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五章
12、健やかに
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翠子さんに構ってもらえないエリスは、紙袋に頭をこすりつけた。
え? もしかして匂いをつけて、自分の物だと主張しているのか?
エリスの小突いた力が思いのほか、強かったのだろうか。
翠子さんの手から袋が離れて、ごとんと床に落ちてしまった。
「あっ」
中に入っている物の重みで、紙袋が破れてしまった。そこから覗くのは褐色を帯びた緑の瓶。ラベルにはドイツ語が記されている。
「ドイツの酒か」
「見ないでくださいって、言いましたのに」
「あ、すまん。つい」
見るつもりはなくとも、見えてしまったんだよな。
俺は頭を掻きながら、翠子さんに背中を向けた。
まぁ、今更なんだが。
「あのー、翠子さん。それはもしかして……いや、その答えなくてもいいのだが」
期待してしまうじゃないか。翠子さんが選んだドイツの酒が、もしかしたら俺への贈り物かもしれないと。
いやー、困ったなぁ。
顔がにやけそうになって、ふと「待て、自分」と唇を引き結んだ。
もしかしたら銀司宛てかもしれない。
肩越しにちらっと見ると、翠子さんはトランクから紙袋を二つ取り出していた。さっきの破れた紙袋と合わせて三つだ。
俺と、銀司とお清の分かな? だとしたらさっきのはやはり俺の分だよな。
まさか翠子さんが自分の為に、酒を買うとも思えないし。
「今更ですから、お答えします」
「お、おお」
「この緑の瓶のお酒は旦那さまへの贈り物です」
うんうん。君はそういう子だよ。本当に優しいんだ。
もっとも隠し事が苦手なんだよな。
そういう抜けたところ……いや、おっとりとした様子も可愛いのだが。
俺の方へ向き直った翠子さんは、少々口を尖らせている。
済まないなぁ。計画が頓挫してしまったんだよな。
聡い俺でごめんなさい。
「このお酒は、ドイツの養命酒なんですって」
「養命酒」
突然、江戸時代っぽくなったぞ。生薬だよな。その酒には生薬が漬けてあるんだな? まぁ日本のとは違う薬草や香草だろうが。
「旦那さまに、いつまでも健やかでいていただきたいので。体によい生薬の成分が溶けこんでいるそうなんです」
「そ、そうか」
翠子さんの気持ちはとても嬉しいのに。彼女にとっては俺は、おじさんなのかもしれないと……少々複雑な気持ちになった。
いや、有り難いんだけどな。俺の健康を気遣ってくれるのは。
◇◇◇
どうしたのでしょうか。
旦那さまが妙なお顔をなさっています。
頬が緩んだと思うと、今度は口をへの字になさっているの。
でも、不機嫌という訳でもないんですよ。
もしかして生薬のお酒は苦手なのでしょうか。
でも、健康第一です。これは翠子の思い遣りなんです。
苦手なお味でも是が非でも飲んでいただきます。
ぎゅうぎゅうに詰め込んだトランクでしたが、なんとか閉じることができました。
窓を見遣ると、雲の切れ間から一条の光が射していました。
まだ霧雨を受ける木々の葉の一枚一枚が陽に照らされて、しっとりと潤いをたたえながら煌めいています。
「おいしいんですよ、多分」
「そうだなぁ。じゃあ俺はお返しに、翠子さんに養命酒を贈ろうかな」
「うっ」
あれ、美味しくないんですよ。生薬の匂いが独特ですし、苦いのに妙に甘ったるいですし。そもそもわたくしはお酒が苦手ですし。
それに生薬の中には、マムシが……ヘビの干物が含まれているとの噂が。
これは文子さんから聞いたんですけれど。
「翠子さんにはいつでも、いつまでも健やかでいてほしいからなぁ」
にやにやと笑いながら、旦那さまがわたくしの頭をぽんぽんっと軽く叩きました。
恩を仇で返されるとは、まさにこのことです。
え? もしかして匂いをつけて、自分の物だと主張しているのか?
エリスの小突いた力が思いのほか、強かったのだろうか。
翠子さんの手から袋が離れて、ごとんと床に落ちてしまった。
「あっ」
中に入っている物の重みで、紙袋が破れてしまった。そこから覗くのは褐色を帯びた緑の瓶。ラベルにはドイツ語が記されている。
「ドイツの酒か」
「見ないでくださいって、言いましたのに」
「あ、すまん。つい」
見るつもりはなくとも、見えてしまったんだよな。
俺は頭を掻きながら、翠子さんに背中を向けた。
まぁ、今更なんだが。
「あのー、翠子さん。それはもしかして……いや、その答えなくてもいいのだが」
期待してしまうじゃないか。翠子さんが選んだドイツの酒が、もしかしたら俺への贈り物かもしれないと。
いやー、困ったなぁ。
顔がにやけそうになって、ふと「待て、自分」と唇を引き結んだ。
もしかしたら銀司宛てかもしれない。
肩越しにちらっと見ると、翠子さんはトランクから紙袋を二つ取り出していた。さっきの破れた紙袋と合わせて三つだ。
俺と、銀司とお清の分かな? だとしたらさっきのはやはり俺の分だよな。
まさか翠子さんが自分の為に、酒を買うとも思えないし。
「今更ですから、お答えします」
「お、おお」
「この緑の瓶のお酒は旦那さまへの贈り物です」
うんうん。君はそういう子だよ。本当に優しいんだ。
もっとも隠し事が苦手なんだよな。
そういう抜けたところ……いや、おっとりとした様子も可愛いのだが。
俺の方へ向き直った翠子さんは、少々口を尖らせている。
済まないなぁ。計画が頓挫してしまったんだよな。
聡い俺でごめんなさい。
「このお酒は、ドイツの養命酒なんですって」
「養命酒」
突然、江戸時代っぽくなったぞ。生薬だよな。その酒には生薬が漬けてあるんだな? まぁ日本のとは違う薬草や香草だろうが。
「旦那さまに、いつまでも健やかでいていただきたいので。体によい生薬の成分が溶けこんでいるそうなんです」
「そ、そうか」
翠子さんの気持ちはとても嬉しいのに。彼女にとっては俺は、おじさんなのかもしれないと……少々複雑な気持ちになった。
いや、有り難いんだけどな。俺の健康を気遣ってくれるのは。
◇◇◇
どうしたのでしょうか。
旦那さまが妙なお顔をなさっています。
頬が緩んだと思うと、今度は口をへの字になさっているの。
でも、不機嫌という訳でもないんですよ。
もしかして生薬のお酒は苦手なのでしょうか。
でも、健康第一です。これは翠子の思い遣りなんです。
苦手なお味でも是が非でも飲んでいただきます。
ぎゅうぎゅうに詰め込んだトランクでしたが、なんとか閉じることができました。
窓を見遣ると、雲の切れ間から一条の光が射していました。
まだ霧雨を受ける木々の葉の一枚一枚が陽に照らされて、しっとりと潤いをたたえながら煌めいています。
「おいしいんですよ、多分」
「そうだなぁ。じゃあ俺はお返しに、翠子さんに養命酒を贈ろうかな」
「うっ」
あれ、美味しくないんですよ。生薬の匂いが独特ですし、苦いのに妙に甘ったるいですし。そもそもわたくしはお酒が苦手ですし。
それに生薬の中には、マムシが……ヘビの干物が含まれているとの噂が。
これは文子さんから聞いたんですけれど。
「翠子さんにはいつでも、いつまでも健やかでいてほしいからなぁ」
にやにやと笑いながら、旦那さまがわたくしの頭をぽんぽんっと軽く叩きました。
恩を仇で返されるとは、まさにこのことです。
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