平成犬形男子と昭和猫形喪女の狭間で起きた恋愛バトル

香穂

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 何があってもこの動揺を悟られてはいけない。


 平常心、平常心。
 とにかく日常のリズムを崩してはいけない。朝はちゃんと起きて、仕事に行って、帰って寝る。
 そしてまた朝が来る。


 朝の情報番組で、最近人気のスポットが紹介されていたら、佐倉くんと一緒に行ったら、あの子はきっとはしゃいだだろうなとか。

 仕事が立て込んでいたら、今日はちゃんとお昼ご飯食べられたのかなとか。

 もし予定がなければ、仕事帰りに寄りたいお店を見つけたんだよとか。

 就寝時に目覚まし時計のアラームを確認しながら、明日のシフトでは佐倉くんはお休みだったなあとか。


 会えなくて残念だなとか。


 あの子を想うこの気持ちは、誰にも悟られてはいけない。
 だってあの子にはもう新しい恋人がいる。
 こんなひとまわりも歳上の、ぱっとしない女が想いを寄せていても、誰も喜ばない。


 私は疑似恋愛をしていて、
 それが楽しくて、嬉しくて、

 そうやって浮かれて、戸惑っている間に、若いあの子はどんどん先へ進んで、可愛い恋人と運命の出逢いを果たしていた。

 歳の差って恐ろしい。

 生きていくスピードどころか、気持ちのスピードも違うんだと、気づかされた。


 いや、違うな。


 きっと私は、あの子の恋愛対象じゃなかった。
 ただ、それだけの話なのだ。
 よくよく考えてみれば、ふたりでご飯に行ったこともなければ、遊びに行ったこともない。
 あの子が本当に私のことを好きなら、デートに誘うだろう。この前だって横峯とふたりで飲みに行っていた。


 …なんだ、そうか。やっぱり私の勘違いだったんだ。


 涙も出ない。
 友達がいれば、こういう時に愚痴を聞いてくれるのだろうけれど、生憎人付き合いの悪い私にはそういう相手もいない。
 仮にいたとしても、このお子ちゃまのような恋愛事情を赤裸々に話すことなど、できようはずもない。
 幼くて、恥ずかしすぎる。


 そんな鬱々とした気持ちを抱えているせいか、仕事がはかどらない。
 デスクに溜まる書類の山に溜息が出る。
 なにより向かいから聞こえてくる会話が不快だ。


「なんだよおまえ、もう新しいカノジョができたんだって?」
「どこで見つけてきたんだよ!」
「え? 歳下なの? いくつ?」


 佐倉くんのカノジョできました発言は、あの飲み会の夜にはSNSの力で拡散されていた。
 もちろん事務所の面々は翌朝から彼をからかい、根掘り葉掘り話を聞きたがる。


「横峯、おまえのせいだぞ!」
「えー、だってー、佐倉さんの新しい門出をみんなでお祝いしたかったんですよー」


 拡散させたのは言わずもがな横峯である。


「横峯、今日は先にお昼とらせてもらうね」
「珍しいですね、楠ノ宮さん」
「ちょっと午後の仕事が詰まりそうだから、今のうちに食べとく。じゃあ、あとよろしく」
「承知いたしましたー」


 気分転換しよう。
 失恋しようがしまいが、私は社会人。生きていくためには仕事をして、お給料を貰わなくてはならない。
 恋人はいなくても生きていけるが、仕事とお給料は不可欠。働かなくては。


 事務所を出て、行きつけのコーヒーショップに入る。平日の昼時なので、程よく席は埋まっていた。
 サンドイッチとコーヒーを注文し、なるべく人気の少ない席に腰をおろす。
 疲れた。
 気疲れがすごい。
 仕事とプライベートのことが同時に頭のなかを駆け巡っていて、パンクしそうだ。
 社内恋愛を成就させた人達は尊敬に値する。よく公私混同せずにいられるものだ。
 野菜たっぷりのサンドイッチは、恐ろしいほど味がしなかった。
 わかっている。サンドイッチは悪くない。
 食欲がないから、なにを食べても美味しくない。
 でも食欲がない理由が、失恋のせいだなんて思いたくないから、何事もなかったかのように食べることにしている。
 最後の一口をコーヒーで流し込み、スマホに文字を打ち込む。


 36歳 独身


 検索すると、色々なワードが出てきた。
 
 
 なぜアラフォーになっても独身なのか?

 プライドが高い
 性格が悪い
 独りよがり
 趣味にお金を費やす
 高望みしすぎ
 年収600万円以上の相手を求めている
 若い男性が好き
 交遊関係が少ない


「………」


 私はそんなにひどい女なのだろうか。
 たしかに未婚の36歳だが、他人様にこんなに批判されるような人生を歩んできたつもりはない。
 結婚しないというだけで、人間失格のようなレッテルを貼られているとは、目から鱗だ。


 35歳から妊娠の可能性が低くなる


 うん。これは知っていた。


 35歳まで独身だった人が、その後結婚にまで至るのは、そのうちの約2パーセント


「2パーセント…」


 思わず呟いて、慌てて口をつぐむ。
 2パーセント。
 百人いて、たった二人だけ。
 私はどう考えても、この二人には入れないだろう。
 ということは、私はもう生涯独身、一人で生きていくことが、スマホの中での決定事項なのだ。


 由々しき事態だ。
 わかってはいたが、私の人生は楽じゃない。
 こんなところで、失恋ごときでへこんでいる場合じゃない。私の人生はまだまだ続く。


 仕事をして、稼がなければ。
 私を養えるのは、私だけなんだから!


 店を出る。
 右手にある財布と、左手にある紙袋を交互に見て、なんとも言いがたい気持ちに襲われる。
 だって、コーヒー買ってきてあげるって、約束したし。
 今日の午後、二時間ほどデスクワークの予定だったはずだ。コーヒーのお土産があっても、邪魔にはならないはず。


 はず。


「佐倉くん、…」


 交差点の向こうに、昼休憩中らしい佐倉くんと、間違いなく社外の人だろう女の子。
 楽しそうに会話していたふたりは、信号が変わるタイミングで顔を上げた。


 その時の、佐倉くんのばつの悪そうな表情を、私は生涯忘れない。


「楠ノ宮さん、珍しいですね。外で昼飯ですか?」

 楠ノ宮さん。
 急に、よそよそしい呼び方。

「そう。そっちは今から?」
「あー、なんか事務所に居づらくて」
「でしょうね。ごゆっくり」


 傍らの若い女の子が可愛らしくはにかんで会釈する。私も会釈を返して、交差点をすれ違った。
 背後にした彼らから聞こえてきた会話。


「今の誰?」
「同じ事務所の先輩」
「へえ、社会人って感じー。そういえば私もこのまえ内定もらったんだよー」


 タイムスリップしたみたいな会話。
 眩暈がする。
 私が12年前に生きてた世界を今、彼は生きている。私と彼の世界が交差することはない。
 絶対に。


 事務所に戻り、紙袋からコーヒーをふたつ取り出し、ひとつを隣のデスクに置いた。


「わあ、ありがとうございます!」


 横峯がとびきりの笑顔で喜んでくれたので、私のすさんだ心はほんのわずかでも救われた。



 そしてその夜、
 人生二度目の転機が訪れた。


「董子さん、まじでごめん。ちょっと助けてくれるかな」


 自宅に上がり込んできたのは、齢三歳の幼子を抱いた原さんだった。
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