【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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二章

7、思い出【1】

 あれは寒い冬のことだった。九年ほど前のことだから、俺は二十二歳。翠子さんは七歳くらいだったろう。
 
 冬休みに帰省していた俺は、大学に戻る前に革靴を新調しようと家を出た。
 早朝でもないのに道の端には霜柱が立ち、重い鈍色にびいろの空から雪がちらついていた。
 積もる雪かもしれない。
 革の手袋をはめた手をかざすと、きれいな雪の結晶が落ちてきた。

 北海道ならいざ知らず、普段は温暖なこの地で雪の結晶が見られることはまずない。まるで天が贈り物をくれたようで、不思議と心が弾んだ。

 翠子さんに出会ったのは、そんな日のことだ。
 まだ幼かった彼女は、なぜか大通り沿いの歩道で座り込んでいた。葉を落とした街路樹の幹にもたれ、膝を抱えて座る少女。

 珍しいことではない。親を亡くした子どもや、貧民が力なく座り込んでいるのはよくあることだ。
 道行く人たちは、その子を一瞥しては興味なさそうに立ち去っていく。

 だが、俺はそれができなかった。貧民の子どものように、ぼろをまとっているわけではない。上品な着物を着ているのに、草履の鼻緒が擦り切れて歩けなくて困っている……そんな風だった。

「君、大丈夫か?」

 声をかけると、小さな翠子さんははじかれたように顔を上げた。大きな黒い目から、今にも涙がこぼれそうだ。
 かわいそうに。そう思うのと同時に、俺は手袋を外していた。

「この手袋を使いなさい。少しは温かいだろう」
「でも、お兄ちゃんが寒いよ?」

 返される言葉はたどたどしくて。自分の方が凍えているのに、俺のことを案じるその優しさに、なぜか泣きそうになった。
 だからという訳ではないが、俺は淡い黄色のマフラーも外して、翠子さんの首に巻いた。

 大人になっても使えるようにと長めに編まれたマフラーは、まだ年端もいかない少女には長すぎて。ぐるぐる巻きになったマフラーに、彼女は口だけではなく鼻まで隠れてしまった。

「いいにおいがするね」
「そうかな。よく分からないが」
「あのね、檸檬れもん薄荷はっかのにおいがするの」

 そうか、普段つけている香りだ。自分では慣れてしまっているから、気にもしなかったな。

 雪はますます降ってきて、翠子さんは座り込んだままで両のてのひらを上に向けた。
 ぶかぶかの革手袋に落ちてくる雪の結晶を、まばたきもせずに見つめている。

「きれいだな」
「うん、すごくきれい。こんなの初めて見たよ」

 きらきらの瞳からは、すでに涙は乾いているようだった。
 よかった、と俺は安堵の息をついた。

「家まで送って行こう。君の苗字は?」
「笠井、笠井翠子。おうちは、多分あっちの方、かな」

 翠子さんは川の対岸を指さした。
 そちらの方面で「笠井」というと、手広く商売をしている男爵家のことだな。

 話を聞くと、新しい草履を買ってもらい、それが嬉しくてひとりで散歩に出たらしい。そして鼻緒がちぎれてしまったのだそうだ。
 このままでは歩けない。草履を脱いだら足袋が汚れてしまう。

 それが彼女の説明だったが、どうやら自分が迷子になっていることを隠しているつもりらしい。
 幼い子にもプライドはあるのだな、と俺は納得した。面白い発見だ。

「では、鼻緒をげ替えて家までお送りしましょう。翠子お嬢さま」
「え、いいの?」

 芝居じみた言葉遣いが受けたのか、翠子さんの顔が、ぱっと明るくなる。つられて俺まで笑みをこぼしてしまった。
 厳しい表情で、めったに笑わないと言われているこの俺が、だ。

 幼い子と接することがないわけではない。
 友人の家に行くと、たまに子どもに会うこともあるが。別に構ってやりたいとも、甘えさせてやりたいとも思わない。

 なのに、なぜ初対面の翠子さんには、尽くしてやりたいと考えるのだろうか。
感想 10

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