琥太郎と欧之丞・一年早く生まれたからお兄ちゃんとか照れるやん

真風月花

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五章

5、海坊主やなかった

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 しゃがみ込んで恐る恐る確認したら、母さんもやっぱりぼくとおんなじように座りこんでいた。腕にしっかりと欧之丞を抱いて。

「開けて……」とか細い声と、ガラス窓を叩く音。とどろく雷鳴に、十字を切ってお祈りを捧げる母さんの声。ミッションスクールとかいう学校にいっとったからか、念仏を唱える訳やないんやな。

 再びするりと母さんの腕を抜けて、欧之丞が窓辺に駆け寄った。母さんの制止も聞かずに。

「おじさんだよ?」
「え?」「へ?」

 恐る恐る顔を上げると、窓の外にはびしょ濡れになって髪が顔に張りついた父さんが立ってた。

 欧之丞が鍵をくるくると回して外すと、父さんがいつもの何倍も重そうな窓を開いた。
 ごうっという激しい風の音。ほんのちょっとの隙間やったのに、縁側が雨に叩きつけられて一瞬で濡れる。

「いやー、参ったわ。颱風くるって分かっとんやから、集まりは延期してほしかったわ」
「あなた。よかったです、ご無事で。でも傘は?」
「ああ、風で壊れてしもた」

 父さんは髪から水を滴らせながら、沓脱石くつぬぎいしのところに置いた傘を指で示した。さっきまで履いていた下駄は、鼻緒も白木の台の部分も水を含んでいた。

「傘も中に入れとかんと、飛んで行ったら危ないなぁ。玄関よりもこっちの方が早いから、縁側にまわったんやけど。どないしたん? 二人して座り込んで」

 母さんは腰が抜けたんか、へたり込んだままで手直にあった手拭いを父さんに渡してる。
 ぼくと母さんは無言で顔を見合わせた。

……言われへん。父さんを海坊主と思たやなんて。

 欧之丞は父さんが帰ってきたのが嬉しいんか、周囲にまとわりついている。

「こら、近寄ったらあかんで。欧之丞まで濡れてしまうだろ?」
「おじさん、瓦が飛んでこなかった?」
「ん? 飛んでへんかったで。なんや、欧之丞は俺の心配をしてくれとったんか」
「うん」

 こくりと欧之丞がうなずく。
 せやな。欧之丞はぼくの父さんのことが大好きやもんな。

 普段ならすぐに抱っこしてもらえるのに、今日は父さんがびしょ濡れやから、それもできへん。
 欧之丞が、早く早くと尻尾をふる小犬のように見えたんは内緒や。

 組の人らが縁側の内側から雨戸を閉めてくれて、ようやく風や雨の音も少し小さくなった。
 それでも木の雨戸はガタガタいうてるし、隙間から鋭い光が時折洩れる。

 オイルランプを座卓に置いて、床には行灯があるからそんなに暗くはないけど。
 やっぱり雲が分厚くて月も星も隠されて、しかも雨戸まで閉めとうから。部屋の片隅やら縁側や廊下に、闇がぎゅっと詰まってるみたいで……怖い。

 ぼくは母さんの隣に、ぴたっと身を寄せた。母さんもぼくが側におった方が安心やもんな。

 浴衣に着替えた父さんは、まだ髪が湿ってる。
 お盆にかぶせてあった布巾を取って、取り置きしてあった晩ご飯を食べてる。
 ぼくらのよりも大きめに握ってあるおにぎり。
 お吸い物は冷えきっとうけど、父さんは気にしてなかった。今日みたいな颱風の晩は、しょうがないもんなぁ。

「ん? どうしたんや、欧之丞」

 まるで猫がするみたいに、父さんの腕の下から欧之丞がにゅっと膝に乗る。
 
「こらこら、食べにくいやんか」と言いながらも、父さんは頬が緩んでる。
 欧之丞は父さんの膝に座ったままや。

 そうやんな……不安やったんやな。
 小さな棘のある結晶が、ちくりとぼくの胸の中を刺した。

 母さんもぼくも父さんが帰って来るって信じて疑わへん。けど、欧之丞の本当の父親は子どもを捨てて出て行ってしもた。
 欧之丞が悪いんと違て、欧之丞の母親と仲が悪かったのに。子どものことも一緒に嫌うんやな。

「あのね、お漬物が美味しかったよ」
「そうか、じゃあ最後に残しとこかな」

 見上げてくる欧之丞に、父さんは笑みを返している。
 父さんが毎日必ず帰ってくるから、欧之丞も安心なんやろな。

 自己主張もすごいし、いっつも元気な子ぉやけど。こんな時は欧之丞の中にある、寂しさが詰まった部分が垣間見える。
 その氷がすうっと溶けて、ずっとずっとこのまま凍りつくことがなかったらええのに。
 父さんも母さんもぼくも、欧之丞の幸せを願ってる。

「ねぇ、おじさん?」
「ん? なんや。おにぎり食べるか?」
「ううん。あのね、海坊主ってなに? おじさんに似てるの?」

 ぼくと母さんはそろって「うわぁ」と声を上げた。
 似てない、似てないって。あれはとっさにそう思っただけやって。
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