう?」

「え――」

 (楽……って、どういう意味?)

 この家が、私にとって楽?
 そんなわけはない。
 
 バクスター家にいて、私の気が休まる日なんて一日もなかった。
 義両親には婚期を逃した厄介者として扱われ、私の自由やお金はすべて彼らに奪われるだけ。
 それのどこが楽なのか。

 アルフレッドへ言葉の意味を問い返そうとした、その時だった。
 すぐそばの階段下から、二階へ上ってくる規則正しい足音が近づいてくる。
 
「セレフィア、屋敷から馬車が来ました。支度は整いましたか」

「あっ、シリウス様……」

 階下から姿を現したのはシリウス様だった。
 どうやら私の様子をうかがいにきてくれたらしい。

「……魔術師長」

 シリウス様の姿を見とがめたアルフレッドの声が、苦々しげに落とされる。
 シリウス様は無言のまま、アルフレッドに掴まれたままだった私の手首へ目を留めた。
 状況が掴めないのか、オッドアイが訝しげに細められている。
 それからシリウス様は、アルフレッドへと視線をずらした。

「…………」

 シリウス様とアルフレッドの視線が、静かにぶつかりあう。
 両者無言なのに、なぜだか空気がぴんと張り詰め、廊下の温度がどんどんと下がっていくような心地がする。
 
 しばらく見合っていた二人だが、やがてシリウス様が一歩私の方へ近づいた。
 
「――行きましょうか。セレフィア」

 涼やかな声でそう言うと、シリウス様はそっと私の腕を取った。
 けれど、もう片方の手首にはまだアルフレッドの指が絡んだままだ。
 さすがのシリウス様も不審に思ったようで、一瞬だけ眉をひそめた。

「手を、離していただけますか。アルフレッド卿」

 シリウス様の一言に、アルフレッドの指がぴくりと震える。
 けれど、アルフレッドの手はすぐに離れていった。
 
「……ああ。ごめんね、セレフィア」

「……では、失礼します」 

 シリウス様はアルフレッドへ短く一礼すると、私の腕を軽く引いた。
 足早に階段を降りようとするものだから、私は慌ててついていくしかない。
 
「え、シリウス様、ちょっと待ってください! 早いです……!」

 先ほどの義兄の様子がなんとなく気がかりで、階段を降りる直前、私はちらりと後ろを振り返った。
 
「セレフィア、幸せになるんだよ」

 アルフレッドはもう、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
 いや、いつも以上の笑顔だ。
 ……不気味なほどに。
 
 赤い瞳は綺麗に細められていて、瞳の奥は見えなかった。
 
 
 
 
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