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32、自転車を放り出して
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わたしと伊吹先生、笹原先生が通されたのは神社の拝殿だった。
神社って、賽銭箱や鈴のある拝殿の前でお参りするくらいだから。拝殿の中って入ったことがない。
社務所から通じる渡り廊下を進み、板張りの回廊のようなものがある拝殿へ足を踏み入れる。
その奥にある本殿は、ご神体を祀っていてかたく扉が閉ざされいる。
お祭りの時だけ、扉を開くんだって。
「壁、ないんだ」
艶やかな朱色の柱を撫でていると、伊吹先生が咳払いした。
しまった。これじゃ、まるで子どもだ。
「いいんですよ。そんなに畏まらないで」
わたし達を出迎えてくれたのは、紫色の袴をはいた宮司さんだった。
「淡の海神社の宮司を務めております、蓮見と申します」
宮司さんと対面するように、三人が座ると、浅葱色の袴をはいた若い禰宜さんが長細い箱を持ってきた。
「笹原先生は、地元の伝承を研究していて、こちらの淡の海神社とは懇意なんだ」
伊吹先生に説明してもらってけど。さっきの鏡花さんと、この神社の関係が分からない。
(だって、あの人って妖怪かもしれないんだよね)
わたしの中では、化け狸の線が有望だと思うんだけど。どうなんだろ。
「ところで沙雪ちゃん。もう大丈夫?」
「え? もう、とは」
笹原さんが、自分のひたいを指さした。
「怪我」
あ、そっか。こんな大きなガーゼを貼ってたら目立つよね。でも笹原さんが言いたいのは、そういうことじゃなかった。
「いやー、台風の日さ、青柳先生が会議をすっぽかして帰宅しちゃったからね。何事だと教員の間で大騒ぎになってたんだよね」
「……今はそういう話ではないだろう?」
ぼそりと不機嫌そうに呟く伊吹先生を、笹原さんは「まぁまぁ」と軽くいなした。
「ぼくは初めて見たね。青柳先生がエレベーターも使わずに階段を駆け降りて、学生にぶつかりながらも構内を走っていくのを。いやー、壮観だったなぁ」
「そうだったんですか?」
「だって、大事な自転車を放っていったんだよ。一応自転車置き場から出していたみたいだけど、風雨が強くて無理だったみたいだね。いつもは丁寧に止めているのに、雨ざらしになって倒れてた」
まさかそこまで慌てていたなんて。
「いやー、若いね。俺よりも三歳下だから? いやいや、そうじゃない。情熱って奴さ。パッション?」
なんだか椿と話が合いそうな人だ。
わたしは面白くなってしまった。
「いいですね、パッション」
「でしょ。沙雪ちゃん、将来うちの大学においでよ。君は選ばれた子だから、うちのゼミに入るといい」
「選ばれた子?」
「すぐに分かるよ」
笹原さんは、宮司さんが箱から出した古びた巻物を手で示した。
巻物には達筆で『淡の海縁起』と記されていた。
白い手袋を宮司さんがはめたから。この巻物がとても重要なものだということが分かった。
畳の上に緋毛氈が敷かれ、その上にするすると巻物が広げられていく。
「この巻物は、淡の海神社にお祀りされている、湖姫さまについて記されておるんです」
「湖姫?」
わたしの問いかけに、笹原さんがうなずいた。
「沙雪ちゃん。君は湖姫さまに好かれてるんだよね」
はい?
神社って、賽銭箱や鈴のある拝殿の前でお参りするくらいだから。拝殿の中って入ったことがない。
社務所から通じる渡り廊下を進み、板張りの回廊のようなものがある拝殿へ足を踏み入れる。
その奥にある本殿は、ご神体を祀っていてかたく扉が閉ざされいる。
お祭りの時だけ、扉を開くんだって。
「壁、ないんだ」
艶やかな朱色の柱を撫でていると、伊吹先生が咳払いした。
しまった。これじゃ、まるで子どもだ。
「いいんですよ。そんなに畏まらないで」
わたし達を出迎えてくれたのは、紫色の袴をはいた宮司さんだった。
「淡の海神社の宮司を務めております、蓮見と申します」
宮司さんと対面するように、三人が座ると、浅葱色の袴をはいた若い禰宜さんが長細い箱を持ってきた。
「笹原先生は、地元の伝承を研究していて、こちらの淡の海神社とは懇意なんだ」
伊吹先生に説明してもらってけど。さっきの鏡花さんと、この神社の関係が分からない。
(だって、あの人って妖怪かもしれないんだよね)
わたしの中では、化け狸の線が有望だと思うんだけど。どうなんだろ。
「ところで沙雪ちゃん。もう大丈夫?」
「え? もう、とは」
笹原さんが、自分のひたいを指さした。
「怪我」
あ、そっか。こんな大きなガーゼを貼ってたら目立つよね。でも笹原さんが言いたいのは、そういうことじゃなかった。
「いやー、台風の日さ、青柳先生が会議をすっぽかして帰宅しちゃったからね。何事だと教員の間で大騒ぎになってたんだよね」
「……今はそういう話ではないだろう?」
ぼそりと不機嫌そうに呟く伊吹先生を、笹原さんは「まぁまぁ」と軽くいなした。
「ぼくは初めて見たね。青柳先生がエレベーターも使わずに階段を駆け降りて、学生にぶつかりながらも構内を走っていくのを。いやー、壮観だったなぁ」
「そうだったんですか?」
「だって、大事な自転車を放っていったんだよ。一応自転車置き場から出していたみたいだけど、風雨が強くて無理だったみたいだね。いつもは丁寧に止めているのに、雨ざらしになって倒れてた」
まさかそこまで慌てていたなんて。
「いやー、若いね。俺よりも三歳下だから? いやいや、そうじゃない。情熱って奴さ。パッション?」
なんだか椿と話が合いそうな人だ。
わたしは面白くなってしまった。
「いいですね、パッション」
「でしょ。沙雪ちゃん、将来うちの大学においでよ。君は選ばれた子だから、うちのゼミに入るといい」
「選ばれた子?」
「すぐに分かるよ」
笹原さんは、宮司さんが箱から出した古びた巻物を手で示した。
巻物には達筆で『淡の海縁起』と記されていた。
白い手袋を宮司さんがはめたから。この巻物がとても重要なものだということが分かった。
畳の上に緋毛氈が敷かれ、その上にするすると巻物が広げられていく。
「この巻物は、淡の海神社にお祀りされている、湖姫さまについて記されておるんです」
「湖姫?」
わたしの問いかけに、笹原さんがうなずいた。
「沙雪ちゃん。君は湖姫さまに好かれてるんだよね」
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