21 / 247
二章
10、盲点
放課後、学校帰りのわたくしを先生は途中の道で待っていらっしゃいました。
「迷子になるといけないからな」
夕暮れとはいえ、まだ梅雨が終わっていないこの頃は、じっとりと蒸し暑い気候です。
先生はどれほどの時間、待っていらっしゃったのでしょう。こめかみから頬にかけて汗が伝っています。
「先生、だめです。影に入っていないと」
「別に平気だ。夏山など、稜線歩きは森林限界で木の陰もないからな」
「でも、山は涼しいのでしょう? ここは低地です、暑いです」
わたくしがまくし立てたので、先生は驚いたように目を丸くなさっています。
「……心配してくれるのか? 俺のことを」
「当たり前です」
そう言ったけれど、出過ぎた真似だったでしょうか。教室ではちゃんと会話することも難しいのに。学校を出れば、つい親しいような気になってしまって。
図々しいと思われなかったでしょうか。
「済みません」
「謝る必要はない。むしろ嬉しいくらいだ」
先生は背が高いので、わたくしは顔を上げないと、ちゃんと表情を見ることができません。
見上げると、先生は顔の半分というか中心というか、その辺りを手で押さえていました。指と指の間から見える頬が、少し朱に染まっています。
「さぁ帰ろう。俺たちの家へ」
「はい」
教科書を入れているわたくしの風呂敷包みを、先生が持ってくださいました。
馬車や車が土煙を上げて走る大通りから、路地へと入ります。
はしたないですが、わたくしはきょろきょろと辺りを見回しました。
「どうかしたのか?」
「いえ、この辺りは見覚えがあると思って。うちからは遠いので、来ることはないんですが」
「ふーん。昔、迷子にでもなったんじゃないのか?」
「どうして分かるんですか? やはりわたくしが、しっかりしていないからですか」
なぜか先生は、ふっと柔らかく微笑みました。
本当に、どうしてしまったのでしょう。これまで笑わなかった分、笑顔の大放出なのでしょうか。
「子どもの頃、迷子になった時に助けていただいたんです。新しい草履がうれしくて、歩き回って鼻緒が切れて。泣きべそをかいていたら、マフラーと手袋を貸してくださって、鼻緒も挿げ替えておやつまでくださいました」
「ふぅん」
「きっとこの辺りの方なんですね」
「まぁ、そうだろうな」
なぜか先生は気のない返事をなさいます。
確かに、わたくしが迷子になったことなど興味ありませんよね。
あの時は、迷子だというのが恥ずかしくて。助けて下さった方、わたくしは「お兄ちゃん」と呼んでいましたが。そのお兄ちゃんに、迷子ではないと意地を張ってしまいました。
「お会いしたいです。お兄ちゃんに」
「……覚えていないのか?」
「雪が降っていて。しかもお兄……その方は、ずいぶんと背が高くて。見上げても、あごの下くらいしか見えないんです。あんな背の高い方がいらしたら、すぐに分かると思っていたんですけど。会えないものですね」
先生は立ち止まって、わたくしの顔をまじまじと見つめました。
そろそろ雨が降るのかもしれません。道の端の、青が濃くなった紫陽花が揺れ、吹く風に水のにおいが混じっていました。
「盲点だった」
なぜか先生はそう呟きました。
「迷子になるといけないからな」
夕暮れとはいえ、まだ梅雨が終わっていないこの頃は、じっとりと蒸し暑い気候です。
先生はどれほどの時間、待っていらっしゃったのでしょう。こめかみから頬にかけて汗が伝っています。
「先生、だめです。影に入っていないと」
「別に平気だ。夏山など、稜線歩きは森林限界で木の陰もないからな」
「でも、山は涼しいのでしょう? ここは低地です、暑いです」
わたくしがまくし立てたので、先生は驚いたように目を丸くなさっています。
「……心配してくれるのか? 俺のことを」
「当たり前です」
そう言ったけれど、出過ぎた真似だったでしょうか。教室ではちゃんと会話することも難しいのに。学校を出れば、つい親しいような気になってしまって。
図々しいと思われなかったでしょうか。
「済みません」
「謝る必要はない。むしろ嬉しいくらいだ」
先生は背が高いので、わたくしは顔を上げないと、ちゃんと表情を見ることができません。
見上げると、先生は顔の半分というか中心というか、その辺りを手で押さえていました。指と指の間から見える頬が、少し朱に染まっています。
「さぁ帰ろう。俺たちの家へ」
「はい」
教科書を入れているわたくしの風呂敷包みを、先生が持ってくださいました。
馬車や車が土煙を上げて走る大通りから、路地へと入ります。
はしたないですが、わたくしはきょろきょろと辺りを見回しました。
「どうかしたのか?」
「いえ、この辺りは見覚えがあると思って。うちからは遠いので、来ることはないんですが」
「ふーん。昔、迷子にでもなったんじゃないのか?」
「どうして分かるんですか? やはりわたくしが、しっかりしていないからですか」
なぜか先生は、ふっと柔らかく微笑みました。
本当に、どうしてしまったのでしょう。これまで笑わなかった分、笑顔の大放出なのでしょうか。
「子どもの頃、迷子になった時に助けていただいたんです。新しい草履がうれしくて、歩き回って鼻緒が切れて。泣きべそをかいていたら、マフラーと手袋を貸してくださって、鼻緒も挿げ替えておやつまでくださいました」
「ふぅん」
「きっとこの辺りの方なんですね」
「まぁ、そうだろうな」
なぜか先生は気のない返事をなさいます。
確かに、わたくしが迷子になったことなど興味ありませんよね。
あの時は、迷子だというのが恥ずかしくて。助けて下さった方、わたくしは「お兄ちゃん」と呼んでいましたが。そのお兄ちゃんに、迷子ではないと意地を張ってしまいました。
「お会いしたいです。お兄ちゃんに」
「……覚えていないのか?」
「雪が降っていて。しかもお兄……その方は、ずいぶんと背が高くて。見上げても、あごの下くらいしか見えないんです。あんな背の高い方がいらしたら、すぐに分かると思っていたんですけど。会えないものですね」
先生は立ち止まって、わたくしの顔をまじまじと見つめました。
そろそろ雨が降るのかもしれません。道の端の、青が濃くなった紫陽花が揺れ、吹く風に水のにおいが混じっていました。
「盲点だった」
なぜか先生はそう呟きました。
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【完結】女当主は義弟の手で花開く
はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!?
恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。
※他サイトにも掲載しています。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。