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九章
16、パラソル【5】
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久しぶりの百貨店は、床の石が磨き上げられたばかりの様にぴかぴかで。土足で歩くのも気が引けます。
以前は下足での入店ではなかったので、入り口で下足番に履物を預けていたのですけど。最近は靴のままどうぞ、というスタイルに変わっています。
旦那さまのお家には、時おり外商の方がいらっしゃるのですが。旦那さまは、こうしてわたくしと一緒に売り場に行くのを好んでいらっしゃいます。
ええ、わたくしも楽しいです。
百貨店の内部は、まるで温室であるかのように、大きな葉を持つ観葉植物があちこちに飾られています。
作り物かしら、と見紛うほどに艶々していると思ったら、その葉の一枚一枚を布で拭いていらっしゃるのを見かけました。
「日傘以外に、何か入用の物はあるか?」
「お清さんと銀司さんに、お土産が欲しいです」
「いや、それは後で買うとしても。今、あなたが欲しい物なんだが」
「翠子さんは、本当にあの二人が好きなんだな」と旦那さまは苦笑なさいます。
「あら、一番好きなのは旦那さまのことですよ」
「そういう嬉しい科白は、外ではなく閨で聞きたい」
わたくしの耳元に口をお寄せになって、そんなことを囁くものですから。恥ずかしさに頬が赤くなってしまいます。
◇◇◇
売り場には、たくさんの日傘が並んでいた。
正直、見分けがつかない。レースかフリルかの違いは、俺でも分かるのだが。なんか布に穴が開いているのがレースで、ふりふりしたのがフリルだろ?
だが、翠子さんはきらきらした表情で、日傘を見比べている。
やはり、日傘が欲しかったんだよな。雑誌の件では強気に出るのに、少し値が張るものだと、あなたはすぐに遠慮をするのだから。
「どうぞ、広げてご覧になってください」
売り場の男性に勧められ、俺は日傘を広げては、次々と翠子さんに手渡した。
姿見の鏡の前に、翠子さんを立たせてみる。
「うーん。今日のワンピースにはこれが似合うのだが。普段は袴だからな」
「妹さんには、どちらもお似合いですよ」
無論、ここでも翠子さんは俺の妹扱いだ。
まぁ、うちの担当の外商ではないので、家族構成など知る由もないだろう。
だが、いつになれば兄妹の呪いが解けるのか。
銀司と一緒に歩いていても、誰かに「弟さんですか」と問われたことはない。
俺と翠子さんは、顔も全く似ていない。俺の目は鋭く、どちらかといえば三白眼だし。翠子さんは黒目がちのくりっとした、つぶらな瞳だ。
「旦那さまは、どれがお好きですか?」
「どれも翠子さんに似合うから、困っているんだ。いっそ複数買っておくか」
「いえ、駄目ですよ」
翠子さんがまだ鏡に向かって日傘を差しているのに、俺は次のを開いたから。仕方なく自分に差しかけた。
うっわー。似合わない。
思わず眉をしかめたが、あろうことか翠子さんは「お似合いですよ」などと言い出した。
「俺に似合いますか? これ」
俺は、傍に控える販売員に同意を求めた。
フリルがてんこ盛りの、白い日傘だぞ。しかも目つきが悪い男がそれを差しているんだ。
販売員は「似合いません」と言えるはずもなく、口ごもった。
うん、そうだよな。「お似合いです」などと嘘とつけるはずもないだろう。
「あ、あの。先ほどからお嬢さまが『旦那さま』とお呼びでいらっしゃいますが。申し訳ございません。ご夫婦でいらっしゃいましたか」
あ、こいつ話題を変えてきた。
すぐに察したが、兄妹扱いされないのは大層気分がいい。
俺は鷹揚にうなずいた。
たっぷりと時間をかけて、翠子さんはかつて川に落とした物によく似た日傘を選んだ。
やはりお気に入りだったのだ。
こんなことなら、もっと早くに買ってやればよかった。たとえあなたが遠慮しても、強引に。
◇◇◇
そして、その日傘を買った日から、雨の日以外は常に翠子さんは使用してくれている。
百貨店で試しに差してみたから、俺も慣れたのだろうか。
まるで相合傘の様に、二人で日傘に入ることもある。
もちろん、小路を曲がって大通りに入るまで限定だが。
愛らしいレースの日傘は、日々、翠子さんを日差しと恋文を握りしめた大学生の突進から守ってくれる。今日は大学生の姿が少ないが。
本当に、いい買い物をした。
以前は下足での入店ではなかったので、入り口で下足番に履物を預けていたのですけど。最近は靴のままどうぞ、というスタイルに変わっています。
旦那さまのお家には、時おり外商の方がいらっしゃるのですが。旦那さまは、こうしてわたくしと一緒に売り場に行くのを好んでいらっしゃいます。
ええ、わたくしも楽しいです。
百貨店の内部は、まるで温室であるかのように、大きな葉を持つ観葉植物があちこちに飾られています。
作り物かしら、と見紛うほどに艶々していると思ったら、その葉の一枚一枚を布で拭いていらっしゃるのを見かけました。
「日傘以外に、何か入用の物はあるか?」
「お清さんと銀司さんに、お土産が欲しいです」
「いや、それは後で買うとしても。今、あなたが欲しい物なんだが」
「翠子さんは、本当にあの二人が好きなんだな」と旦那さまは苦笑なさいます。
「あら、一番好きなのは旦那さまのことですよ」
「そういう嬉しい科白は、外ではなく閨で聞きたい」
わたくしの耳元に口をお寄せになって、そんなことを囁くものですから。恥ずかしさに頬が赤くなってしまいます。
◇◇◇
売り場には、たくさんの日傘が並んでいた。
正直、見分けがつかない。レースかフリルかの違いは、俺でも分かるのだが。なんか布に穴が開いているのがレースで、ふりふりしたのがフリルだろ?
だが、翠子さんはきらきらした表情で、日傘を見比べている。
やはり、日傘が欲しかったんだよな。雑誌の件では強気に出るのに、少し値が張るものだと、あなたはすぐに遠慮をするのだから。
「どうぞ、広げてご覧になってください」
売り場の男性に勧められ、俺は日傘を広げては、次々と翠子さんに手渡した。
姿見の鏡の前に、翠子さんを立たせてみる。
「うーん。今日のワンピースにはこれが似合うのだが。普段は袴だからな」
「妹さんには、どちらもお似合いですよ」
無論、ここでも翠子さんは俺の妹扱いだ。
まぁ、うちの担当の外商ではないので、家族構成など知る由もないだろう。
だが、いつになれば兄妹の呪いが解けるのか。
銀司と一緒に歩いていても、誰かに「弟さんですか」と問われたことはない。
俺と翠子さんは、顔も全く似ていない。俺の目は鋭く、どちらかといえば三白眼だし。翠子さんは黒目がちのくりっとした、つぶらな瞳だ。
「旦那さまは、どれがお好きですか?」
「どれも翠子さんに似合うから、困っているんだ。いっそ複数買っておくか」
「いえ、駄目ですよ」
翠子さんがまだ鏡に向かって日傘を差しているのに、俺は次のを開いたから。仕方なく自分に差しかけた。
うっわー。似合わない。
思わず眉をしかめたが、あろうことか翠子さんは「お似合いですよ」などと言い出した。
「俺に似合いますか? これ」
俺は、傍に控える販売員に同意を求めた。
フリルがてんこ盛りの、白い日傘だぞ。しかも目つきが悪い男がそれを差しているんだ。
販売員は「似合いません」と言えるはずもなく、口ごもった。
うん、そうだよな。「お似合いです」などと嘘とつけるはずもないだろう。
「あ、あの。先ほどからお嬢さまが『旦那さま』とお呼びでいらっしゃいますが。申し訳ございません。ご夫婦でいらっしゃいましたか」
あ、こいつ話題を変えてきた。
すぐに察したが、兄妹扱いされないのは大層気分がいい。
俺は鷹揚にうなずいた。
たっぷりと時間をかけて、翠子さんはかつて川に落とした物によく似た日傘を選んだ。
やはりお気に入りだったのだ。
こんなことなら、もっと早くに買ってやればよかった。たとえあなたが遠慮しても、強引に。
◇◇◇
そして、その日傘を買った日から、雨の日以外は常に翠子さんは使用してくれている。
百貨店で試しに差してみたから、俺も慣れたのだろうか。
まるで相合傘の様に、二人で日傘に入ることもある。
もちろん、小路を曲がって大通りに入るまで限定だが。
愛らしいレースの日傘は、日々、翠子さんを日差しと恋文を握りしめた大学生の突進から守ってくれる。今日は大学生の姿が少ないが。
本当に、いい買い物をした。
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