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九章
6、恋文【1】
旦那さまが手に持っていらしたのは、便箋でした。
今日、文子さんが見せてくれたものによく似ています。あちらは黄色と橙色の華やいだ押し花でしたが。旦那さまがお持ちなのは、青と水色の小花が貼ってあります。
清楚な感じがして、愛らしいです。
旦那さまがお買い求めになったのでしょうか。すごく意外ですけど。
ああ、でもきっと文具店の店員さんも感激なさったでしょうね。
こんなことを申しては何ですが、旦那さまは三白眼ですし、黙っていれば怖そうに見えます。
現に、文子さんがよく怖がっているくらいですから。
そんな旦那さまが、情緒と風情のある便箋をお選びになったんですよ。
人は見た目ではない……と申しては失礼ですが、きっと店員さんも「なんと清らかな感性をお持ちの人なのだ」と感じ入ったはずです。
そうでしょう? わたくしの旦那さまは心根がお優しくて、素敵な感性をお持ちなのです。
でも、この便箋を何にお使いになるのでしょう。
◇◇◇
俺は視線を感じて振り返った。
すぐ後ろに翠子さんが俺のことを……いや、俺が持っている便箋をじーっと見つめている。
とても煌めいた瞳で。
しまった。見られてしまったか。
「素敵な便箋ですね」
「あ、ああ。そうだな」
「どなたかに手紙をお出しになるんですか?」
翠子さんの無邪気な問いに、俺は言葉を失った。それくらいびっくりしたんだ。
俺が? この小花の便箋で手紙を書いて、誰かに出すだって?
あなた以外に、そんな相手がいるはずもないのに。
「羨ましいです。だって文子さんも愛らしい手紙をもらっていましたし、旦那さまも、どなたかにお出しになるんですよね。こんな愛らしい手紙をいただいたら、いつまでも大事にします」
「えーと、だな。ちょっと質問なんだが。たとえば俺がこの便箋を使って手紙を書くと仮定しよう」
「はい」
「では、この封筒に誰の名前を書くと思う?」
翠子さんはしばらく考え込んでいたが、小首をかしげた。
「お清さんと銀司さんでしょうか」
「なぜ?」
「お清さんは言わずもがなですけど、銀司さんは存外愛らしいものがお好きなようです」
いや、待て。確かに銀司は俺がやった燐寸を大事にしているが。あれは可愛いデザインだから家宝扱いにしているのではなくて、故郷である南の島を思い出させるからだぞ。
「違うのですか?」
「違いますよ、お嬢さま」
「学校の先生かしら」
「女学校の教師は大半が女性だ。相手が妙な誤解をするだろ。普通に口頭で話をすればいいだけだし、使うのなら普通の茶封筒だな」
どうして真っ先に、自分の名前が挙がってこないんだ。わざとなのか?
そう訝しんだが、翠子さんは本心から分かっていないようだ。
あなたのイメージに合うように、文具店で吟味して選んだというのに。なぜ自分にこそ相応しいと思わないんだ。
翠子さんは、それ以上考えるのをやめたらしい。まったく、悪い癖だぞ。思考を途中で放棄するのは。
「さて、この便箋をどうしたものかな」
「お使いにならないんですか?」
翠子さんはうつむいて、そして意を決したように顔を上げた。
ん? もしかしてこの便箋を欲しいと言うのか? まぁ、翠子さんならば使い道もあるだろう。
「どうぞ」と俺が口を開いたのと、翠子さんが「お願いがあるんです」と言ったのは同時だった。
「あ、あの。いただけませんか? 旦那さまからお手紙を」
突然、翠子さんが俺の背中にしがみついてきた。
「わたくしも恋文が欲しいんです。誰からも頂いたことがないですから。正直、文子さんが羨ましかったんです」
あ、それ俺のせいだ。
全力で、大学生の恋文を阻止しているからな。
とっさに浮かんだのは罪悪感と、絶対に謝るもんかという強い気持ちの両極端な物だった。
「恋文……か」
俺は静かな口調で呟いた。
確かに俺も翠子さんに恋文を書くつもりでこの便箋を買ったのだが。よくよく考えれば、いつも口にしている愛の言葉を自らの手でこの便箋にしたためるんだよな。
普段俺は、翠子さんになんて言っていたっけ。
腕を組み、唇を引き結んで必死で思い出そうとした。ああ、思い出した。
そして俺は恥ずかしさのあまり、その場にしゃがみこんでしまった。
「無理だ。できない」
「そんな。ほんの短くていいんです。だって文子さんの恋文は、たったの三十一文字でしたよ」
無茶言わないでくれ。みそひともじって、短歌って、詠むのは難易度高いんだぞ。琥太兄は文学部出身なんだ。理系の俺とは違うんだ。
解読はできても、詠むことなどできやしない。
ヤクザに文学が必要とは到底思えないが。
そもそもなんで俺は、恋文を書こうと便箋を買ったりしたんだ?
愛の言葉ってのは、形にならずに消えるからこそ、儚くて美しいんじゃないのか。
今日、文子さんが見せてくれたものによく似ています。あちらは黄色と橙色の華やいだ押し花でしたが。旦那さまがお持ちなのは、青と水色の小花が貼ってあります。
清楚な感じがして、愛らしいです。
旦那さまがお買い求めになったのでしょうか。すごく意外ですけど。
ああ、でもきっと文具店の店員さんも感激なさったでしょうね。
こんなことを申しては何ですが、旦那さまは三白眼ですし、黙っていれば怖そうに見えます。
現に、文子さんがよく怖がっているくらいですから。
そんな旦那さまが、情緒と風情のある便箋をお選びになったんですよ。
人は見た目ではない……と申しては失礼ですが、きっと店員さんも「なんと清らかな感性をお持ちの人なのだ」と感じ入ったはずです。
そうでしょう? わたくしの旦那さまは心根がお優しくて、素敵な感性をお持ちなのです。
でも、この便箋を何にお使いになるのでしょう。
◇◇◇
俺は視線を感じて振り返った。
すぐ後ろに翠子さんが俺のことを……いや、俺が持っている便箋をじーっと見つめている。
とても煌めいた瞳で。
しまった。見られてしまったか。
「素敵な便箋ですね」
「あ、ああ。そうだな」
「どなたかに手紙をお出しになるんですか?」
翠子さんの無邪気な問いに、俺は言葉を失った。それくらいびっくりしたんだ。
俺が? この小花の便箋で手紙を書いて、誰かに出すだって?
あなた以外に、そんな相手がいるはずもないのに。
「羨ましいです。だって文子さんも愛らしい手紙をもらっていましたし、旦那さまも、どなたかにお出しになるんですよね。こんな愛らしい手紙をいただいたら、いつまでも大事にします」
「えーと、だな。ちょっと質問なんだが。たとえば俺がこの便箋を使って手紙を書くと仮定しよう」
「はい」
「では、この封筒に誰の名前を書くと思う?」
翠子さんはしばらく考え込んでいたが、小首をかしげた。
「お清さんと銀司さんでしょうか」
「なぜ?」
「お清さんは言わずもがなですけど、銀司さんは存外愛らしいものがお好きなようです」
いや、待て。確かに銀司は俺がやった燐寸を大事にしているが。あれは可愛いデザインだから家宝扱いにしているのではなくて、故郷である南の島を思い出させるからだぞ。
「違うのですか?」
「違いますよ、お嬢さま」
「学校の先生かしら」
「女学校の教師は大半が女性だ。相手が妙な誤解をするだろ。普通に口頭で話をすればいいだけだし、使うのなら普通の茶封筒だな」
どうして真っ先に、自分の名前が挙がってこないんだ。わざとなのか?
そう訝しんだが、翠子さんは本心から分かっていないようだ。
あなたのイメージに合うように、文具店で吟味して選んだというのに。なぜ自分にこそ相応しいと思わないんだ。
翠子さんは、それ以上考えるのをやめたらしい。まったく、悪い癖だぞ。思考を途中で放棄するのは。
「さて、この便箋をどうしたものかな」
「お使いにならないんですか?」
翠子さんはうつむいて、そして意を決したように顔を上げた。
ん? もしかしてこの便箋を欲しいと言うのか? まぁ、翠子さんならば使い道もあるだろう。
「どうぞ」と俺が口を開いたのと、翠子さんが「お願いがあるんです」と言ったのは同時だった。
「あ、あの。いただけませんか? 旦那さまからお手紙を」
突然、翠子さんが俺の背中にしがみついてきた。
「わたくしも恋文が欲しいんです。誰からも頂いたことがないですから。正直、文子さんが羨ましかったんです」
あ、それ俺のせいだ。
全力で、大学生の恋文を阻止しているからな。
とっさに浮かんだのは罪悪感と、絶対に謝るもんかという強い気持ちの両極端な物だった。
「恋文……か」
俺は静かな口調で呟いた。
確かに俺も翠子さんに恋文を書くつもりでこの便箋を買ったのだが。よくよく考えれば、いつも口にしている愛の言葉を自らの手でこの便箋にしたためるんだよな。
普段俺は、翠子さんになんて言っていたっけ。
腕を組み、唇を引き結んで必死で思い出そうとした。ああ、思い出した。
そして俺は恥ずかしさのあまり、その場にしゃがみこんでしまった。
「無理だ。できない」
「そんな。ほんの短くていいんです。だって文子さんの恋文は、たったの三十一文字でしたよ」
無茶言わないでくれ。みそひともじって、短歌って、詠むのは難易度高いんだぞ。琥太兄は文学部出身なんだ。理系の俺とは違うんだ。
解読はできても、詠むことなどできやしない。
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