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第3章
34・自覚した想い
しおりを挟む城の廊下を抜け、中庭に出る。
煌びやかな喧騒は遠のき、代わりに夜の虫の音が響いていた。
月明かりに照らされた噴水の音が、絶えず水音を立てている。
胸の鼓動は落ち着かないままなのに、夜気の冷たさが呼吸を楽にしてくれるような気がした。
噴水近くのベンチに腰掛けると、シリウス様も私の隣に腰を下ろす。
私を見る視線は、いまだ気遣わしげなものだった。
「落ち着きましたか?」
「はい……。ありがとうございました。助けて、いただいて」
「いいえ。むしろ、遅くなってしまってすみません」
シリウス様はそれ以上何も言わず、ただ黙って噴水を眺めていた。
「あの……クラリッサ様は……」
何かを尋ねようと口を開いたものの、途中で口ごもってしまった。
どう、聞けばよいのだろう。
シリウス様とクラリッサ様がどういう関係なのかは、もう察しがついていた。
国王陛下が決めた、シリウス様の前の婚約者。
けれど、本当にそれだけなのだろうか。
だって、彼女は私に言った。
「シリウス様を譲るつもりはありませんわ……!」と。
(クラリッサ様は……シリウス様のことが好きなんじゃないの?)
だから、私に突っかかってきたのではないだろうか。
そう考えると納得がいく。
なぜなら私はクラリッサ様にとって、突然婚約者の座を奪い去った女なのだろうから。
しかもその私が、明らかにクラリッサ様よりも格下のスペックとなれば、苛立つ気持ちも分からなくはない。
……分かりたくはないけれど。
「彼女は……。あなたに契約を持ちかけた時にも話しましたが、以前陛下が勝手に決めた私の婚約者です」
シリウス様は淡々と事実として語ってくれる。この声音には温度がなく、私にはまるで他人事のように聞こえた。
「無事に破談となり、陛下が詫びとして別の有力貴族との婚姻を彼女に斡旋しているそうですが……。受け入れてもらえていないとボヤいていましたね」
(それはやっぱり、シリウス様と結婚したいんじゃないの?)
「まったく……。私に仕返しがしたいなら、直接私に向かってくればいいものを。セレフィアに敵意を向けるなど、卑怯極まりない」
(……前に、私のことを鈍いと言ったけど、シリウス様も大概では?)
女の勘でわかる。
クラリッサ様は、シリウス様のことが好きに違いない。
胸の奥の不安がどうしても消えず、私は噴水の音にかき消されそうなほどの小さな声で問いかけた。
「シリウス様は……、本当に、私でいいんですか……?」
シリウス様は以前、私や父に恩を感じていると言った。
だから、きっと手近な女性の中から私を選んだのだろう。
「私は……、クラリッサ様と違って、魔力もないですし。家柄も、社交経験も……何もかもが劣ります」
言葉を重ねるほどに、胸がきゅっと締め付けられるように痛む。
情けないことに、視界の端に涙がにじむのが自分でもわかった。
「私よりも――」
「結婚するなら、あなたしか考えられなかったから。それでは理由になりませんか」
私よりもクラリッサ様の方が、シリウス様の妻としてふさわしいのではないか。
そう言いかけた私の声をさえぎるようにして、シリウス様の低い声が静かに重なった。
「!?」
「魔力も、家柄も、社交経験も、私は求めていません。あなたがただ、あなたらしくいるだけでいい。そんなあなたに、私は救われたのだから」
「……救われ……?」
言葉の意味が掴めずに目を瞬かせてしまった私へシリウス様は手を伸ばした。
ぽんと、大きな手のひらが私の頭の上に乗り、優しく髪の上を滑っていく。
「今日は、よく頑張ってくれましたね。私の言葉通り、堂々といてくれた。社交が初めてにしては上出来です」
その声は叱責でも慰めでもなく、ただ事実を穏やかに告げるような優しさを帯びていた。
「あなたは打たれ強い人だ。けれど、次に困ったことがあれば、すぐに私を呼びなさい。いいですね?」
「……はい」
シリウス様の手が、ゆるやかに私の頭を撫でてくれる。
それだけでざわついていた心が凪いでいく。
(ああ、これはもう無理だ。引き返せない)
私はきっと、シリウス様のことが好きなのだろう。
人としてだけではなく、一人の男性として。
クラリッサ様のことが気になってしまうのも、私が引け目に感じていることをクラリッサ様に言い当てられて卑屈になってしまうのも、今撫でられているだけで幸せな心地になるのも……。
全部全部、シリウス様に惹かれてしまっているから。
けれどシリウス様は私のことを、きちんと恋愛対象の女性として見てくれているのだろうか。
日頃の態度や今の対応から、子ども扱いされているような気がする。
(そもそも、これは……契約だものね)
もし、私に対して多少なりとも恋愛感情があるのなら、契約で結婚なんて持ちかけてこないだろう。
普通に好意を打ち明ければ済む話なのだから。
(……契約なのだから……期待してはいけないわ)
私はもう、バクスター家で散々知っていた。
自分が向けた気持ちと同じものが返ってくるとは限らないことを。
期待すると、虚しいだけだ。
「セレフィア。少し早いですが、屋敷へ帰りましょうか。疲れたでしょう」
「はい」
けれど、そう言って私へ手を差し伸べてくれるシリウス様の手が温かいから、どうしても期待してしまいそうになる。
胸の内に芽生えた気持ちを隠したまま、私はシリウス様の手をそっと握り返した。
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