【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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一章

21、朝食【1】

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 風呂から上がった俺たちは、パン屋へと向かった。どうやらエリスもついてくる気満々で、玄関の外のテラスでちゃっかりと待っていた。

「犬みたいに紐をつけなくて大丈夫か?」
「でも、首輪もありませんよ」

 俺はしゃがみこんで、エリスの小さな顔を覗きこんだ。翠子さんがブラシをかけてやるものだから、金色の毛並みは朝日に輝いている。
 猫の言葉は俺には分からないが、その凛々しい顔つきで発する「にゃ!」という短い鳴き声は「大丈夫です!」と断言しているように思えた。
 ま、思い込みかもしれないが。

「迷子にならないかしら。抱っこしていった方がいいかもしれませんね」
「意外と歩かせた方が、道を覚えるかもしれない」
「それもそうですね。エリスはおりこうですもの」

 お前、翠子さんの信頼が厚いな。羨ましいことだ。

 思った通り、エリスは俺たちの後をしっかりとついてきた。時折、白樺の幹に顔をこすって自分の匂いをつけている。
 翠子さんはその様子を見て、目を細めた。

 湯上りの肌を、さらさらと涼しい高地の風が撫でていく。俺のシャツの襟を、翠子さんのワンピースの裾を、そしてエリスのひげも揺らしていく。

 俺は横を歩く翠子さんに手を伸ばした。
 あと少しで触れる、というところで、彼女の手は離れてしまう。むろん、無意識だ。
 夜も、いつものように腕枕ができなかった俺は、もう待つつもりはなかった。
 強引に、翠子さんと手をつなぐ。

 翠子さんは、驚いたように目を開いて俺を見上げたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
 ああ、この笑顔を見ることができるのは、俺だけなんだよな(ただし人間の中では、という注釈がつくのだが)と、心の中が温かくなっていく。
 ちなみに人間以外ならエリスと、あとは茄子とさくらんぼくらいだろうか。
 
 カラマツ並木を進むと、ほどなくパン屋が見えてきた。掲げられている国旗は黒と赤と黄金の三色。
 木製の重厚な扉を開けてやり、翠子さんを先に中に入らせる。この辺りはパンはドイツ風らしい。

「黒パンでいいんだろうか」
「酸っぱいですよ。黒パンは」
「カイザーと書いてあるが。王さまのことか?」
「カイザーゼンメルは食べやすいですから、それにしましょう。何もついていないのがいいかしら、それともケシの実か、ゴマか。旦那さまはどう思われます?」

 翠子さんに尋ねられたが、ケシの実とゴマに大差はあるのだろうか。
 どうやらカイザーゼンメルとやらは、二時間パンとも呼ばれ、焼き立てがおいしいのだそうだ。
 こういう時だ。彼女の知識が庶民とは決定的に違うと感じるのは。

 もし笠井家が没落せずに、あなたと普通に再会していたなら。妻にすることなど到底不可能だっただろう。

 俺が店の主人に注文を伝えていると、翠子さんは窓からちらりと外を見遣った。彼女の視線の先では、店内に入れないエリスがちんまりと座って待っていた。
 本当に行儀がいいな。実は猫の皮をかぶった犬なんじゃあるまいか。

 別荘に戻ると、すでにテラスのテーブルには朝食が用意されていた。お清と銀司が出迎えてくれる。

「お帰りなさいませ。さぁ、ご飯にしましょう」

 翠子さんは買ってきたパンの紙袋を開いて、かごに盛っていく。銀司は中で沸かした湯で、紅茶を淹れている。
 清々しい木洩れ日の下で、翠子さんは目を輝かせ、俺の袖を引っ張った。
 
 「外で食べるなんて、素敵ですね」

 うん、分かるよ。あなたの瞳がとらえているのが、すいかに杏に、すももといった果物の盛り合わせであることは。
 俺の隣の席に着いた翠子さんは「いただきます」と言うと、すぐに明るく澄んだ橙色の杏に手を伸ばした。

「翠子さん。果物ばかりではなく、ちゃんと全部召し上がってくださいよ」
「も、もちろんです」

 翠子さんはそう返事しながらも、杏を自分の皿に置いた。

 怪しいなぁ。そう思ったのは俺ばかりではなく、お清と銀司もだ。
 普段は果物は食事の後か、別に出てくることが多いのは、翠子さんがそればかりを食べるからだろう。
 もし翠子さんが一人暮らしをするようなことがあるとすれば、主食も主菜も副菜もすべて果物にするんじゃなかろうか。
 あ、主食は茄子か。
 
 俺は大皿からオムレツを翠子さんに取り分けてやり、銀司は豆のスープを翠子さんに手渡し、お清は塊から切ったハムを皿によそっている。そしてエリスは自分の皿から、ささみを咥えて翠子さんの膝に飛び乗った。

 うちの者は、みんな翠子さんに対して過保護だよなぁ。
 無論、俺も例外ではないが。
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