【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十章

20、南国の夢、破れる

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 美味しい菴羅あんら木瓜もっかをいただきながら、わたくしは銀司さんの故郷の島の話を聞いていました。

 この街と島まで海は続いているのに、その色はまるっきり違うのだそうです。

「この辺りも海は青いですよ」
「ええ、でも少し濁った色ですね。ぼくが住んでいた島では、沖の辺りが瑠璃色で、浜辺に近づくと……そうですね、ほら緑の宝石がありますよね。あれを水に溶かしたような色なんです」

「もしかしてエメラルドかしら」
「そうそう、そういう名前の石です。それをもっと薄くした感じです」

 まぁ、なんて美しいんでしょう。
 なのに、浜の砂は真っ白でさらさらとしていて。しかもそれは珊瑚の欠片でできているんですって。

「椰子の実も流れ着きますか?」
「はい。まぁ、そもそも島にも椰子の木がありますから。浜辺で椰子の実から葉がのびて、それが大きくなっていくんです」

 まぁ、まぁ。なんて素敵なんでしょう。島崎藤村の詩のようです。
 名も知らぬ遠き島……元の木は生いや茂れる、枝はなお影をやなせる。

 ああ、銀司さんの島は今も椰子が生い茂り、南国の果実が甘い芳香を漂わせ、ねっとりとした大気の中、静かな波音が聞こえるんです。
 
 浪漫です。

「巨大なウシガエルがいましてね。こいつらが鳴くと、まぁうるさいことうるさいこと」

 あ、ちょっと夢が壊れました。

「毒蛇もいるんだろ」
「はい。牧場で牛の糞だと思ったら、それはとぐろを巻いたハブでした。知らずに踏んづけていたら、ぼくは今ここにいませんね」
「血清はないのか? 糞なら臭くて汚いだけで済むけどな」
「ハブを焼酎に浸けるんですよ。驚いたことに、酒の中で産卵したんですよね。いやー、怖い怖い」

 ずいぶんと夢が崩れました。
 男性は浪漫を解さないから、苦手です。

 わたくしはお皿に載った菴羅の香りを、胸いっぱいに吸いました。
 
「ねぇ、銀司さん。島にはお姫さまはいらっしゃるの?」
「姫というと、領主の娘がそれに当たるのかなぁ。えらそうにふんぞり返っている娘さんはいましたよ。それがまた酒豪で」

「不思議だよな。北方の人も酒が強いが、南方の人も酒が強いだろ。露西亞ロシアなんかは暖をとるためにウォトカを飲むが。暖かい地域は暖を取る必要もなかろうに。銀司は酒は強いのか?」
「結構飲めますよ」

 もうこれ以上、島のお話を聞かない方がよさそうです。
 楽しそうに喋っている二人に、わたくしは背中を向けました。

 そう、この部屋にはわたくし一人。酒豪の男性二人はおりません。
 意識を集中して。そうですね、白い珊瑚の浜がいいかしら。きめ細かな砂に打ち寄せる波に、足を浸すお姫さま……焼酎の一升瓶を持って。

「違います!」

 突然、声を上げたわたくしに、旦那さまと銀司さんの会話が中断します。

 いけません。集中集中。
 今度は月の沙漠にしましょうね。ラクダの背に乗った王子とお姫さま。あの詩はアラビアではなく、確か日本の海岸から着想を得たものだとか。
 そう、王子様とお姫さまがそれぞれ日本酒の瓶を。

「だから、違いますってば!」

「翠子さまは、どうなさったんですか?」
「女性は気まぐれで繊細なんだ。そっとしておこう」

 あなた方二人が、わたくしの妄想……もとい空想ごっこの邪魔をしているんですよ。分かっているんですか?

「わたくし、もう寝ます。後はお二人で閑談でもなさってください」

 押し入れからお布団を出して敷いていると、旦那さまと銀司さんが手伝ってくださいました。
 でも、お手伝いをしてくださったからって、翠子はほだされませんよ。

 ぼそぼそと会話する二人の低い声は、まるで石の浜に打ち寄せる波のようです。時折、楽しげな笑い声が聞こえるのですが、すぐに「しーっ」と声を潜めて。
 まったく、わたくしに気を遣ってくださるのなら、もっと違う部分で遣っていただきたいものです。

 菴羅と木瓜の香りが満ちる部屋で、わたくしは飲めもしないお酒の一升瓶を持ち、白い砂浜ではなく、ごつごつとした黒い小石の浜に座って、水平線を眺めている夢を見ました。

 そういえば、いつ寝間着に着がえたのでしょうかと、ぼんやりと考えながら。
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