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2 再会とトラブルと転機
2-1 思い出が薄れない間に再会
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横須賀海手大学は、できてまだ十年にもならない総合大学だ。
JR横須賀線衣笠駅の南で、横須賀の中心地からは少し離れている。
僕がこの大学を選んだのは、競争率の低さと一人暮らしをしたかったから――というのが単純な理由だった。真面目な理由では、心理学に興味があったからだ。
駅でいうと一駅下った久里浜のほうが近いところにあるマンションが、僕が高校までの世界から開放されて得た自由の拠点だった。
そうして女装するようになったけど、さすがにそれで大学に行ったことはない。
家の中で楽しむか、日が暮れてから出かけるくらいだった。
それも、コンビニに買い物に行くとかちょっと散歩する程度だったのが、この間はつい電車に乗って、ドキドキしながら汐入まで足を伸ばしたのだった。
朋美さんに拾われて、釣りをした日から一週間ほど過ぎていた。
あれ以来やっぱり朋美さんと会うことはなく、僕はまた数ヶ月でやや体に馴染んできた大学生活の日常に戻っていた。
学費は親が出してくれているけど、半ば強引に一人暮らしを希望したからか、それ以外の財政に余裕は少ない。家賃の一部や光熱費などの生活費はバイトで賄っている。
部にもサークルにも入っていないこともあるのか、大学内で友達は少ない――というか、ほぼいない。
いっそ女装して大学デビューしていた方が、何かあったのだろうか。
今からでも、いつも一人でいるし、女装してきても誰にも気付かれないような気もする。
――朋美さんにしてもらったような、ナチュラル寄りのメイクでいけるなら。
しかし、自分でメイクするとどうにも濃い目に塗ってしまう。
教えてもらえばよかったかなあ……うっかりというか何というか、連絡先の交換はしていなかった。
この日も「A面」じゃない。
この言い方も後で調べて解った。女装してる時のことを「A面」とか「女の子モード」とかいうらしい。
Aはアフター(after)で、女装前(Before)のことは「B面」という。
そういう区別は自分の中ではしていなかった。僕の感覚としては「女の子モード」のほうがしっくりくる。
――そろそろ講義の始まる教室には、少しずつ人が増えてきていた。
中程で盛り上がっている一団を避けて、後ろの方に座ってノートを出しておく。
スマホを見る。
この間作ったフライを撮っていた。
釣りも面白かったなあ……予算つくって、道具買って、一人でまた行ってみようかなあ。
そんなことをぼんやり考えていると、柔らかなチャイムの音がした。
顔を上げる。
教授はまだ来ていない。
隣に、誰か座っていた。
この教室の机と椅子は横一列つながった長いもので、お隣さんは一応、適度な距離を保ってはいる。
教室にはまだ空きがあるのに、どうしてこんな――と、ちらりと見ると、金に近い明るい色の髪が目に入った。
反対側を向いていて、顔は判らない。
見るからに、ギャルだった。
ロングカーデで露出を抑えてるけど、その下はタンクトップにミニスカートと、豊かな身体を見せていて、僕はまっすぐ見れなくて視線をそらす。
そのギャルが、じっと覗き込んできて口を開いた。
「樹――くん?」
えっ?
隣を見直す。
「やっぱり樹くんだ! 久しぶり!」
朋美さんだった。
「え? えっ……?」
戸惑う。
朋美さんは嬉しそうに笑って、僕の肩をバンバン叩く。
「いやあ、同じ大学だったなんてねぇ。
まあ横須賀にそんなに大学ないけど、歯科大とかかも知れないしねえ」
「えっ、あ、あの――」
意外すぎて、言葉が出ない。
僕の疑問をよそに、朋美さんは心底面白がっている様子で、距離を詰めてきた。
「今日はこっちなんだね。ていうか元気だった? また――」
「そこ、静かにしなさい」
入ってきていた教授に咎められる――が、その教授の「げっ」という呟きもマイクが拾っていた。
「士杜君じゃないか、どうしてここに入ってるんだ」
「センセーの講義を聴きたいからでーす」
白々しい調子で朋美さんが言う。
ほかの学生たちもこっちを見て――朋美さんのギャルっぷりに妙な表情を見せたりひそひそ話をしたりする。
「――なら、静かにしていてくれ。君たちもだ」
ため息混じりに教授は言って、出席票を配りはじめた。
「怒られたねー」
声のトーンを落とした朋美さんが舌を出す。
会った時と同じように、ばっちりメイクのキマったギャル感だ。
「また釣り行こうよ、ねっ」
さらに近寄ってきて小声で言う。
「朋美さん――大学生だったんですか」
どうにか言えたのは、それだった。
ていうか名字も初めて知った。
「言ってなかったっけ、ごめんね」
「何年ですか」
もしかして同学年なのか――と思ったのは、数秒で覆った。
「四年」
「なんで一年向けの一般教養に出てるんですかっ」
つい突っ込んでしまった。
「そこ、聞く気がないなら出ていきなさい」
視線が集まっていた。
「すみませーん、あ、センセーが最近出された『集団心理の業』買いましたよー」
注意に動じずにこやかに朋美さんが言うと、教授は「そ、そうか……ま、まあ、もうちょっと静かに、お願いするよ……」と、勢いを失った調子で、講義に戻った。
朋美さんは小さく肩をすくめて、笑みをこぼす。
「とりあえず講義は真面目に聴こっか」
――あなたが言うか。
などとは内心でしか言えず、僕は小さく「そうですね」と答えるだけだった。
JR横須賀線衣笠駅の南で、横須賀の中心地からは少し離れている。
僕がこの大学を選んだのは、競争率の低さと一人暮らしをしたかったから――というのが単純な理由だった。真面目な理由では、心理学に興味があったからだ。
駅でいうと一駅下った久里浜のほうが近いところにあるマンションが、僕が高校までの世界から開放されて得た自由の拠点だった。
そうして女装するようになったけど、さすがにそれで大学に行ったことはない。
家の中で楽しむか、日が暮れてから出かけるくらいだった。
それも、コンビニに買い物に行くとかちょっと散歩する程度だったのが、この間はつい電車に乗って、ドキドキしながら汐入まで足を伸ばしたのだった。
朋美さんに拾われて、釣りをした日から一週間ほど過ぎていた。
あれ以来やっぱり朋美さんと会うことはなく、僕はまた数ヶ月でやや体に馴染んできた大学生活の日常に戻っていた。
学費は親が出してくれているけど、半ば強引に一人暮らしを希望したからか、それ以外の財政に余裕は少ない。家賃の一部や光熱費などの生活費はバイトで賄っている。
部にもサークルにも入っていないこともあるのか、大学内で友達は少ない――というか、ほぼいない。
いっそ女装して大学デビューしていた方が、何かあったのだろうか。
今からでも、いつも一人でいるし、女装してきても誰にも気付かれないような気もする。
――朋美さんにしてもらったような、ナチュラル寄りのメイクでいけるなら。
しかし、自分でメイクするとどうにも濃い目に塗ってしまう。
教えてもらえばよかったかなあ……うっかりというか何というか、連絡先の交換はしていなかった。
この日も「A面」じゃない。
この言い方も後で調べて解った。女装してる時のことを「A面」とか「女の子モード」とかいうらしい。
Aはアフター(after)で、女装前(Before)のことは「B面」という。
そういう区別は自分の中ではしていなかった。僕の感覚としては「女の子モード」のほうがしっくりくる。
――そろそろ講義の始まる教室には、少しずつ人が増えてきていた。
中程で盛り上がっている一団を避けて、後ろの方に座ってノートを出しておく。
スマホを見る。
この間作ったフライを撮っていた。
釣りも面白かったなあ……予算つくって、道具買って、一人でまた行ってみようかなあ。
そんなことをぼんやり考えていると、柔らかなチャイムの音がした。
顔を上げる。
教授はまだ来ていない。
隣に、誰か座っていた。
この教室の机と椅子は横一列つながった長いもので、お隣さんは一応、適度な距離を保ってはいる。
教室にはまだ空きがあるのに、どうしてこんな――と、ちらりと見ると、金に近い明るい色の髪が目に入った。
反対側を向いていて、顔は判らない。
見るからに、ギャルだった。
ロングカーデで露出を抑えてるけど、その下はタンクトップにミニスカートと、豊かな身体を見せていて、僕はまっすぐ見れなくて視線をそらす。
そのギャルが、じっと覗き込んできて口を開いた。
「樹――くん?」
えっ?
隣を見直す。
「やっぱり樹くんだ! 久しぶり!」
朋美さんだった。
「え? えっ……?」
戸惑う。
朋美さんは嬉しそうに笑って、僕の肩をバンバン叩く。
「いやあ、同じ大学だったなんてねぇ。
まあ横須賀にそんなに大学ないけど、歯科大とかかも知れないしねえ」
「えっ、あ、あの――」
意外すぎて、言葉が出ない。
僕の疑問をよそに、朋美さんは心底面白がっている様子で、距離を詰めてきた。
「今日はこっちなんだね。ていうか元気だった? また――」
「そこ、静かにしなさい」
入ってきていた教授に咎められる――が、その教授の「げっ」という呟きもマイクが拾っていた。
「士杜君じゃないか、どうしてここに入ってるんだ」
「センセーの講義を聴きたいからでーす」
白々しい調子で朋美さんが言う。
ほかの学生たちもこっちを見て――朋美さんのギャルっぷりに妙な表情を見せたりひそひそ話をしたりする。
「――なら、静かにしていてくれ。君たちもだ」
ため息混じりに教授は言って、出席票を配りはじめた。
「怒られたねー」
声のトーンを落とした朋美さんが舌を出す。
会った時と同じように、ばっちりメイクのキマったギャル感だ。
「また釣り行こうよ、ねっ」
さらに近寄ってきて小声で言う。
「朋美さん――大学生だったんですか」
どうにか言えたのは、それだった。
ていうか名字も初めて知った。
「言ってなかったっけ、ごめんね」
「何年ですか」
もしかして同学年なのか――と思ったのは、数秒で覆った。
「四年」
「なんで一年向けの一般教養に出てるんですかっ」
つい突っ込んでしまった。
「そこ、聞く気がないなら出ていきなさい」
視線が集まっていた。
「すみませーん、あ、センセーが最近出された『集団心理の業』買いましたよー」
注意に動じずにこやかに朋美さんが言うと、教授は「そ、そうか……ま、まあ、もうちょっと静かに、お願いするよ……」と、勢いを失った調子で、講義に戻った。
朋美さんは小さく肩をすくめて、笑みをこぼす。
「とりあえず講義は真面目に聴こっか」
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などとは内心でしか言えず、僕は小さく「そうですね」と答えるだけだった。
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