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三章
12、颱風は去ったはずなのに
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わたしが玄関の引き戸を開こうとしたのですが。幾久司さんの手に押さえられて、開けることができません。
雨を存分に吸い込んだ戸は湿り、指先までしっとりと濡れてしまいそう。
「あの?」
「あ、すまん。つい……」
歯切れの悪い幾久司さんは、わたしから視線を逸らしました。
もしかして、あなたも別れを惜しんでくださっているの?
これはわたしの思い上がりではないの?
瞼を伏せたその瞳は、とても切なげです。雨で濡れた踏み石や地面が、朝日に照らされて煌めいている所為で、幾久司さんの瞳にも光が宿って見えます。
わたしは彼の袖を掴みました。
離したくなかったのです。別れたくなかったのです。
「お返事はいただけないことは、分かっています。でも、でも……これだけは聞いてください」
どうか勇気を。断られることは前提でも、気持ちだけでも伝えておかないと。
わたしは、今のままでは前に進めません。この気持ちをなかったことにはできません。
「……言わんでええ」
「え?」
なけなしの勇気が、踏まれた小枝のようにぽきっと折れて、そして砕け散りました。
ですが……。
わたしの体は引き寄せられ、幾久司さんに抱きしめられたです。
「俺に言わせてくれ。このまま貴世子と離れ離れになるのは嫌や。ずっと一緒にいたい、誰にも渡したくない」
「幾久司さん?」
わたしを抱きしめる、がっしりとした腕は小刻みに震えています。
その声も、かすれているんです。
勇気を振り絞ったのは、わたしだけではなかったの?
「貴世子のことを忘れて生きていくなんて、俺には無理や」
わたしは、垂れ下がったままだった手を幾久司さんの背にまわしました。
「わたしも無理です。あなたを忘れることなんてできません」と呟いた言葉は、彼のたくましい胸に吸い込まれていきました。
「覚悟を決めて欲しい。ヤクザの俺と添う覚悟や」
幾久司さんの胸の鼓動が、早鐘のような鼓動が聞こえてきます。
わたしは背伸びをして、彼と唇を重ねました。
ほんの少しだけ、微かな風が触れるようなキスです。
一瞬、幾久司さんは何が起こったのか分からないようでしたが。すぐにご自分の唇に触れて、そして徐々に頬が赤くなっていったの。
「……あかんやんか。普通は言葉で返事するもんやろ?」
ごめんなさい。でもね、嬉しすぎて喉が詰まってしまって。声にならなかったの。
市電の走る音、枝から飛び立つ鳥の羽音とさえずり。それらがようやく聞こえてきました。
ふいに、周囲が翳ったと思うと、わたしの唇が塞がれたんです。
「え、あの」
「黙っとき。人に見られるで」
門の中だから、他に人はいません。幾久司さんは何度も何度も、わたしの頬にも唇にもキスの雨を降らせるんです。
まるでそれは颱風のように、激しくて。
立っていられなくなりそうで、わたしは彼の腕に必死でしがみついたんです。
「片づけをせなあかんから、キスだけにしとくけど」
そのキスが、激しすぎるんです。
まるで颱風の気が変わって、戻って来たかのように。わたしは幾久司さんの接吻に翻弄されながら、膝の力が抜けてへたりこんでしまいました。
【完】
雨を存分に吸い込んだ戸は湿り、指先までしっとりと濡れてしまいそう。
「あの?」
「あ、すまん。つい……」
歯切れの悪い幾久司さんは、わたしから視線を逸らしました。
もしかして、あなたも別れを惜しんでくださっているの?
これはわたしの思い上がりではないの?
瞼を伏せたその瞳は、とても切なげです。雨で濡れた踏み石や地面が、朝日に照らされて煌めいている所為で、幾久司さんの瞳にも光が宿って見えます。
わたしは彼の袖を掴みました。
離したくなかったのです。別れたくなかったのです。
「お返事はいただけないことは、分かっています。でも、でも……これだけは聞いてください」
どうか勇気を。断られることは前提でも、気持ちだけでも伝えておかないと。
わたしは、今のままでは前に進めません。この気持ちをなかったことにはできません。
「……言わんでええ」
「え?」
なけなしの勇気が、踏まれた小枝のようにぽきっと折れて、そして砕け散りました。
ですが……。
わたしの体は引き寄せられ、幾久司さんに抱きしめられたです。
「俺に言わせてくれ。このまま貴世子と離れ離れになるのは嫌や。ずっと一緒にいたい、誰にも渡したくない」
「幾久司さん?」
わたしを抱きしめる、がっしりとした腕は小刻みに震えています。
その声も、かすれているんです。
勇気を振り絞ったのは、わたしだけではなかったの?
「貴世子のことを忘れて生きていくなんて、俺には無理や」
わたしは、垂れ下がったままだった手を幾久司さんの背にまわしました。
「わたしも無理です。あなたを忘れることなんてできません」と呟いた言葉は、彼のたくましい胸に吸い込まれていきました。
「覚悟を決めて欲しい。ヤクザの俺と添う覚悟や」
幾久司さんの胸の鼓動が、早鐘のような鼓動が聞こえてきます。
わたしは背伸びをして、彼と唇を重ねました。
ほんの少しだけ、微かな風が触れるようなキスです。
一瞬、幾久司さんは何が起こったのか分からないようでしたが。すぐにご自分の唇に触れて、そして徐々に頬が赤くなっていったの。
「……あかんやんか。普通は言葉で返事するもんやろ?」
ごめんなさい。でもね、嬉しすぎて喉が詰まってしまって。声にならなかったの。
市電の走る音、枝から飛び立つ鳥の羽音とさえずり。それらがようやく聞こえてきました。
ふいに、周囲が翳ったと思うと、わたしの唇が塞がれたんです。
「え、あの」
「黙っとき。人に見られるで」
門の中だから、他に人はいません。幾久司さんは何度も何度も、わたしの頬にも唇にもキスの雨を降らせるんです。
まるでそれは颱風のように、激しくて。
立っていられなくなりそうで、わたしは彼の腕に必死でしがみついたんです。
「片づけをせなあかんから、キスだけにしとくけど」
そのキスが、激しすぎるんです。
まるで颱風の気が変わって、戻って来たかのように。わたしは幾久司さんの接吻に翻弄されながら、膝の力が抜けてへたりこんでしまいました。
【完】
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