26 / 28
三章
10、颱風一過の朝【3】
しおりを挟む
参ったなぁ。
俺は、眩しすぎる空を仰いで小さく息をついた。
勘が鈍くないというか、割と察しのええ方やから。
貴世子が、俺のことを好いてくれてるのが分かるんや。これは多分、思い上がりや自惚れやない。
どうしたらええんやろな。
俺かって、このまま別れたくはない。
まるで純情な少年のように、好いた人と手を繋いでるだけでも胸がドキドキする。
こんなん自分と違うみたいや。
とくに、ただ手を繋いでるわけやない。
貴世子を愛した後やから。余計に……なんか照れくさくて、どういう表情をしたらええんか分からなくなる。
「あの、幾久司さん」
「ん?」
貴世子に声をかけられて俺は立ち止まった。
なるべく平静な声を出す。俺は落ち着いてるように見えるやろか。胸の鼓動が聞こえやせぇへんか気になるとか……少年を飛び越えて少女やろ。
「いえ、何でもないんです」
「そうか……」
口ごもった貴世子は、そのまま続く言葉を飲み込んだ。
そしてまた、繋いだ手に力を込めてくるんや。
あかんなぁ。なんで俺は堅気やなかったんやろ。
なんでヤクザの家系に生まれたんやろ。
この辺りのヤクザは、基本的に穏やかや。力があったり武闘派やったりする人は、話も通じるし、何かを根に持つこともない。
せやけど賭場に来る奴らの中には、世を恨んだり、憎んだりする者がいる。
そういう奴らは話が通じへんのや。
貴世子をそういう世界に巻き込むことは絶対にせぇへん。けど、もし俺が巻き込まれて、彼女を遺すことになったら。
きっと泣かせてしまうんやろうなぁ。
それやったら、ここで感じる少しの寂しさで済んだ方が、貴世子の為になるんとちゃうやろか。
角を曲がり大通りに出ると、教會とその奥に洋館の県庁が見えた。
赤煉瓦のすっとした直線の教會と、白い壁に緑青の丸屋根を持つ、回廊式の本庁舎。
昨夜の颱風の所為で、道には折れた枝や木の葉が散乱しとうけど。
すでに車や市電が何事もなかったかのように走っとう。
そう、もう颱風は過ぎたんや。それぞれに日常が戻ってきたんや。
それやったら、未練なんか残さんと、さっさと割り切った方がええ。
俺は小さくため息をついた。
◇◇◇
見慣れた榮光教會から、パイプオルガンの音色が聞こえてきました。
窓が開け放ってあるのでしょう。御ミサの曜日ではありませんが、牧師さまは毎日礼拝をなさっておいでですものね。
幼い頃より変わらない光景。
今は幾久司さんと手を繋いで歩いているけれど。それも今日だけのこと。
明日からは、また一人きりの日々が始まるのです。
だから、ちゃんと慣れないといけません。元の日常が戻るだけのことなんですから。
「えーと、ここを曲がるんやったな」
「はい。あと少し着きます」
わたしは明るく幾久司さんに返事しました。
小路に入れば、うちまではほんの数分です。
できればゆっくりと進みたいのに。突然、幾久司さんは歩を速めたんです。
早足でゆるやかな坂を上り、わたしは慌てて彼についていきます。
ああ、やはり。幾久司さんは一刻も早く日常に戻りたいですよね。
わたしだけが、覚めない夢の中にいてはいけないのだわ。
「きゃっ」
身の丈に合っていない外套の裾が、足に絡まってしまいました。
つまずいたわたしを、とっさに幾久司さんが支えてくださいます。
力強い腕。ほんの何時間か前まで、わたしはこの腕の中にいました。
けれど、今はすぐに「大丈夫か?」とだけ問われて、手を離されるのです。
「済みません」と頭を下げつつも、やはり苦しいのです。
心が、離れたくないと叫んでいるのです。
それを口に出来たら、どんなにかいいでしょう。
けれど幾久司さんに拒否されたらと思うと、本音を言えないんです。
わたしの我儘が、彼の後悔になってはいけない。昨夜のことは……わたしのことは、忘れてくれた方がいい。それは分かっているのに。
どうしてわたしは、彼との一晩の関係を割り切ることができないのでしょう。
俺は、眩しすぎる空を仰いで小さく息をついた。
勘が鈍くないというか、割と察しのええ方やから。
貴世子が、俺のことを好いてくれてるのが分かるんや。これは多分、思い上がりや自惚れやない。
どうしたらええんやろな。
俺かって、このまま別れたくはない。
まるで純情な少年のように、好いた人と手を繋いでるだけでも胸がドキドキする。
こんなん自分と違うみたいや。
とくに、ただ手を繋いでるわけやない。
貴世子を愛した後やから。余計に……なんか照れくさくて、どういう表情をしたらええんか分からなくなる。
「あの、幾久司さん」
「ん?」
貴世子に声をかけられて俺は立ち止まった。
なるべく平静な声を出す。俺は落ち着いてるように見えるやろか。胸の鼓動が聞こえやせぇへんか気になるとか……少年を飛び越えて少女やろ。
「いえ、何でもないんです」
「そうか……」
口ごもった貴世子は、そのまま続く言葉を飲み込んだ。
そしてまた、繋いだ手に力を込めてくるんや。
あかんなぁ。なんで俺は堅気やなかったんやろ。
なんでヤクザの家系に生まれたんやろ。
この辺りのヤクザは、基本的に穏やかや。力があったり武闘派やったりする人は、話も通じるし、何かを根に持つこともない。
せやけど賭場に来る奴らの中には、世を恨んだり、憎んだりする者がいる。
そういう奴らは話が通じへんのや。
貴世子をそういう世界に巻き込むことは絶対にせぇへん。けど、もし俺が巻き込まれて、彼女を遺すことになったら。
きっと泣かせてしまうんやろうなぁ。
それやったら、ここで感じる少しの寂しさで済んだ方が、貴世子の為になるんとちゃうやろか。
角を曲がり大通りに出ると、教會とその奥に洋館の県庁が見えた。
赤煉瓦のすっとした直線の教會と、白い壁に緑青の丸屋根を持つ、回廊式の本庁舎。
昨夜の颱風の所為で、道には折れた枝や木の葉が散乱しとうけど。
すでに車や市電が何事もなかったかのように走っとう。
そう、もう颱風は過ぎたんや。それぞれに日常が戻ってきたんや。
それやったら、未練なんか残さんと、さっさと割り切った方がええ。
俺は小さくため息をついた。
◇◇◇
見慣れた榮光教會から、パイプオルガンの音色が聞こえてきました。
窓が開け放ってあるのでしょう。御ミサの曜日ではありませんが、牧師さまは毎日礼拝をなさっておいでですものね。
幼い頃より変わらない光景。
今は幾久司さんと手を繋いで歩いているけれど。それも今日だけのこと。
明日からは、また一人きりの日々が始まるのです。
だから、ちゃんと慣れないといけません。元の日常が戻るだけのことなんですから。
「えーと、ここを曲がるんやったな」
「はい。あと少し着きます」
わたしは明るく幾久司さんに返事しました。
小路に入れば、うちまではほんの数分です。
できればゆっくりと進みたいのに。突然、幾久司さんは歩を速めたんです。
早足でゆるやかな坂を上り、わたしは慌てて彼についていきます。
ああ、やはり。幾久司さんは一刻も早く日常に戻りたいですよね。
わたしだけが、覚めない夢の中にいてはいけないのだわ。
「きゃっ」
身の丈に合っていない外套の裾が、足に絡まってしまいました。
つまずいたわたしを、とっさに幾久司さんが支えてくださいます。
力強い腕。ほんの何時間か前まで、わたしはこの腕の中にいました。
けれど、今はすぐに「大丈夫か?」とだけ問われて、手を離されるのです。
「済みません」と頭を下げつつも、やはり苦しいのです。
心が、離れたくないと叫んでいるのです。
それを口に出来たら、どんなにかいいでしょう。
けれど幾久司さんに拒否されたらと思うと、本音を言えないんです。
わたしの我儘が、彼の後悔になってはいけない。昨夜のことは……わたしのことは、忘れてくれた方がいい。それは分かっているのに。
どうしてわたしは、彼との一晩の関係を割り切ることができないのでしょう。
0
あなたにおすすめの小説
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる