【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十章

8、夕立ち【2】

「さぁ、入って。翠子さん」

 旦那さまに背中を押されて、わたくしは部屋に入りました。
 六畳間と二畳ほどの板の間でしょうか。玄関は旦那さま一人が立てばいっぱいですし、すぐに部屋につながっています。
 
 玄関の三和土たたきが狭い分、部屋に場所を割いているように思えます。

「あの、勝手に入っていいんですか?」
「改装中の空き室だからな。ここはうちが持っている下宿のうちの一つだ」

 そうでした。高瀬家は地主さんだったのです。旦那さまが「面倒くさい」と仰いながらも、教師をなさっているので。つい忘れてしまいます。

 畳を替えたばかりなのでしょうか。藺草いぐさの匂いが室内に満ちています。

「こんな狭い部屋、初めてだろう?」
「え、ええ。旦那さまは違うんですか?」
「俺は大学の時に、この街を出て下宿していたからな。まぁ、部屋など狭かろうが、広かろうがどっちでもいいんだが」

 窓から稲光が鋭く差し込んで、旦那さまの横顔を浮かび上がらせます。

 ああ。この方は本来、物事に対してさほど興味も執着も抱かないのだと、ふいに察しました。
 わたくしのように茄子だのさくらんぼだの、少女雑誌だのにこだわることもなく。ただ目の間を過ぎていくものを、淡々と眺めていらっしゃるような。
 
 なのに、旦那さまはわたくしが雨に濡れないように守ってくださいました。
 そのことが、どれほどに特別なのか。どれほどわたくしを愛してくださっているのか。
 考えると、胸が苦しくなります。

「旦那さま」

 わたくしは、水を滴らせる旦那さまにしがみつきました。

「こら。濡れてしまうぞ。俺があなたを濡らさなかった意味がなくなるだろ」
「いいのです。翠子は、旦那さまと一緒に雨に打たれる方が好きです」

 旦那さまはしとどに濡れた前髪をかきあげながら、困ったような笑顔を浮かべました。
 毛先から落ちる水滴が、わたくしの頬を流れていきます。
 重なる唇。
 雨に打たれた旦那さまの唇も、わたくしの顔に触れる旦那さまの指も冷たくて。なのに、こじ開けるように入ってくる舌はたいそう熱く、わたくしは頭の芯が痺れそうになりました。

「ん……ぅ、んん……っ」
「あまり声を出してはいけないよ。ここは壁が薄いからね。隣人に聞こえてしまう」

 耳元で低く囁かれれば、頷くことしかできません。
 下宿の空き室なので、ここで抱かれることはありません。分かっているのに、ただくちづけを繰り返されるだけで、甘苦しい気持ちに囚われます。

 わたくしはさほど濡れていないので、旦那さまが板の間に上がるように仰いました。ですが、びしょ濡れの旦那さまは三和土に立ったままです。
 すでに三和土には水がしみこみ、濃い色に染まっています。

 旦那さまは、わたくしに接吻を繰り返します。
 家でなら、うなじや胸元や、それこそ体中にくちづけられるのですけど。ここは、外のようなものです。
 ただ互いの唇だけを重ね、舌を絡ませるばかりです。
 
 普段の方がよほど淫らで、激しいことをされていますのに。こんな抑制されたくちづけに、くらくらするほど感じるのはなぜなのでしょう。

「あー、すごい雨だな」
「傘も役に立たないな」

 扉の外から、男性の声が聞こえます。
 薄い扉を一枚挟んだだけで、人がいるのです。

 わたくしは途端に恥ずかしくなり、旦那さまの腕から逃れようとしました。

「駄目だよ、翠子さん。逃がさない」
「で、でも」
「キスしかしていないよ」

 見下ろしてくる旦那さまの瞳は、欲望をたたえています。穏やかそうな表情ですのに、わたくしを抱きしめる腕の力は強く。
 さっき稲光に照らされた、物事に興味のなさそうな顔とは別人のようです。

「ん? なんか物音がしないか?」
「え、怖いこと言うなよ。ここは空き部屋だぞ」

 この部屋のことです。わたくしは外から聞こえる声に、動きを止めました。
 もし扉を開かれたら、旦那さまの腕の中で接吻されている姿を目撃されてしまいます。
 む、無理です。そんなの。

 なのに、旦那さまは再びくちづけをなさいました。それも深く貪るように。半ば開いた唇を閉じることができずに、唾液が溢れてしまいます。
 それを舌で絡められ、息をするのも苦しいほどの激しいキスを受け続けます。

「……っ」

 いけません。声を出してはなりません。気づかれてしまいます。
 ここは通学路に近いんです。こんな淫らな女学生がいるなんて知られたら。わたくし、もう外を歩けません。
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