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十一章
10、猫が好き【3】
浴衣に着がえた旦那さまは、琥太郎さんから預かったかごを覗いていらっしゃいます。
エリスは、かごに敷いた布の上で丸くなって眠っていました。
ともすれば金色に見える淡い茶色の毛は柔らかく、呼吸に合わせて薄い体が上下しています。
「不思議だな。猫を見ているだけで、口元がほころんでしまうとは」
ね、可愛いでしょ。愛らしいでしょ。
でも朝、旦那さまが学校にいらしてからは、しばらく大変だったんですよ。
◇◇◇
見知らぬ家に連れてこられたエリスは、びっくりして箪笥の裏に隠れてしまったんです。
「引っ張りだしますよ」なんて、力任せなことを言う銀司さんを止め、わたくしはエリスが出てくるのを、箪笥の前でじーっと待っていたんです。
一時間は、そうしていたかもしれません。
わたくしがこの高瀬家に来た時も、とてもとても心細かったので、エリスの気持ちは分かるんです。
だって琥太郎さんに三日ほど預けるだけだと説明されていても、エリスは理解できないじゃないですか。
三條組の組員には慣れていないのに、琥太郎さんにだけは慣れているエリス。
もしかしたら琥太郎さんの真似をすればいいかもしれません。
動きは物静かに、声は荒げることなく低めで。
「エリス。もうええ加減に、出てき。一緒に遊んだるで」
低い声でそう言うと、銀司さんは盛大にふき出しました。
なんで笑うんですか? こっちは真剣なんですよ。まったくもって失礼ですね!
銀司さんは畳に突っ伏して、ひーひー笑っています。
もういいです。銀司さんなんて、戦力外です。
「翠子さん、これをやったらどうかしら」
お清さんが持ってきてくれたのは、茹でた鶏のささみをほぐしたものでした。
「三條組の方から、エリスちゃんの好物を聞いていたんですよ」
さすがはお清さんです。仕事ができます。笑っているだけの銀司さんとは大違いです。
箪笥の側にお皿を置いて、じっとその前で座ります。わたくしは箪笥、わたくしは無機物、心を無にして。エリスに警戒心を抱かせないように。
膝を抱えてぴくりとも動かずにいると、エリスがそーっと顔を出してきました。
警戒するようにわたくしを見ましたが、あえて目は合わせません。ええ、膝を抱えた彫像が置いてあると思えばいいのですよ。
エリスが餌に夢中になっている間に、わたくしは静かに部屋を出ました。あとは環境に慣れるまで、部屋には入らない方がいいですね。
午前中はお清さんのお手伝いをして過ごし、午後になり、やっと部屋に戻った時、エリスがわたくしの足にすり寄ってくれました。
「か、かか、かわいい……です」
足に絡まる細い尻尾。しなやかな胴が、すりすりと。
「ダッコシテモ、ヨロシクテ?」
あまりの愛らしさに、つい片言になってしまいました。恐る恐るエリスの前脚の付け根に手を入れると。
な、なんですか。
びよーん、とどこまでも伸びるエリス。
え、猫ってこんなに伸びるものなのですか? 体長、おかしくないですか?
ひとしきり感動していると、夕焼け空だというのに雨が降り出し、わたくしはお清さんと洗濯物を取り入れてから、旦那さまのお迎えに行ったのです。
◇◇◇
「それはご苦労だったね。でもまぁ、伸びるよな。猫。どこまでも」
今朝の話を聞いていた旦那さまは、笑いを噛み殺していらっしゃいます。
どうせ銀司さんと同じ理由で、わたくしが琥太郎さんの物言いを真似したのがおかしいのでしょう? こっちは真剣なんですよ。
かごの中のエリスが、わたくし達に気づき目を開きました。黄色にも、角度によっては緑にも見える目です。
しかも小さな口を開いて「にゃあ」と、ご挨拶してくれるではありませんか。
「ほら、旦那さま。ご覧になって。お聞きになりましたよね。今のは『お帰りなさい』ですよ。なんてお利口な子なんでしょう」
「いや、そこまでは言ってないだろ」
わたくしはかごの中に、そっと手をさし入れました。すると、エリスの舌がわたくしの指先を舐めたのです。
ざらりとした、少し痛い感覚。
ああ、感動で打ち震えそうです。
「あのー、翠子さん。大丈夫?」
「大丈夫ではないかもしれません」
「これまで猫を飼ったことある? 犬でもいいけど」
「いえ、一度も」
「ああ」と、旦那さまは何かを納得なさったような声を出しました。
エリスは、かごに敷いた布の上で丸くなって眠っていました。
ともすれば金色に見える淡い茶色の毛は柔らかく、呼吸に合わせて薄い体が上下しています。
「不思議だな。猫を見ているだけで、口元がほころんでしまうとは」
ね、可愛いでしょ。愛らしいでしょ。
でも朝、旦那さまが学校にいらしてからは、しばらく大変だったんですよ。
◇◇◇
見知らぬ家に連れてこられたエリスは、びっくりして箪笥の裏に隠れてしまったんです。
「引っ張りだしますよ」なんて、力任せなことを言う銀司さんを止め、わたくしはエリスが出てくるのを、箪笥の前でじーっと待っていたんです。
一時間は、そうしていたかもしれません。
わたくしがこの高瀬家に来た時も、とてもとても心細かったので、エリスの気持ちは分かるんです。
だって琥太郎さんに三日ほど預けるだけだと説明されていても、エリスは理解できないじゃないですか。
三條組の組員には慣れていないのに、琥太郎さんにだけは慣れているエリス。
もしかしたら琥太郎さんの真似をすればいいかもしれません。
動きは物静かに、声は荒げることなく低めで。
「エリス。もうええ加減に、出てき。一緒に遊んだるで」
低い声でそう言うと、銀司さんは盛大にふき出しました。
なんで笑うんですか? こっちは真剣なんですよ。まったくもって失礼ですね!
銀司さんは畳に突っ伏して、ひーひー笑っています。
もういいです。銀司さんなんて、戦力外です。
「翠子さん、これをやったらどうかしら」
お清さんが持ってきてくれたのは、茹でた鶏のささみをほぐしたものでした。
「三條組の方から、エリスちゃんの好物を聞いていたんですよ」
さすがはお清さんです。仕事ができます。笑っているだけの銀司さんとは大違いです。
箪笥の側にお皿を置いて、じっとその前で座ります。わたくしは箪笥、わたくしは無機物、心を無にして。エリスに警戒心を抱かせないように。
膝を抱えてぴくりとも動かずにいると、エリスがそーっと顔を出してきました。
警戒するようにわたくしを見ましたが、あえて目は合わせません。ええ、膝を抱えた彫像が置いてあると思えばいいのですよ。
エリスが餌に夢中になっている間に、わたくしは静かに部屋を出ました。あとは環境に慣れるまで、部屋には入らない方がいいですね。
午前中はお清さんのお手伝いをして過ごし、午後になり、やっと部屋に戻った時、エリスがわたくしの足にすり寄ってくれました。
「か、かか、かわいい……です」
足に絡まる細い尻尾。しなやかな胴が、すりすりと。
「ダッコシテモ、ヨロシクテ?」
あまりの愛らしさに、つい片言になってしまいました。恐る恐るエリスの前脚の付け根に手を入れると。
な、なんですか。
びよーん、とどこまでも伸びるエリス。
え、猫ってこんなに伸びるものなのですか? 体長、おかしくないですか?
ひとしきり感動していると、夕焼け空だというのに雨が降り出し、わたくしはお清さんと洗濯物を取り入れてから、旦那さまのお迎えに行ったのです。
◇◇◇
「それはご苦労だったね。でもまぁ、伸びるよな。猫。どこまでも」
今朝の話を聞いていた旦那さまは、笑いを噛み殺していらっしゃいます。
どうせ銀司さんと同じ理由で、わたくしが琥太郎さんの物言いを真似したのがおかしいのでしょう? こっちは真剣なんですよ。
かごの中のエリスが、わたくし達に気づき目を開きました。黄色にも、角度によっては緑にも見える目です。
しかも小さな口を開いて「にゃあ」と、ご挨拶してくれるではありませんか。
「ほら、旦那さま。ご覧になって。お聞きになりましたよね。今のは『お帰りなさい』ですよ。なんてお利口な子なんでしょう」
「いや、そこまでは言ってないだろ」
わたくしはかごの中に、そっと手をさし入れました。すると、エリスの舌がわたくしの指先を舐めたのです。
ざらりとした、少し痛い感覚。
ああ、感動で打ち震えそうです。
「あのー、翠子さん。大丈夫?」
「大丈夫ではないかもしれません」
「これまで猫を飼ったことある? 犬でもいいけど」
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「ああ」と、旦那さまは何かを納得なさったような声を出しました。
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