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三章
11、別離の朝
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自分の家に戻ると、庭にはやはり散った葉が散乱していました。
大変。門の瓦が落ちています。
しかも前栽の木が掘り返されたようになっているんです。枝は折れていないのですが、根元が露わになって幹が斜めになっているんです。
これを一人で直せるのでしょうか。
職人さんに頼むお金なんて、ありません。
軋む音を立てながら門が開くと、溜まった水が地面に落ちました。
雨をたっぷりと吸いこんだ庭の土の濃い匂い。埃っぽい苔の匂い。
普段の自分の知っている家とは、まったく違う雰囲気です。
わたしは、倒れた植木鉢を元に戻しました。植えられていた棕櫚竹は、元は端正な葉を茂らせていたのですけれど。今は葉が何枚も折れてしまっています。
きっと裏庭もひどいことになっているでしょう。それは容易に想像がつきます。
「どうしましょう……」
呟く声が震えてしまい、わたしは慌てて手で口を押えました。
そんな弱音を口にしたら、幾久司さんが心配なさいます。
どの家も、被害の程度は同じ。幾久司さんの家だって、瓦が落ちていましたもの。
自分達でなんとかしないといけないのです。
大丈夫。きっと大丈夫です。
「あの、幾久司さん。送ってくださってありがとうございます」
「ああ、うん」
呆然とした表情で、幾久司さんが仰います。
眩しすぎる朝日と、雨で洗われた澄みきった大気の所為で、彼の顔はあどけなく見えました。
まるで、背の高い大きな少年が其処にいるかのように。
「助けてくださり、本当に助かりました。その、いろいろと……。えっと、父と名原組の組長さんがお知り合いなんですよね。またご挨拶に伺おうと思っています」
「いつ?」
「え?」
「いつうちの組に来るん?」
幾久司さんが身を乗り出していらっしゃるので、朝日が隠れて、彼の背後がまるで後光のようでした。
シャツに隠された観音さまも、きっと輝きに照らされているのでしょうね。
うっすらとしか覚えていませんが、龍に乗った観音さまは、とても優しい表情をなさっていたように思います。
「ん? 貴世子。なんで自分、手を合わせとん?」
「あ、いえ」
何をしているの、わたしったら。
つい、観音さまを思い出して拝んでしまいました。
幾久司さんとまた会うことができますように、と。
「えっと、お伺いする日時はまだ決めていませんけど。近いうちに……その、幾久司さんが案内してくださいますか?」
お返事はありません。
幾久司さんは、少し眉をひそめて。そして口をへの字に結んだんです。
「あの、ご迷惑でしたら一人で伺いますから」
「あー、いや。案内してやりたいけど。俺も事務所におるとは限らへんからなぁ」
ちくり、と胸に棘が刺さったように思いました。
「せやなぁ。手紙でもええとおもうで。わざわざヤクザの本拠地に来ることもあらへんやろ」
「それは……行かない方がいいということですか?」
尋ねると、幾久司さんは視線を泳がせました。
「あなたに会わない方がいいんですか?」とは問えませんでした。
「そうやで」と返されるのが怖かったからです。
「あの、本当にありがとうございました。それでは」
わたしは急いで頭を下げると、玄関へ向かって走り出しました。
振り返っては駄目。未練が残るから。
遠くから聞こえる市電の走る音が、幾久司さんの言葉に重なりました。
わたしは、その声を振り切るように玄関の引き戸に手を掛けたのです。
大変。門の瓦が落ちています。
しかも前栽の木が掘り返されたようになっているんです。枝は折れていないのですが、根元が露わになって幹が斜めになっているんです。
これを一人で直せるのでしょうか。
職人さんに頼むお金なんて、ありません。
軋む音を立てながら門が開くと、溜まった水が地面に落ちました。
雨をたっぷりと吸いこんだ庭の土の濃い匂い。埃っぽい苔の匂い。
普段の自分の知っている家とは、まったく違う雰囲気です。
わたしは、倒れた植木鉢を元に戻しました。植えられていた棕櫚竹は、元は端正な葉を茂らせていたのですけれど。今は葉が何枚も折れてしまっています。
きっと裏庭もひどいことになっているでしょう。それは容易に想像がつきます。
「どうしましょう……」
呟く声が震えてしまい、わたしは慌てて手で口を押えました。
そんな弱音を口にしたら、幾久司さんが心配なさいます。
どの家も、被害の程度は同じ。幾久司さんの家だって、瓦が落ちていましたもの。
自分達でなんとかしないといけないのです。
大丈夫。きっと大丈夫です。
「あの、幾久司さん。送ってくださってありがとうございます」
「ああ、うん」
呆然とした表情で、幾久司さんが仰います。
眩しすぎる朝日と、雨で洗われた澄みきった大気の所為で、彼の顔はあどけなく見えました。
まるで、背の高い大きな少年が其処にいるかのように。
「助けてくださり、本当に助かりました。その、いろいろと……。えっと、父と名原組の組長さんがお知り合いなんですよね。またご挨拶に伺おうと思っています」
「いつ?」
「え?」
「いつうちの組に来るん?」
幾久司さんが身を乗り出していらっしゃるので、朝日が隠れて、彼の背後がまるで後光のようでした。
シャツに隠された観音さまも、きっと輝きに照らされているのでしょうね。
うっすらとしか覚えていませんが、龍に乗った観音さまは、とても優しい表情をなさっていたように思います。
「ん? 貴世子。なんで自分、手を合わせとん?」
「あ、いえ」
何をしているの、わたしったら。
つい、観音さまを思い出して拝んでしまいました。
幾久司さんとまた会うことができますように、と。
「えっと、お伺いする日時はまだ決めていませんけど。近いうちに……その、幾久司さんが案内してくださいますか?」
お返事はありません。
幾久司さんは、少し眉をひそめて。そして口をへの字に結んだんです。
「あの、ご迷惑でしたら一人で伺いますから」
「あー、いや。案内してやりたいけど。俺も事務所におるとは限らへんからなぁ」
ちくり、と胸に棘が刺さったように思いました。
「せやなぁ。手紙でもええとおもうで。わざわざヤクザの本拠地に来ることもあらへんやろ」
「それは……行かない方がいいということですか?」
尋ねると、幾久司さんは視線を泳がせました。
「あなたに会わない方がいいんですか?」とは問えませんでした。
「そうやで」と返されるのが怖かったからです。
「あの、本当にありがとうございました。それでは」
わたしは急いで頭を下げると、玄関へ向かって走り出しました。
振り返っては駄目。未練が残るから。
遠くから聞こえる市電の走る音が、幾久司さんの言葉に重なりました。
わたしは、その声を振り切るように玄関の引き戸に手を掛けたのです。
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