【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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八章

6、宵祭り【4】

 鮮やかな黄色いトウモロコシに、お醤油が刷毛で塗られます。垂れた醤油は、炭火に落ちてじゅっと音を立てました。
 ああ、なんてかぐわしい香り。この匂いの香水があればいいのに。
 わたくしと旦那さまは、トウモロコシが焼き上がるのを今か今かと待っていました。

 ふと視界の端を、見知った顔がよぎりました。

「文子さん?」

 仲のいい友達ですから、声を掛けようかと思ったのですけど。ちょうどトウモコロコシが焼き上がり、お店の人から手渡されました。
 まぁ、文子さんには明日学校で会いますし。旦那さまも一緒ですから、いいですよね。

「はいよ、どうぞ。姉さん、綺麗な着物を汚さへんようにな」
「ありがとうございます」

 ほかほかの湯気が立つトウモロコシは、焦げ色までも美味しそうです。

「あの、旦那さま。どうやって頂けばいいんでしょうか」
「その辺に立ったまま、かぶりつくんだ」
「座らないのですか? 立ち食いですか」
「酒とかおでんを出す屋台は、床几しょうぎがあるけどな」

 辺りを見回せば、子どもたちが立ったままトウモロコシにかぶりついています。串に刺したイカもです。
 ここではこれが作法なのですね。
 わたくしは左右の手でトウモロコシを持って、齧りました。

 まぁ、なんて甘いんでしょう。それに焦がした醤油が相まって、甘じょっぱくて最高です。
 ふたくち、みくちと食べ進めると、旦那さまがわたくしを見つめているのに気づきました。

「翠子さんは美味しそうに食べるね」
「はい。びっくりするくらい美味しいです。立って食べるなんて初めてですけど」

 旦那さまがわたくしの口の端に手を伸ばして、そっと拭き取ってくださいました。その手には半巾ハンカチが握られています。

「醤油がついている」
「は、恥ずかしいです」
「いいさ。さほど明るくないから、他に誰も見ていない」

 いえ、旦那さまに見られるのが恥ずかしいのです。旦那さまは気にした様子もなく、トウモロコシを召し上がっています。
 琥太郎さんはわたくしたちの事情をご存知ですから、兄妹には見えないと仰ってくださいましたが。やはりわたくしは、もっと大人びた方がよさそうです。

 しとやかに、お上品に。
 そう考えつつトウモロコシを食べようとしましたが。舞妓さんのようなおちょぼ口でトウモロコシを食べるのは、そもそも無理があると思い知りました。

 ぽろりと粒が落ちては、夜だというのに鳩がそれをついばみに来ます。しまいには、鳩たちが「まだか、まだか」と、黄色い粒が降ってくるのを待っている始末です。

 わたくしは、旦那さまをじっと見つめました。

「どうかした?」
「なぜ、口の周りを汚さずに食べることができるんですか?」
「……口の大きさの違いじゃないのか?」

 考えたこともありませんでした。わたくし、自分のお行儀が悪いのかと、落ちこむところでした。
 体格が違うのですから、そりゃあ口の大きさも違いますよね。
 ああ、安心しました。

 旦那さまはお酒を出す屋台で、麦酒ビールをお求めになりました。わたくしはサイダーをいただいています。
 この後は、イカ焼きとラジオ焼きが待っているんです。

 いくつも並べられた床几に腰を下ろし、サイダーをグラスに注ぐと、軽やかな泡が弾けていきます。
 その時、目の前を女学校の先輩たちが歩いているのに気づきました。

 どきっとしました。だって、旦那さま……いえ、先生の取り巻きのお姉さま方だからです。
 
 どうしましょう。わたくしごときが、高瀬先生と一緒に宵祭りに来ているなんて知られたら。どんなにか非難されるでしょう。
「あなたのような凡庸な娘が、高瀬先生に近づく権利はなくてよ」なんて、罵られるかもしれません。

「だめねぇ。これといった素敵な殿方はいないわ」
「さっき、若い衆って感じの強面の人たちに囲まれた男性がいたじゃない。あの人、格好良かったわよね」
「おやめなさいな。あれは堅気ではなくってよ」

 三人のお姉さまたちは、わたくしと旦那さまが座っている場所の、真ん前の床几に腰を下ろしました。
 ちょうどわたくしからは、お姉さま方の浴衣の帯がよく見えます。

「オレンジジュースよ。早くして」
「ちゃんと冷えているんでしょうね」

 注文を取りに来た小僧さんは、不躾に命じられておろおろとしています。学校では笑顔を振りまいて、華やいで見えていた先輩なので、その落差に呆然としてしまいました。

 いえ、驚いている場合ではありません。後ろに先生がいらっしゃることがばれたら、それも地味な後輩と同行していると知られたら一大事です。

 場所を変えるために立ち上がろうとしたわたくしの浴衣の袖を、旦那さまが掴みました。

「この間、キネマに高瀬先生を誘ったんですけど。断られてしまったのよ」

 せ、先生の話が出ているじゃないですか。危険ですよ、危ないですよ。ばれてしまいますよ。
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