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二章

15、目ぇ閉じた方がええで ※文子視点

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「宵祭りの時や、文子さんはエリスが人ごみで踏まれたらあかんと思て、追いかけとったやろ」

 わたしは頷いた。

「一応な、それまでも文子さんの情報は知っとったんや」
「牛乳屋さんの顧客だからですか?」
「なんでやねん」

 琥太郎さんが、笑顔を浮かべた。「顧客の家族構成とか、別に知らんし」と言うけれど。怪しいわ。

「文子さんのこと知っとったんは、翠子さんの親友やからや。ああ、別に翠子さんとそこまで親しいわけやないで。あの子、欧之丞の長年の思い人やから。お兄ちゃんとしては気になるやろ」
「高瀬先生のこと、お好きなんですね」
「そら、嫌いやないで」

 さらっと認められて、逆にわたしは呆気にとられた。
 わたしだったら、翠子さんのことを好きかと尋ねられたら、もちろん大事な友達だけれど、間髪入れずに認めるのは難しい。

 だって、恥ずかしいもの。それに、わたしだけの勝手な好意だったら、翠子さんに迷惑だし。わたしが思っているほど、親友って思っていないかもしれないし。

 そんな風に考えすぎて、返事が出来なくなってしまう。

「宵祭りの時、文子さんは封筒を拾て、私に渡してくれたやろ」
「あまり覚えてないです」

 あの時は、強面集団に囲まれて。正直、琥太郎さんのことは記憶にない。

「拾てくれたで。ちゃんと丁寧に土を払って」

 琥太郎さんがわたしに一歩近づいた。
 ふわりとそよ風が起こり、香水においみずなのか分からないけれど。雨の日にかぶせてもらった背広と同じ、涼しげないい香りがした。

「優しいお嬢さんや思た。それに勇敢やと思た。封筒を渡してくれる文子さんの手は、あんなにも震えとったのにな」

 わたしの手を、琥太郎さんが握りしめる。
 突然の行為に、わたしは緊張で固まってしまった。
 そう、声すらも出せないほどに。

「文子さんは怖がりやもんな。でも強いで。強うて可愛くて、ええ子や」
「で、でも。わたしなんて」
「『でも』も『わたしなんて』も、なしやで。私が言うとうんや、信じられへん?」

 琥太郎さんの声はとても穏やかで、その言葉はすっと心に沁みこんでいった。
 まるでカラカラに乾いた体に、清冽な水が満ちていくように。

 飄々としていい加減な所があるし、実際すぐに人をからかうし、飄々として捉えどころがなくて振り回されてばかりだし。
 でも、本当は心がとても優しい人なんだわ。
 
 器用そうに見えて、実際は不器用なのかもしれない。

 琥太郎さんの手が、わたしの頬に触れるから。だからわたしも、彼の手の甲に指を添えたの。
 琥太郎さんは少し目を見開いたけど、やっぱり柔らかく微笑んで。そして腰を屈めたの。

「目ぇ閉じた方がええで」

 言われるままに瞼を閉じて、そうしたら柔らかな唇がそっと触れたの。
 少し薄いのに柔らかな唇。
 どうしてかしら。泣きたいような気持ちになった。

 わたしをずっと見ていてくれる人がいた。翠子さんにとっての先生のように。分かってくれる人がいた。
 
 窓から吹き込む風が、琥太郎さんの髪を柔らかに撫でる。その拍子に爽やかな香りがして。
 ああ、これは森の、緑の香りだわと気がついた。

「ちゃんと集中しぃや。初めてのキスやろ?」
「は……はい」
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