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十一章
13、鍛えられているので【2】
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エリスは寝床を翠子さんと決めたようだ。
翠子さんの布団ではなく、翠子さんだ。
くんくんと翠子さんの首筋の石鹸の匂いを嗅いだかと思うと、あろうことか彼女の胸元で丸くなってしまった。
おい、さすがにその場所は翠子さんが息苦しいんじゃないのか?
というか、さすがの俺だってそんな場所を枕にはしないぞ。
俺の心配通り、翠子さんが苦しそうに寝返りを打った。
そう、翠子さんは寝相が悪い。しかも息がしにくいものだから、思い切りよく横を向いた時に、エリスが布団に落っこちてしまった。
「ほらな。もうちょっと離れて寝なさい。せめて枕辺りでどうだ?」
だがエリスは、今度は横を向いた翠子さんの腕の辺りで寝ようとする。
それはちょっと高さ的にも無理があるんじゃなかろうか。そう思いつつ見守っていたが、左右の後ろ脚をぴんと伸ばし、それに尻尾も支えにして体の均衡を保っている。
やけに寝相の悪さに慣れている猫だなと思ったが。そういえば琥太兄も寝相が悪かった。
俺は、学生時代に下宿していた頃のことを思い出していた。
琥太兄は、俺が上洛した時に自分の下宿先から俺の隣の部屋に越してきた。
夜中に壁をどんっ! と蹴る音がして。そのせいでうちの部屋の本棚に並んだ本が、何冊がずり落ちた。
さすがヤクザの息子は、腹が立つと壁を蹴るのか、と気にも留めずにいたが。なにしろ壁を蹴る時間が、夜中の一時や二時なのだ。
こっちは嫌でも目が覚めてしまう。
文句を言ってやろうと隣の部屋へ向かったが。なぜか廊下で倒れている琥太兄の姿があった。
「おい、琥太兄。まさかやられたのか?」
それにしては犯人の足音もしなかったし、揉める声も聞こえなかった。
恐る恐る琥太兄の鼻の辺りに耳を寄せると、健やかな寝息が聞こえた。
「むにゃ……欧之丞。カラスウリは、ジャムにしたらええんやで」
どんな寝言だよ、それ。あとカラスウリは煮詰めたら、きっと苦さと青臭さが凝縮されて、とんでもない味になるぞ。
夢の中で、俺を騙すのはやめてくれ。しかも微笑みながら。
琥太兄の部屋を見遣ると、扉の内側に微妙にへこんだ跡が幾つかあった。
あー、そうですか。そこまで寝相の悪い人でしたか。同じ学年だったなら、校外学習で山の天幕村で一緒に泊まることもあっただろうに。そういう機会がないから、全然気づかなかった。
というか同学年で同じ班の奴らは、校外学習は眠れなかっただろうな。
「エリスさん。君も相当鍛えられてるね」
俺は、必死の姿勢で翠子さんにしがみついているエリスの頭を撫でた。緩やかに振られる尻尾。これは怒っているのではなく、同意しているのだろう。
翠子さんも琥太兄も、自分が繊細で情緒を解すると思っているところが、なんともなぁ。
エリスもあなた達が思っているほどには、神経質ではないぞ。
いつもなら、ころんころんと転がる翠子さんを、俺は腕に抱きとめて眠ることが多い。
だが、今日はエリスがくっついているので、翠子さんはやりたい放題だ。
右へ進んでは蚊帳に指が絡まってしまい、呻いている。
「うーん、狭いです」
そりゃそうだろ。
絡まった蚊帳を解いてやると、翠子さんは今度はエリスをむぎゅうっと抱きしめたまま、左へ転がっていく。
それでも翠子さんに爪を立てないのは、えらいぞ。
ちゃんと人を見る猫だ。
◇◇◇
朝になり、わたくしはすっきりと目覚めました。でも、なぜでしょう。妙な場所にいるんです。
視界全体が緑なんですよ。
森の中で眠ったのかしら? それにしては、緑の色が妙に鮮やかというか派手なんですけど。
体を起こそうとすると、手や足が蚊帳に絡まってしまいました。
見れば、エリスも蚊帳の中でもがいています。
「あらあら。エリスったら寝相が悪いのね」
爪に引っかかっている蚊帳を外してやり、柔らかなその体に頬ずりします。なぜかエリスが不満げに鳴きましたけど。ええ、ええ。こんな網みたいなものに捕まっていたんですもの。不機嫌にもなりますよね。
隣を見ると、なぜか旦那さまがこちらを見ていらっしゃいます。しかも、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべて。
不思議です。いつもわたくしが目を覚ました時は、まるで寄り添うように近くにいらっしゃるのに。
どうして今日はこんなにも、旦那さまとの距離が離れているのでしょう。
「おはよう。とりあえず翠子さんは、エリスに謝っておいた方がいいぞ」
「あら。わたくし、助けてさしあげたんですよ?」
「結果的にはな。エリス、今晩は俺と寝るか?」
布団に片肘をついて、旦那さまがエリスに問いかけています。
駄目ですよ。エリスは繊細なんです。わたくしや琥太郎さんのような、物静かなタイプの人しか受け付けないんです。
翠子さんの布団ではなく、翠子さんだ。
くんくんと翠子さんの首筋の石鹸の匂いを嗅いだかと思うと、あろうことか彼女の胸元で丸くなってしまった。
おい、さすがにその場所は翠子さんが息苦しいんじゃないのか?
というか、さすがの俺だってそんな場所を枕にはしないぞ。
俺の心配通り、翠子さんが苦しそうに寝返りを打った。
そう、翠子さんは寝相が悪い。しかも息がしにくいものだから、思い切りよく横を向いた時に、エリスが布団に落っこちてしまった。
「ほらな。もうちょっと離れて寝なさい。せめて枕辺りでどうだ?」
だがエリスは、今度は横を向いた翠子さんの腕の辺りで寝ようとする。
それはちょっと高さ的にも無理があるんじゃなかろうか。そう思いつつ見守っていたが、左右の後ろ脚をぴんと伸ばし、それに尻尾も支えにして体の均衡を保っている。
やけに寝相の悪さに慣れている猫だなと思ったが。そういえば琥太兄も寝相が悪かった。
俺は、学生時代に下宿していた頃のことを思い出していた。
琥太兄は、俺が上洛した時に自分の下宿先から俺の隣の部屋に越してきた。
夜中に壁をどんっ! と蹴る音がして。そのせいでうちの部屋の本棚に並んだ本が、何冊がずり落ちた。
さすがヤクザの息子は、腹が立つと壁を蹴るのか、と気にも留めずにいたが。なにしろ壁を蹴る時間が、夜中の一時や二時なのだ。
こっちは嫌でも目が覚めてしまう。
文句を言ってやろうと隣の部屋へ向かったが。なぜか廊下で倒れている琥太兄の姿があった。
「おい、琥太兄。まさかやられたのか?」
それにしては犯人の足音もしなかったし、揉める声も聞こえなかった。
恐る恐る琥太兄の鼻の辺りに耳を寄せると、健やかな寝息が聞こえた。
「むにゃ……欧之丞。カラスウリは、ジャムにしたらええんやで」
どんな寝言だよ、それ。あとカラスウリは煮詰めたら、きっと苦さと青臭さが凝縮されて、とんでもない味になるぞ。
夢の中で、俺を騙すのはやめてくれ。しかも微笑みながら。
琥太兄の部屋を見遣ると、扉の内側に微妙にへこんだ跡が幾つかあった。
あー、そうですか。そこまで寝相の悪い人でしたか。同じ学年だったなら、校外学習で山の天幕村で一緒に泊まることもあっただろうに。そういう機会がないから、全然気づかなかった。
というか同学年で同じ班の奴らは、校外学習は眠れなかっただろうな。
「エリスさん。君も相当鍛えられてるね」
俺は、必死の姿勢で翠子さんにしがみついているエリスの頭を撫でた。緩やかに振られる尻尾。これは怒っているのではなく、同意しているのだろう。
翠子さんも琥太兄も、自分が繊細で情緒を解すると思っているところが、なんともなぁ。
エリスもあなた達が思っているほどには、神経質ではないぞ。
いつもなら、ころんころんと転がる翠子さんを、俺は腕に抱きとめて眠ることが多い。
だが、今日はエリスがくっついているので、翠子さんはやりたい放題だ。
右へ進んでは蚊帳に指が絡まってしまい、呻いている。
「うーん、狭いです」
そりゃそうだろ。
絡まった蚊帳を解いてやると、翠子さんは今度はエリスをむぎゅうっと抱きしめたまま、左へ転がっていく。
それでも翠子さんに爪を立てないのは、えらいぞ。
ちゃんと人を見る猫だ。
◇◇◇
朝になり、わたくしはすっきりと目覚めました。でも、なぜでしょう。妙な場所にいるんです。
視界全体が緑なんですよ。
森の中で眠ったのかしら? それにしては、緑の色が妙に鮮やかというか派手なんですけど。
体を起こそうとすると、手や足が蚊帳に絡まってしまいました。
見れば、エリスも蚊帳の中でもがいています。
「あらあら。エリスったら寝相が悪いのね」
爪に引っかかっている蚊帳を外してやり、柔らかなその体に頬ずりします。なぜかエリスが不満げに鳴きましたけど。ええ、ええ。こんな網みたいなものに捕まっていたんですもの。不機嫌にもなりますよね。
隣を見ると、なぜか旦那さまがこちらを見ていらっしゃいます。しかも、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべて。
不思議です。いつもわたくしが目を覚ました時は、まるで寄り添うように近くにいらっしゃるのに。
どうして今日はこんなにも、旦那さまとの距離が離れているのでしょう。
「おはよう。とりあえず翠子さんは、エリスに謝っておいた方がいいぞ」
「あら。わたくし、助けてさしあげたんですよ?」
「結果的にはな。エリス、今晩は俺と寝るか?」
布団に片肘をついて、旦那さまがエリスに問いかけています。
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