【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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六章

15、冷やしあめ

 普段は絵の具で汚れた白衣を着ていらっしゃる皆月先生ですが、今日はモダンガールと見紛うばかりの洋装です。
 ウェスト部分で細く絞ったワンピースは、スカート部分が細身です。しかも白いレースの手袋をはめておられるので、淑女のようです。

「笠井さん。あなたのおじさま、確か三木達比古みきたつひこさんと仰ったわね」
「はい。叔父をご存じなんですか?」

 わたくしは、おずおずと皆月先生に尋ねました。皆月先生は給仕のボーイに、麦酒ビールを注文なさっています。
 じきにグラスに入った琥珀色の麦酒が運ばれてきました。

「この間、画廊で会ったのよ。ご自分で、笠井男爵夫人の弟と名乗ってらしたわね」
「画廊ですか。どうして叔父がそんな所へ……」

 そう口にして、見当はずれの問いであることにすぐに気づきました。先日も、叔父は壺を買っていたではないですか。それも相当に高価そうなものでした。

「その画廊は私の描いた絵を置いてくれてるんだけど。三木さんは油絵を買い求めていたわ。著名な画家の絵画だから、相当に値が張るはずよ。あまり言いたくはないけど。羽振りが良すぎるのではないかしら」

 皆月先生は、女学校の関係者なのですから笠井家の事情も知っていらっしゃいます。叔父さまは笠井の家族ではありませんが、他人という訳でもありません。

 小さな鞄から、皆月先生は煙草の箱を取りだしました。ですが、思い直したようにすぐに戻されました。

「あなたの前でうと、高瀬先生に睨みつけられそうだからね」とウィンクなさいます。

「三木達比古に、そんな絵を買う金などないだろう」
「ツケ払いだったけどね」
「支払いが後になったからといって、金が入る予定があるのか?」

 高瀬先生は、はっとしたように瞠目なさいます。そしてわたくしをゆっくりと見つめました。
 何か言いたげなご様子でした。

◇◇◇

 帰りのケーブルカーは、前面の窓から眼下に市街地と穏やかな海を見晴るかすことができました。

 街に高い建物はなく、丘を彩る濃い緑と広々とした街を遠望しながら、ゆっくりと降りていきます。
 やはり地面に足がついている感覚は、安心感があります。

 家に戻ると、お清さんが迎えてくださいました。

「さぁさ、お疲れになったでしょう」

 山の上は涼しかったのですが、やはり下界は蒸し暑いです。歩いて家に戻ってくると、額にはじんわりと汗をかいていました。
 蝉の声が聞こえ始めているので、もう本格的な夏なのですね。

 お清さんが用意してくださった冷やしあめの入ったグラスを盆にのせて、縁側に向かいます。旦那さまの分は、瓶に入った麦酒ビールです。
 縁側で腰を下ろして冷やしあめをいただくと、ひんやりとしているのに、こっくりとした濃い甘さです。今日はいつもよりも、すりおろした生姜がたくさん入っていてぴりっとした刺激を感じます。

「どうしてこんなにたくさんの生姜を……うう、舌が痺れます」
「お清なりの心遣いだな」

 浴衣に着がえた旦那さまは、麦酒を飲みながら新聞を読んでいらっしゃいます。かさりと紙面をめくる音に、ミーンミーンと鳴く蝉の声。静かな夕暮れです。
 麦酒の炭酸の泡が立ち上る音まで聞こえてきそう。

「なぜ生姜が心遣いなのでしょうか」
「体を温める効能があるからじゃないか。俺が昨夜、あなたの体を冷やしてしまったから。さすがにあめ湯は、この時期には暑いから出さないだろうが」

 確かにそうでした。
 わたくしは旦那さまに、長時間愛されていたのでした。
 その時のことを思いだし、照れてうつむいてしまいます。
 かなり大胆なこともされましたし、無茶な抱かれ方もしたように思います。
 初めて旦那さまを受け入れて、その後で雨に打たれながらというのも、うっすらと覚えております。

 いえ、記憶はおぼろげでも肌に残る感覚は、忘れらるはずがありません。
 
 嫌ならば抵抗すれば、旦那さまも分かってくださるのでしょうが。
 困ったことに決して嫌というわけではないのです。旦那さまの愛情に応えたいと思ってしまうのです。

 だって旦那さまに「受け入れてくれてありがとう」なんて言われて、嬉しくないはずがありません。

 恥ずかしさの余り、もじもじと髪を触っていると、手にリボンが触れました。今日、髪につけていた藤色の細いリボンです。

 さっきまでご一緒にお出かけしていた時は平気でしたのに。
 旦那さまに朝まで愛され続けたこの部屋に戻ると、どんな顔をしていいのか、二人きりで何を話していいのか分からなくなります。
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