44 / 194
二章
15、目ぇ閉じた方がええで ※文子視点
しおりを挟む
「宵祭りの時や、文子さんはエリスが人ごみで踏まれたらあかんと思て、追いかけとったやろ」
わたしは頷いた。
「一応な、それまでも文子さんの情報は知っとったんや」
「牛乳屋さんの顧客だからですか?」
「なんでやねん」
琥太郎さんが、笑顔を浮かべた。「顧客の家族構成とか、別に知らんし」と言うけれど。怪しいわ。
「文子さんのこと知っとったんは、翠子さんの親友やからや。ああ、別に翠子さんとそこまで親しいわけやないで。あの子、欧之丞の長年の思い人やから。お兄ちゃんとしては気になるやろ」
「高瀬先生のこと、お好きなんですね」
「そら、嫌いやないで」
さらっと認められて、逆にわたしは呆気にとられた。
わたしだったら、翠子さんのことを好きかと尋ねられたら、もちろん大事な友達だけれど、間髪入れずに認めるのは難しい。
だって、恥ずかしいもの。それに、わたしだけの勝手な好意だったら、翠子さんに迷惑だし。わたしが思っているほど、親友って思っていないかもしれないし。
そんな風に考えすぎて、返事が出来なくなってしまう。
「宵祭りの時、文子さんは封筒を拾て、私に渡してくれたやろ」
「あまり覚えてないです」
あの時は、強面集団に囲まれて。正直、琥太郎さんのことは記憶にない。
「拾てくれたで。ちゃんと丁寧に土を払って」
琥太郎さんがわたしに一歩近づいた。
ふわりとそよ風が起こり、香水なのか分からないけれど。雨の日にかぶせてもらった背広と同じ、涼しげないい香りがした。
「優しいお嬢さんや思た。それに勇敢やと思た。封筒を渡してくれる文子さんの手は、あんなにも震えとったのにな」
わたしの手を、琥太郎さんが握りしめる。
突然の行為に、わたしは緊張で固まってしまった。
そう、声すらも出せないほどに。
「文子さんは怖がりやもんな。でも強いで。強うて可愛くて、ええ子や」
「で、でも。わたしなんて」
「『でも』も『わたしなんて』も、なしやで。私が言うとうんや、信じられへん?」
琥太郎さんの声はとても穏やかで、その言葉はすっと心に沁みこんでいった。
まるでカラカラに乾いた体に、清冽な水が満ちていくように。
飄々としていい加減な所があるし、実際すぐに人をからかうし、飄々として捉えどころがなくて振り回されてばかりだし。
でも、本当は心がとても優しい人なんだわ。
器用そうに見えて、実際は不器用なのかもしれない。
琥太郎さんの手が、わたしの頬に触れるから。だからわたしも、彼の手の甲に指を添えたの。
琥太郎さんは少し目を見開いたけど、やっぱり柔らかく微笑んで。そして腰を屈めたの。
「目ぇ閉じた方がええで」
言われるままに瞼を閉じて、そうしたら柔らかな唇がそっと触れたの。
少し薄いのに柔らかな唇。
どうしてかしら。泣きたいような気持ちになった。
わたしをずっと見ていてくれる人がいた。翠子さんにとっての先生のように。分かってくれる人がいた。
窓から吹き込む風が、琥太郎さんの髪を柔らかに撫でる。その拍子に爽やかな香りがして。
ああ、これは森の、緑の香りだわと気がついた。
「ちゃんと集中しぃや。初めてのキスやろ?」
「は……はい」
わたしは頷いた。
「一応な、それまでも文子さんの情報は知っとったんや」
「牛乳屋さんの顧客だからですか?」
「なんでやねん」
琥太郎さんが、笑顔を浮かべた。「顧客の家族構成とか、別に知らんし」と言うけれど。怪しいわ。
「文子さんのこと知っとったんは、翠子さんの親友やからや。ああ、別に翠子さんとそこまで親しいわけやないで。あの子、欧之丞の長年の思い人やから。お兄ちゃんとしては気になるやろ」
「高瀬先生のこと、お好きなんですね」
「そら、嫌いやないで」
さらっと認められて、逆にわたしは呆気にとられた。
わたしだったら、翠子さんのことを好きかと尋ねられたら、もちろん大事な友達だけれど、間髪入れずに認めるのは難しい。
だって、恥ずかしいもの。それに、わたしだけの勝手な好意だったら、翠子さんに迷惑だし。わたしが思っているほど、親友って思っていないかもしれないし。
そんな風に考えすぎて、返事が出来なくなってしまう。
「宵祭りの時、文子さんは封筒を拾て、私に渡してくれたやろ」
「あまり覚えてないです」
あの時は、強面集団に囲まれて。正直、琥太郎さんのことは記憶にない。
「拾てくれたで。ちゃんと丁寧に土を払って」
琥太郎さんがわたしに一歩近づいた。
ふわりとそよ風が起こり、香水なのか分からないけれど。雨の日にかぶせてもらった背広と同じ、涼しげないい香りがした。
「優しいお嬢さんや思た。それに勇敢やと思た。封筒を渡してくれる文子さんの手は、あんなにも震えとったのにな」
わたしの手を、琥太郎さんが握りしめる。
突然の行為に、わたしは緊張で固まってしまった。
そう、声すらも出せないほどに。
「文子さんは怖がりやもんな。でも強いで。強うて可愛くて、ええ子や」
「で、でも。わたしなんて」
「『でも』も『わたしなんて』も、なしやで。私が言うとうんや、信じられへん?」
琥太郎さんの声はとても穏やかで、その言葉はすっと心に沁みこんでいった。
まるでカラカラに乾いた体に、清冽な水が満ちていくように。
飄々としていい加減な所があるし、実際すぐに人をからかうし、飄々として捉えどころがなくて振り回されてばかりだし。
でも、本当は心がとても優しい人なんだわ。
器用そうに見えて、実際は不器用なのかもしれない。
琥太郎さんの手が、わたしの頬に触れるから。だからわたしも、彼の手の甲に指を添えたの。
琥太郎さんは少し目を見開いたけど、やっぱり柔らかく微笑んで。そして腰を屈めたの。
「目ぇ閉じた方がええで」
言われるままに瞼を閉じて、そうしたら柔らかな唇がそっと触れたの。
少し薄いのに柔らかな唇。
どうしてかしら。泣きたいような気持ちになった。
わたしをずっと見ていてくれる人がいた。翠子さんにとっての先生のように。分かってくれる人がいた。
窓から吹き込む風が、琥太郎さんの髪を柔らかに撫でる。その拍子に爽やかな香りがして。
ああ、これは森の、緑の香りだわと気がついた。
「ちゃんと集中しぃや。初めてのキスやろ?」
「は……はい」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
442
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる