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六章 悪い魔女はお嬢様

31 言葉は時にすれ違いを生む

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 デュークはエカチェリーナの話をすぐに信じることが出来なかった。

(あの場は信じ切って帰ってしまったが、もしかしたら……)

 違うかもしれない。エカチェリーナの勘違いではないか。デュークは愚かしいと思いながらも、そんな願いを捨てることが出来なかった。

 エカチェリーナと会った翌日、彼はレーヴが配達で留守にする午前中を狙って、郵便局へやって来た。レーヴの先輩であるアーニャ・ロッソに、彼女について聞く為である。

「すまないが、アーニャさんはお手隙だろうか?」

「あ、はいっ!アーニャさんですね!」

 郵便局の窓口でそう問えば、突然の訪問にも関わらず窓口の担当者はにこやかに応接室へと案内してくれた。「ごゆっくりどうぞ」と去った後、別の人がいそいそと茶と茶菓子を用意してくれる。デュークはそれに和かな笑みを返した。

 そう時間を置かずにアーニャはやって来た。掛けていたソファから立ち上がって、挨拶をする。どこかくたびれた様子の彼女に、デュークはおやと眉を上げた。

(先日会った時はもっとツヤツヤしていた気もするが……)

「お待たせしたかしら?」

「いえ、大丈夫です」

「ごめんなさいね。今、ちょっと人手不足で忙しくて」

 そういうアーニャの背後で、バタバタと数人が走って行った。彼女の言うように、本当に忙しいらしい。

 申し訳ないと思いつつ、デュークはアーニャに促されるままソファへ腰を下ろした。

「忙しい時に申し訳ない」

「いいえ、気にしないで」

 お茶を一口飲んで、アーニャは深々とため息を吐いた。彼女は疲れているようだ。目の下には隠しきれないクマが薄っすらと浮かんでいる。

 レーヴから聞いていた早馬部隊王都支部の任務はそう忙しいものではないはずだったから、デュークは不思議だった。彼女がそこまでになるような任務が舞い込んできたのだろうか。

(戦でも、起きたのか……?)

 今は早馬の需要もなく郵便配達がメインだが、本来は戦地に伝令を伝えるのが任務の部隊だ。戦ともなれば、馬を駆り戦場を走り抜けなくてはいけない。

「なにか、あったのか?」

「そうね。詳細は話せないけれど、大変なことになっているのよ」

「大変なこと?」

「ごめんなさい。これ以上は言えないわ」

 箝口令が敷かれているのだろう。申し訳なさそうに苦く笑うアーニャに、デュークはこれ以上問うても意味はないと思って口を噤んだ。

 アーニャは温かな雰囲気を持つ大らかな女性だが、それでも軍事国家ロスティで生きる軍人の一人だ。秘密の一つや二つ、あるだろう。

 レーヴに関わることならば知っておきたかったが、いずれは軍の上層部に名を連ねる予定であっても獣人のままではその権利もない。

 途端にしょんぼりしてしまったデュークに、アーニャは思わず「ほうっ」とため息にも似た感嘆の声を漏らした。

 美形は憂い顔も麗しい。形の良い眉は情けなく下がっていても、劣るものは何一つなかった。

 目の保養を与えてくれたデュークに、アーニャは感謝したい気分だった。寝不足で目の奥に痛みを感じていたが、気のせいか和らいだ気がする。

「ジョシュアはぎっくり腰で自宅で安静にしていないといけないし、レーヴもここ数日お休みしているのよ」

「レーヴが休み?」

「あら、知らなかった?」

「試合の翌日から会っていないんだ」

 デュークは魔獣保護団体の施設を脱走した経緯を話した。マリーやウォーレンのことは知っていたのか、アーニャはなるほどと頷きながら聞いている。

 デュークの話を聞き終えて、アーニャは「あらあら」と困ったように笑った。

「そうなの、そんなことがあったのね……レーヴはね、ジョージのことで悩んでいたのよ。たぶん、それもあって休んでいるのだと思うわ」

「ジョージのことで……」

 アーニャのその言葉で、エカチェリーナの話は正当化されたようなものだった。

『私……聞いてしまったのです。彼女、レーヴが本当は幼馴染である黄薔薇の騎士との結婚を望んでいると』

 エカチェリーナの声が、デュークの脳裏に蘇る。

 レーヴはジョージを選んだのだ。デュークは邪魔者でしかない。

(当て馬ってやつか)

 馬だけに、なんて突っ込んでもちっとも面白くなかった。むしろ、ますます気分が落ち込む。

 図らずもデュークの出現が彼らの誤解を解いたのかもしれない。

(僕が現れなくても、レーヴが三十歳になったらジョージは結婚していただろうけど)

 気が長いことだ。デュークは、それまで彼女を放っておくことなど出来そうにない。

 長い寿命を捨てて、デュークはレーヴへの恋を優先させた。この気持ちは、ジョージの気持ちよりも強いと思っている。レーヴは、より強い想いを持つデュークを選んでくれるだろうとも思っていた。

(なんて愚かな)

 人族が愚かで可愛いなど、どの口が言えたのか。自分の愚かさに、デュークは何も言えなかった。

「デューク?大丈夫?顔が真っ青よ⁈」

 アーニャが慌てふためいていたが、デュークはもう何も言えるような気分ではなかった。手も足も、目も耳も、全ての機能が急速に力を失っていく。

(レーヴが手に入らないのなら、もう獣人でいる意味などない)

 レーヴへの想いで煌めいていた目が、光を失っていく。同時に彼の中にあった魔力が、じくじくと何かに蝕まれていった。

 アーニャの声が遠くから聞こえていたが、デュークはふらふらと怪しい足取りで郵便局を出て行く。

 茫然自失といった様子の美形に、郵便局内にいた女性が何人か勇気を出して声をかけたが、それも彼には届かない。

 しばらくフラフラと歩いていたが、集まる視線が煩わしく思えてデュークは走り出した。

 彼はただただ、走った。王都の大通りを走っていた青年は、いつの間にか人の姿を捨て、青毛の馬となって王都の郊外へと駆け抜けていった。

 幾人かの近衛騎士がそれを見つけて追いかけたが、追いつける者などいなかった。
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