平成犬形男子と昭和猫形喪女の狭間で起きた恋愛バトル

香穂

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3 仕事は飴と鞭で乗り切れ

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 ひとりでも寂しくないように、最新の注意を払って生きてきた。


 大切なものは増やさないように。

 大切なものは、大切なほど、喪失感が大きい。


 でも私はきっと他の誰かを、自分以上に大切にはできないから。
 だったら最初から、誰の人生の邪魔もしたくない。


「午前中の打ち合わせ、うまくいきましたよ」


 にかっと笑う佐倉くんの向こうに、尻尾が見える気がする。
 思わずよしよしと頭を撫でたくなる。
 いかん、いかん。
 これは雄ではなく、男だ。
 ひとまわり年下ということで忘れそうになるが、社会人ともなれば皆立派な成人男子。よしよしはいけない。


「よかったね。昨日も遅くまで準備頑張ってたもんね」
「はい」


 耳が生えてたら、きっとぴこぴこ動いてたろう。
 誉めると、満足そうに自分のデスクに戻る。
 わざわざ隣の席に来てまで言うことだったろうか。
 商談がうまく進んだことは勿論喜ばしいが、多ければ日に四度は商談があり、半数ほどがうまくいく。
 

 二ヶ月前の出来事がなければ、私はこれをただのかわいい後輩だと認識していた。


 今は、正直よくわからない。


「あ、そういえば董子さん」


 ちなみに最近、三日に一度の割合くらいで、下の名前で呼ばれる。
 残念ながら、私の苗字は呼びづらいらしく、親しい同僚は名前で呼ぶので、これはなんの判断材料にもならない。


「駅前に新しいカフェできてましたよ」
「ああ、知ってる。美味しかったよ」
「…美味しかった?」
「この前の休みに行ってきた。コーヒーのテイクアウトもできるみたいだから、有難いよね」
「俺も飲みたい」
「じゃあさっきの案件、無事に受注できたら、お祝いに買ってきてあげるよ」
「ブラックですよ」
「存じ上げておりますよ」


 書類をまとめて顔を上げると、なにやら声に反してふてくされた表情をしていた。
 仕事は日々忙しい。
 だからといって無駄話をしないわけではない。
 が、手を止めていては仕事に差し障る。
 よって仕事を進めながら会話をするのが当たり前になっているのだが、そうすると表情への注意がおろそかになる。
 だから声が明かるければ、機嫌が良いと判断してしまいがちだ。
 なにか気にさわることを言っただろうか。


「はいこれ、資料」
「なんの?」


 この不意打ちのタメ口は、有りか、無しか。
 おそらく無しだろうが、ここは無視しておく。


「夕方の案件の。施主様が見たいって言ってた資料があったから」
「はー、さすが董子さん。助かるー」
「そのかわり成約してよね」
「勿論です」


 機嫌はなおったのか。親指をたててドヤ顔をする。
 若い男の子の気持ちは、女心と秋の空より移ろいやすいようだ。

 いや、待て。
 いま問題なのはそこではない。

 現実から目を背けるな、董子。


 いま私は、この子が笑ってくれて、嬉しかったのではないか?


 そりゃあかわいい後輩だ。ふてくされているよりは、笑ってくれているほうがいい。
 だがしかし。
 自分の仕事の時間を割いてまで、この資料をまとめてやる義理はなかったのではないか?
 下心はないと、本当に言えるのか、董子。


 …言えない、かも。しれない。


 この子に笑ってほしくて、
 いや、
 笑いかけてほしくて、つい資料まとめなど、余計なことをしたのではないか?


 気づくと、頬が強張っていた。


「董子さん?」


 不思議そうにこちらを見上げる佐倉くんに、私は努めて冷たい声を出した。


「そろそろ次の商談の時間でしょ。無駄口叩いてないで、さっさと準備しなさい」


 佐倉くんは特に気にしなかったようだ。
 はーい、と軽い返事をして、デスクワークに戻る。


 動揺を、うまく隠せていたらいいけど。

 




 とりあえずコーヒーは買ってきてあげよう。


 そう考えてしまうあたり、
 私はもう先輩としては終わっているのかもしれない。
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