【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十章

30、お仕置きを選んでしまったので【4】

 俥が家に着く頃には、翠子さんは俺に体をもたれかけさせていた。
 車夫は気遣って丁寧に、そして静かに走ってくれたと思う。
 だが、大通りは石畳で舗装され、その石の形に添ってどうしても車輪が振動を拾う。
 そしていつもの小路に入れば、土の道だから。小石の存在は避けられない。

 少し俥が上下するたびに、翠子さんは俺の指をきつく噛む。
 わずかに開いた唇から「……んっ」と、悦楽を押し殺した声が洩れている。
 あなたをそんな目に遭わせた俺を恨んでもいいのに。俺にしがみつきながら、必死に耐える姿が、どうしようもなく愛おしい。

 翠子さんが声を押し殺すために、俺を噛むのは好きだ。俺が与える快楽に耐え切れずに、爪を立てるのも好きだ。
 あなたを痛めつけている俺を、もっと傷つけてくれていい。
 などと告白すると、きっと銀司が「やっぱり旦那さまはサディストでマゾヒストですね。立派な変態です」と言うだろう。

 まぁ、翠子さん限定でなら否定はしない。

「旦那……さまぁ」

 翠子さんの呼吸は乱れ、頬は上気している。俺の手を握りしめる彼女のてのひらは、しっとりと汗ばんでいた。

 不思議だ。外にいるのに、まだ夕暮れまでは少しあるのに。翠子さんは、すでに夜の気配をまとっている。
 まるで月夜にひっそりと咲く、かぐわしい白い花のように。俺を誘ってやまない。
 
 自分から彼女に仕掛けておいて、みすみす篭絡されるとか。本当に俺は愚かだな。

 車夫に代金を払い、翠子さんを横抱きにして門を開ける。行儀悪く足で門を開ける俺を、車夫は目を丸くして見ているが。まぁ、どうでもいい。

「お帰りなさいませ。あの、翠子さま。どうかなさったんですか?」
「大丈夫だ、銀司。しばらく部屋にこもる」

 俺の言い分で察したのだろう。玄関まで迎えに出てきた銀司は、それ以上何も言わなかった。

 乱暴に革靴を脱ぎ、手にしていた翠子さんの短靴ブーツも玄関の三和土たたきに落とす。いつもの廊下でさえ、長くてもどかしい。
 ずかずかと大股で進むと、翠子さんが眉をしかめた。俺の指は彼女の口から外されているので、薄桃の唇からは愛らしい喘ぎ声がこぼれる。

 家に俺とあなただけなら、いっそのこと廊下で抱いてしまっていただろう。
 
 部屋の襖を開けて、布団も敷かぬままに翠子さんを畳に降ろす。
 微かに、鈴の音が聞こえた気がした。
 翠子さんは羞恥に耳まで赤く染め、両手で顔を隠している。

「見ないでください。聞かないでください」
「無理を言わないで。ほら、ちゃんと俺に顔を見せなさい」

 彼女のあごに手をかけても、ただ首を振るばかりで、顔を見せてはくれない。

「このままだと、お仕置きの時間がずっと長引くが。それでもいいのか?」
「そんな……」
「翠子さんが選びなさい。夕飯の時間になってもそのままの状態なのか、俺に愛されて解放される方がいいのか」

 翠子さんは、うつむいたままで答えない。
 だが、次の彼女の行動に、俺は瞠目した。

 袴の帯が解かれ、そして着物の帯紐も彼女は解いていく。
 その指は小刻みに震えているというのに。
 はらりと落ちていく単衣ひとえ銘仙めいせん。しどけない襦袢すらも、彼女は肩からずらした。

「ずっとこんなの……嫌です」
「翠子さん」
「旦那さまが、いいです」

 襦袢で胸を隠しながら、翠子さんは片腕を俺の首に伸ばす。
 唇を重ねると、吐息のように翠子さんは喘いだ。

「早く……ください。焦らさないで」
「そんな性急なことを言うものではないよ。俺はあなたを嬲りたいのではなく、愛したいんだ」
「でも、これはお仕置きだと……」
「愛もなく、ただ痛めつけてほしい?」

 翠子さんは、ふるふると首を横に振った。
 そう、お仕置きだろうが躾だろうが、それはすべてただの名目だ。俺は、いつだってあなたを愛したくてたまらない。
 
 襦袢の間から、俺は翠子さんの腿に手を這わせる。ただそれだけのことで、翠子さんの体が小さく跳ねた。

「まだ、何もしていないよ」

 汗ばんだ頬に黒髪を張りつかせて、翠子さんは微かにうなずいた。
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