【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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四章

9、お返事を【1】※文子視点

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 ホテルの廊下で、わたしは立ち止まった。
 ちょうど階段を上がりかけて、磨き上げられたマホガニーの手すりに手を掛けたところで。

「どないしたん?」
「いえ、その。わたし……」
「ん? 日記? いや、女學生日誌ってやつか。それのことやったら、心配いらんで」

 階段の踊り場から射す光は、とりどりの色を使ったステンドグラスの華やいだ色彩。その美しい光に照らされて、琥太郎さんが微笑んでいる。

 あなたを見ていると、泣きたくなるのはどうしてなのかしら。
 悲しいわけじゃないの。こんなわたしに優しくしてくださって、わたしを想ってくださって。

 きっと、とても切なくなるんだわ。これまで十六年生きてきて、一度も知らなかった気持ち。
 それを与えてくれたのが、琥太郎さんなのよ。

 人生の行く先を知らず。女学校を卒業したら、ただ勧められるままにお見合いをして。見知らぬ殿方に嫁ぐはずだった。

 根本的にその流れは変わっていないはずなのに。
 なのに……こんなにも大事にされたら。申し訳なくなってしまう。

「せや、文子さん。まだ見合いの返事をちゃんと聞いてへんねんけど」

 わたしが、断るはずなんてないわ。結婚を考えない人と体を重ねるなんて、有り得ないもの。

 でも、琥太郎さんはちゃんとした返事を……約束を求めている。

「わたし……」
「あ、ちょっと待って。廊下とか階段はあかんよな」
「え、でも返事ならすぐに終わりますから」

「いーや。雰囲気が大事やねん」と、琥太郎さんはわたしの手を引いて階段を上がっていきます。
 一段上がるたびに、鮮やかな光の中へ進んでいくようで。
 まるで、春の陽射しを存分に浴びたれんげ草や菜の花、そして青空、それらを散りばめたような彩の光の中を上がっていったの。

 ホテルの廊下って、こんなに長かったかしら。
 琥太郎さん。どうしてそんな嬉しそうな顔で振り返るの?

 そして長すぎる廊下のつきあたりにある、琥太郎さんの部屋へと入った。

「はい、どうぞ」

 椅子を勧められ、わたしは「失礼します」と畏まって座る。
 なぜか琥太郎さんは、壁際にあるライティングデスクから、メモと万年筆を取りだした。

 な、なにかしら。まるで官憲に捕まって事情聴衆されるような心地なんだけど。
 あの、別に不穏な活動に参加していないですし、赤い思想も持ってないですよ。

 琥太郎さんは、ご自分も椅子に座った。ええ、わたしの向かいに。

「では、文子さんにお訊きします。この度の見合いの返事を教えてください」

 あ、これ事情聴衆じゃなくて。取材だわ。
 ちなみにどうしてメモなんて必要なの?

「あ、あの。お返事も何も、もうわたし……」
「んー? ちゃんと答えてくれなあかんやん」

 琥太郎さんは万年筆の柄の部分で頭を掻いている。
 そして椅子に浅く腰掛け直して、わたしに顔を近づけた。

「態度でも、そら気持ちは伝わるけどな。こういうことは言葉が大事やねん。分かる?」
「わ、分かりますから。そんなに近づかないでください」
「なんで? 私と文子さんの仲やん」

 そういう仲って分かってるなら、なにも言葉にしなくてもいいじゃないですか。
 
「はい。琥太郎兄ちゃんが待ってますよー。はよせんと、痺れを切らして、ちゅーするかもしれへんで」
「ま、待ってください」
「ええんやで。ちゅーしてほしいんやったら、焦らしても」
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